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ラボニュース 2009

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2009年12月29日(火)

Negative Selection忘年会
Cell Stem Cell表紙画像 2010年の国際免疫学会関連のイベントで、アトラクションとして演奏することがほぼ決まった。それに向けて、2、3週間に1回くらいのペースで練習を開始。レパートリーを増やしつつある。 練習は通常夜9時頃から。今年最後の練習のあと、メンバーで深夜の忘年会。北村先生(左)は車で来られていたので、お酒を飲む訳にはいかなかった。どうもすみません。

2009年12月22日(火)

2009年RCAI忘年会
恒例RCAI忘年会。今年は早めにアナウンスしたので、集まりがよく、100人くらいが参加。
いつものように、持ち込み、差し入れ歓迎で、 6階のロビーを使って、まわりにテーブルを置いて手作り料理の屋台のようにした。 写真は、異彩を放ったタカラトミーの「ギガプリン」。大野研のだしもの。みるからにあやしげだが、結構おいしかった。
恒例、伊川&芝野のたこやきと、佐藤&角川の焼きそば。大人気コーナーだ。
センター長の御寄付による、ワインコーナー。ワイン好きはこのあたりにたむろする。増田さんはこのとき斉藤先生から「毎年このコーナーにいるねえ!」と言われて、「留学してたから3年間はいなかったはずです!」と弁明したところ、「でもいつもお酒の近くにいるからそういう印象になるんだよ!」と言われていた。
恒例、感染免疫応答チームの松木シェフ(左から2人目)による、ふぐしゃぶのコーナー。Mirelleと、クリスマス休暇で日本に来ているオーストラリア留学中の彼氏が「こらうまいわ!」とオランダ語で喜んでいるところ。
今年の新企画、各国のビールコーナー。ここにはビール好きが張り付いている。 20種類、60本とベルギーの高級ビール2本を用意したが、1時間くらいで飲み干された。
田辺さんが、伊川くんとひとしきり交代でたこ焼きづくり。さすが、関西出身者の手付きだった。 写真に取り損ねたが、村橋シェフの手作りピザが、食べ物が減ってきたころに差し入れられ、あっという間にたいらげられた。村橋さん、新発注システムづくりで忙しいところ、どうもありがとうございますした。。
今年もビンゴゲームをした。私が右手にもっているのは、2位の賞品の明和電機の「オタマトーン」の見本(私物)。一応楽器である。柄の部分に指をスライドさせて音程をかえ、頭の部分を横から押すとオタマの口が開閉できて、音色が変えられる。    Negative Selectionの演奏も行ったが、「またか」という感じであまりうけなかった。しかし、アンコールでやった「スリラー」のゾンビダンスは好評だった(と思う)。

2009年12月18日(金)

Mirelle、お引っ越し
Mirelleが鶴見の市営ゲストハウスから京浜東北線沿線の駅近くのシェアハウスに引っ越した。私と越智さんでお手伝いした。  どこかの会社の寮だった建物を東京電力がシェアハウスとして改築し新装オープンした物件。50人くらいのキャパ。共同キッチンも、ダイニングも、ライブラリーも、とてもきれいだ。キッチンは東京電力だけににオール電化。Mirelleの部屋もとてもいい感じだった。 ちょっと前に、とても安いシェアハウスの物件をMirelleと越智さんとで見に行って、そこがあまりにもすさまじいところ(テロリストのアジト風)だったので、よけいにここが素晴らしく思えたのかもしれない。

2009年12月11日(金)

村上智彦くん来訪
村上くんは京大の湊研にいた頃、理学部の4回生の学生として稲葉先生からの紹介でうちのラボに研究にきていた。当時うちのグループは胸腺環境研究を始めようとしていたので、クライオスタットを使って胸腺の組織染色を立ち上げるのに貢献してもらった。 今は宮崎大学の今泉先生のところで助教をしていて、小胞体タンパクの輸送の研究などをしている。分生の折にラボにきてくれた。 最近、彼はNature Cell BiologyにOASISという小胞体ストレス蛋白を欠損すると骨・軟骨組織の形成が障害されるという報告をした(11:1205, 2009)ので、それに関してミニセミナーをしてもらった。小胞体にタンパク質がたまりすぎるとタンパク分子のfoldingがうまくいかなくなって、それを感知する分子が働く事でうまく分泌されるというような話。専門外の話だったが、プレゼンが大変よくて、よくわかった。

2009年12月12日(土)

美術部部室お別れ会
このnewsコーナーは、本来ラボ関係の話題をのせるべきであるが、ときどき私(河本)の個人的な話も書かせて頂いている。 京大の美術部の部室は、西部構内の南西はしの平屋の部室棟の中にあった。この建物が取り壊しになるということで、お別れ会をすることになったという話を、後輩の森浩一君からの連絡で知った。
20年前には毎日のようにいりびたっていた部室であるが、取り壊しといってとりたてて感慨はなかった。むしろ、久しぶりに訪れて、殆ど変わっていなかったことに驚いた。 お別れ会に参加したOB代表としてレポートする義務があるかと思い、もう少し詳しい記事をよもやま話に書いている。 記事へのリンクは下記。
京大美術部部室お別れ会

2009年12月8日(火)

瀬戸口留可さん、来訪
M.J. Bevanのところに留学中の瀬戸口さんが学会ついでに日本に里帰り。うちのラボにも立ち寄ってくれた。瀬戸口さんは理研では谷内研にいたが、その前は再生研の坂口志文先生のラボにいた。私がまだ桂研にいた頃(8年以上前)にすでに坂口先生のラボにいて、当時桂先生と坂口先生で進めていたVSVを使った実験などをするために桂研にもよく出入りしていた。 相変わらず、お元気そうで、何より!

2009年12月7日(月)

RCAIリトリート
理研ニュースの12月号の巻末の「原酒」というコーナーに、コラム記事を載せて頂いた。 毎号このコーナーには、研究者だけでなくいろいろな業務の職員の方が書いていて、内容についても、研究の苦労話から趣味の話まで、自由度が高い。 最初は趣味の話を書こうと思っていたが、最近の理研の進めている科学と芸術の対話とか融合といった活動についてちょっと思うところがあって、持論を少し書かせて頂いた。  タイトルは「サブカルチャーを侮るなかれ」。「サブカルチャーと言われている分野の中にこそ次世代を担う創造的な作品がある」という論旨。つまり、「日本発の漫画・アニメ・ゲームなどの文化を軽んじないでね」という話。 よければ、読んでみて下さい。
記事へのリンク: http://www.riken.jp/r-world/info/release/news/2009/dec/gen_01.html

2009年12月2日(水)

大阪の夜
今年の免疫学会の学術集会は大阪だった。 会場の大阪国際会議場は、医者になって2年目と3年目の2年間住んでいた所のごく近くで、学会が終わった後などに福島あたりを歩き回ると何とも懐かしい。 当時は大阪大学の病院や関連研究所も福島界隈にあり、高浜先生も丁度同じ頃このあたりをうろついていたらしい。 しかし、学会の緊縮財政に伴い、さ来年からは、安価な幕張メッセと神戸コンベンションセンターに会場が固定されて、交互に開催するようになるという。 そうだとすると、学会ついでに大阪にくるのもこれが最後。他のいろいろな街に行けなくなるのも寂しい限りである。 写真は学会初日の夜、福島ではなく、梅田の東通り商店街にて。左から、敬称略で、新田、秋山、高浜、桂、糸井(前列)、雨貝、Mirelle、増田。桂先生が妙に若々しく写っている。

2009年11月19日(木)

Mirelle歓迎会
Mirelleの歓迎会を鶴見の「がぜん」で催した。ラボでは最近「ミーちゃん」と呼ぶようになりつつある。 生活が落ち着いてきて、住居も決まった。 実験についても伊川君の指導のもとに胸腺組織培養などを開始した。

2009年11月19日(木)

リコリス菓子とは
Mirelleの持ってきたおみやげのひとつ。以前にEricかStijnも似たもの持ってきたことがある。ヨーロッパやアメリカで広く食されているお菓子らしいが、特にオランダ人が好むとのことである。ラクリッツともいうらしい。 どす黒い色、グミのような食感で、妙な薬のような臭いがして、私はちゃんと飲み込んだが、Mirelleには悪いが、ラボのメンバーの殆どは噛んでる途中で吐き出した。そのうちのひとりによると「飲み込んで良いと判断できる要素が見いだせなかった」とのこと。 甘草の一種の根っこからつくられているらしい。甘草は漢方薬でよく使われる薬草である。なお、リコリスといえば園芸ではヒガンバナ科の植物のことを指すが、甘草はマメ科であり、別物である。 包装に「drop」とあるが、オランダのこういう形のリコリス菓子をドロップというらしく、それが日本で飴玉のことをドロップと呼ぶ語源とのことである。

2009年11月5日(木)

ウツボカズラのスケッチ、「科学」に掲載
岩波書店の「科学」11月号に、ウツボカズラの絵が載った。「広辞苑を3倍楽しむ」というコーナーで、毎回ひとつの項目について、広辞苑の文が載っていて、その項目に関連した写真や絵と、その解説文が入る。 「科学」6月号にリンパ球の起源についての論説を書かせて頂いた縁で、この絵と解説文を描かせて頂いた。大変光栄である。 絵は、ネペンテス・トランカータという種。「襟」のよく発達した大型種で、袋は20cm以上になる。この夏、京都の府立植物園に置いてあったものを水彩でスケッチした。 なお、科学6月号の論説は「研究者向け記事」のコーナーに載せているので、興味のある方はどうぞ。 岩波書店「科学」へのリンク:
http://www.iwanami.co.jp/kagaku

2009年11月4日(水)

Mirelle、ラボに参加
Mirelleがラボに参加。 Mirelleは通称で、正式な名前は、Johanne Huijskens。日本に到着したのは11月2日で、今日から正式な出勤である。8ヶ月間いる予定。 Maastricht大学の修士学生である。Wilfredらとの共同研究で、ヒト造血細胞を用いて、in vitroでT前駆細胞を増やすというプロジェクトを進めている。この共同研究プロジェクトでは、つい先日、以前SidoniaのところにいたBob Meekが1st authorの論文が、Bloodに通ったところだ。Mirelleはその関連技術の開発研究にあたり、伊川君が指導することになる。

干し芋を食べていたら、松浦さんが「丸干し」は食べた事はあるかと言う。魚のことかと思っていたら、芋の丸干しだと言う。茨城県などではわりと普通とのことであった。ネットでみたら、確かに売っているので、とりよせた。茨城県大洗産。写真の右下には対照群として通常のスライスしてつくる干し芋を置いた。
普通の干し芋が太いだけのものかと思ったが、そうでもない。丸干し芋は、とても軟らかく、ねっとりとしたペーストでも食べているかのようである。味も普通の干し芋と少し異なり、雑味が少なく、干し芋のおいしさが凝集されているかのようである。 ラボの皆にも好評であった。

2009年11月3日(火)

長見順居酒屋ライブ
長見順は、女性ギタリストで、シンガーソングライター。私の友人の田中英雄と大学で同じ軽音サークルだったらしく、田中氏から、長見順が居酒屋ライブ全国ツアーをしていて、家の近くの「まほろば」にも来るときいて、観に行った。 ブルースをベースにしているようだが、曲はオリジナリティーにあふれていて、歌は変幻自在。ギター演奏もとてもすばらしかった。すごいひとがいるものだ。八代亜紀の「舟唄」のブルースバージョンなんかもあった。写真でベースを弾いているは田中氏。

2009年10月28日(水)

「ちょい食べカレー」とは?
イトーヨーカドーで販促をしていたので、買ってみた。グリコが昨年から売り出していて、よく売れているとのことだったが、ラボの皆は知らなかった。 30gのスティックに入っていて、4本セットで220円。
「温めなくてもおいしい」とのふれこみどおり、クラッカーなどにのせてそのまま食べても、確かに味がしっかりしていて、結構おいしい。ポテトチップスにのせて食べてみると、じゃがいもの味とあわさって、カレーコロッケのような味がした。ビールのつまみにはなりそうだ。

2009年7月15日(水)ー18日(土)

免疫学会サマースクール
RCAI主催のサマープログラムが終わったと思ったらすぐに免疫学会のサマースクール。免疫学会教育推進委員というのは、任期が6年で、任期中に1回、自分がオーガナイザー代表になってスクールの世話をすることになっている。私は2004年の夏から参加してきて、2006年は主催、その後も毎年参加し、今年で最後。毎年夏に3泊4日のお務めはきつかったが、楽しいものでもあった。今年は、熊ノ郷先生主催で、場所は淡路夢舞台ウエスティンホテル。ちなみに、来年は国際免疫学会があるため開催されず、再来年は東北大の高井先生主催で仙台周辺で開催される予定。
サマースクールの魅力は、何と言っても豪華な講師陣であろう。で、もうひとつの名物は、毎晩深夜まで続く講師を交えてのフリートーク。スタッフの大事な仕事のひとつはお酒類をふんだんに供給し続けることである。私はお酒が好きなこともあって3夜x6年=18夜皆勤した。写真は最後の夜、片付けが終わってから。深夜3時半くらいだったが、皆まだ元気そうだ。私が抱えているのはごみではなく余ったお菓子。。

2009年9月4日(金)

横浜研サマーパーティー
理研横浜研では、毎年外国人研究者とその家族を対象にしたサマーパーティーが開催される。参加者は80人くらい。昨年に引き続き、アトラクションとしてNegative Selectionの演奏会を行った。
British Rock Nightと称して、Jimmy Hendrix, Deep Purple, Led Zeppelinの曲を演奏。ドラムは、今回から参加の、東大医科研の北村俊雄先生。アンコールで谷内先生登場、Michel Jacksonの「Thriller」を唄った。
唄が終わり、ゾンビ踊りに移行するところで、私の死体演技に驚いて逃げ出す女の子。
ばっちり揃ったゾンビ踊り。好評だった。また機会があれば再演しようと思う。参加者募集中。一時間くらいあれば覚えられます。

2009年8月15日(土)

洛北高校軽音OBコンサート
私は高校時代はバンドはやってなかったが、高校の軽音OBには友人が多く、京都のライブハウスで催されたOBコンサートを聴きにいった。そこで実に久しぶりに旧友早藤昌弘氏に会った。彼はブラウン大学卒業後、通産省に入省、その後スイスのWTO(World Trade Organization)に出向し、そのままWTOの職員になった国際人。
田中英雄氏(写真中央、6月4日の記事参照)率いるおじさんロックバンド「みやこロックショー」に、ゲスト出演中の立花成樹氏。とてもロックな声だ。TBSの技術系社員であるが、大学卒業後もバンドを続けている。ベーシストであるが、シンガーソングライターでもある。この日は、Negative Selectionとしては、学ぶことが多かった。

2009年8月16日(日)

カマキリがクマゼミを捕食
庭の方からセミのわめくような鳴き声が聞こえて来たので、見にいくと、何とカマキリ、それもまだ成虫になってない、そう大きくもないやつが、クマゼミを捕まえていた。クマゼミは激しく羽をばたつかせて逃げようとするが、逃げられない。そのうち羽のつけねのあたりから食べ始めた。カマキリ、おそるべし。 (松浦さん、変な写真を扱わせて、すみません。)

2009年8月7日(金)

ハーバード学生発表会、送別会
8月7日、ハーバードの学生達の研究発表会があった。皆、とても上手に発表して、さすがだった。Kellyの浴衣姿が印象的。左は打ち上げの食事会。
8月14日、いよいよ彼らのRCAI滞在最終日、送別会を6階ラウンジで開催。Deniseのピアノ演奏のあと、Negative Selectionの演奏。ドラムは、大野研の尾畑君。
しめくくりは、学生達による「California Dreaming」。西海岸の歌だからハーバード大とは関係ないが。Deniseは滞在中に学んだドラム演奏を披露。Andrewのシャウトと、間奏中のKellyのダンスがよかった。 2ヶ月半、お疲れさまでした!

2009年7月25日(土)

ハーバード学生、日本文化を学ぶ
イナゴの佃煮を試食する機会があった。ちょっとマイナーだが、日本の食文化のひとつであろう。佃煮にしてしまうと、何でも似たような味になってしまうのはいただけないが。
DeniseとAndrewは敬遠したが、何とKellyは、おいしそうに食べた。
これはスズメバチ入りハチミツ。スズメバチを食べる訳ではないので、別にどうということはない。

2009年7月14日(火)

自転車回収隊
7月9日のカラオケのあと、皆で鶴見に戻ってきたら、駅前に置いていたDeniseとAndrewの自転車が撤去されていた。翌日警察に問い合わせたところ、その日に撤去された自転車は尻手駅の近くの江ヶ崎町自転車保管場所にあるという。DeniseのはWillemの自転車であるし、Andrewのは岩野さんの自転車なので、私と岩野さんで乗って帰ることにした。 伊川君に車で保管場所まで連れて来てもらった。車で20分くらいかかった。
いよいよ理研に向けて出発。暑かったので、決死の覚悟だった。越智さんから、鶴見川沿いに快適なルートがあると教わっていたので、まず鶴見川にでた。確かに、景色の良い、信号も車もない堤防沿いのコースを、快適に走れた。下末吉あたりからRCAIのすぐ近くの横浜サイエンスフロンティア高校をとおりすぎるくらいまで、ほとんどずっと川沿いに走れた。全行程45分くらいの、予想外に楽しいサイクリングだった。なお、このルート、お昼はいいけど、夜は真っ暗で、かなり怖いらしい。

2009年7月9日(木)

RISP学生らとカラオケへ
RISP2009の最後の2日は、RCAI-JSI国際シンポジウム(パシフィコ横浜、7月9日、10日)の聴講ということになっている。 9日の夜はパンパシフィックホテルで国際シンポの懇親会があり、それがRISP2009の送別会もかねていた。 懇親会/送別会も終わり、やれやれと思って帰ろうとしたら、ロビーに30人くらいのRISP生らがたむろしていて、「今からカラオケにいきたい。連れて行ってほしい」と言い出した。
これはえらいことだと思った。チームリーダーは誰も残っていなかった。まだ残っていた増田さんとふたりで、覚悟をきめて「よし、じゃあ行こう!」ということになった。とはいえ、30人も入れるカラオケボックスなんてあるのか?ホテルのフロントにきくと、何と、ランドマークタワーの近くの地下街にあって、部屋も空いているという。 RISP生の他、ハーバード学生3人、RISP外人講師/シンポジウム演者数名(C. Lowell, F. Powrie, D.A. Haffler)など計30余名の一行を、ぞろぞろと連れて行った。
日本のカラオケの作法では「この曲は私がいれました、私が独唱します」と、ひとり、多くても2人くらいで前にでて歌い、まわりはそれを聴いてあげるというのが通例であろう。しかし、外人は、そういう作法を知らない。最初のうちは1枚目と2枚目の写真のように歌声喫茶のように席で皆で歌っていたが、そのうち皆で前にでて歌ったり踊ったりするようになり、無法状態になった。 マイケルジャクソンの曲、ダンシングクイーンなど、往年のヒット曲を延々2時間半くらい歌い、踊り続けた。。
ちょっと休憩。廊下の片隅でタバコパーティー。私もお酒をのんだときは、ときどき吸う。
カラオケでYMCA(もちろん西城秀樹のではなく、Village Peopleの原曲)を歌ったとき、YMCAに変えて「RCAI」と振り付き付きで踊りながら「It's fun to stay at the R.C.A.I.」と大合唱になった。帰りの桜木町の駅のホームで、その「RCAI」人文字を再現する学生達。

2009年7月4日(土)

横浜研一般公開
今年の一般公開は、事務との調整が不調で、RSIP2009と重なってしまった。そのため、普段はRCAI棟(北棟)で展示、ビデオ上映、実験教室などを行っているが、今年は交流棟の4階で展示のみを行った。ビデオ上映や実験教室ができなかったので、うちのラボとしては総じて楽ではあった。ラボで飼っているゼノパス、ゼブラフィッシュ、プラナリアなども展示し、人気だった。プラナリアは希望者(計20人)に無料配布した。
増田さんが一日はりついて解説した「動く心臓の細胞をみよう」のコーナー。好評を博した。マウスiPS細胞から誘導した心筋細胞が、拍動しているところがみられる。  

2009年7月3日(金)

サマープログラム(RISP2009)始まる
RCAIのサマープログラムが始まった。初日の講義のあと、6階ラウンジで歓迎パーティーが催された。今年は16カ国42名の参加者。  「あっと驚くタメゴロー」のような扮装をしているのはRCAIの大野先生。左端は、7月いっぱいうちのラボに研修することになったカナダのMcGill大学の学生の門田洋一君。大野先生の右は、Deniseと、サマープログラムの講師をされた千葉大の中島裕史先生。
パーティーでは恒例のNegative Selectionによるバンド演奏も行った。今回はpurple haze, mistreated, smoke on the water, rock'n roll, black nightを演奏。好評だった(と思う)。ドラムを叩いてくれたのは、中高時代からの旧友、大久保君(3月12日の記事参照)。専門であるキーボード演奏も披露してくれた。

2009年7月2日(木)

桂先生、胸腺内注射法を実演講習
桂先生は、胸腺内注射法(i.t. injection)の創始者である。うちのラボでもあまりできるひとがいないので、必要に応じて、ときどき桂先生自らが実演講習をしてくれる。胸骨をどの程度切るかがポイント。切り方が少ないと胸腺がみえないし、切りすぎると気胸を起こして、死んでしまう。 桂先生は、さすが創始者だけあって、見事な手技である。まだまだ現役だ。

2009年6月15日(月)

融合領域研究kick off meeting
OSC(オミックス基盤研究領域)とRCAIで、「人造細胞創成」という連携プロジェクトが発足した。まずはRCAIの融合領域プロジェクトのひとつとして当面の資金援助を受けられることになり、関係者で集まってkick off meetingを行った。RCAIで特定の免疫細胞を分離し、OSCでネットワーク解析を詳細に行い、そのデータをもとに線維芽細胞などから目的の免疫細胞に人工的に分化転換を誘導しようというプロジェクト。
Meeting後の発足パーティーにて、主要関係者である林崎OSC領域長(右から2人目)と、うちのセンター長(右端)が、将来の構想について協議しているところ(だと思う)。RCAI側のとりまとめ役は私で、OSC側は鈴木治和先生である。

2009年6月11日(木)

Harvard大学の学生お別れ会
Harvard大学の学生の夏期コースの生徒として、今年は3人がRCAIに来た。この週の月曜(6月8日)から8月14日まで、Andrew Burich は斎藤研、Kelly Brockは小原研、Denise Yeはうちをホストラボとして、研究活動を行う。この日は、6階ラウンジで歓迎会。
WillemとAndrewが、トロンボーンでブルースを演奏。 Andrew はブラバン歴があり、即興演奏の経験はあまりなかったとのことだが、Willemにリードされながら、いい演奏をしてくれた。
Deniseはクラッシックピアノがとても上手である。この日は独演ではなく、Willemとの連弾でブルースを弾いた。ちょっとテレはあったが、とてもいい感じで即興していた。

2009年6月9日(火)

帰って来たEricとStijn
かつてうちのラボにいたEric(前列真ん中)とStijn(後列右から2人目)が、KTCCで日本にきたついでに、ラボに何日か滞在した。ふたりとも、Erasmus大学でPhD studentとしてこちらで行っていた研究を続けており、もと指導者としては、嬉しいかぎりである。

2009年6月9日(火)

誕生日のケーキ
48回目の誕生日。ラボのスタッフが、心のこもったバースデーケーキをプレゼントしてくれた。こんな立派な誕生日ケーキ、みたことがない。しかもこれは、先日鶴見のイトーヨーカドーで私が買ったものだ。

2009年6月4日(木)

うちあげホームパーティー
国際KTCCの最終日の夜、京都に泊まっている人達を招いてジャムセッションつきホームパティーをするのが、半ば恒例化している。 今回は、いろいろなお酒を揃えるのに力をいれた。左は、案内状の一部。 30人以上来て頂き、大盛況だった。パーティーの様子は下記HPを参照されたい(居酒屋での飲み会の写真もでているが、おおむねホームパーティーのときの写真)。
http://ktcc.umin.jp/2009photos/photo200906-kawa.html
桂先生が贔屓にしている酒屋から、おいしい日本酒を5本とりよせた。実際においしかったのか、桂先生の講釈でおいしく思わされたのか、日本酒コーナーは大人気となり、あっという間に5本とも無くなった。写真は桂先生がAvinash Bhandoolaに薦めているところ
スタンダードジャズナンバーのジャムセッション。ピアノは、何と国立神経センターの山村隆先生。ドラムは、私の中/高の同級生で近所に住んでる田中英雄氏。トロンボーンは勿論Willem van Ewijkで、ベースは高浜先生。プロフェッショナルな演奏だった。
騒がしいロック音楽のセッション。ストラトキャスターを弾いているもうひとりのギタープレーヤーは、ラホヤ研究所のStephen Shoenberger。彼は高校生のときはギタリストになりたいと思っていたらしく、演奏は見事なものだった。大音量でpurple hazeとsmoke on the waterを演奏した。
一変して、高浜先生による三味線演奏。古典芸能の世界に引きずり込まれた。
ドラムを叩きにきてくれた田中英雄氏とWillem。ヒデオは本来ギターが専門だが、ドラムもとても巧い。中・高時代の友人で、早稲田大卒、画商をしている。彼の長男とうちの長男が小学校で同級生。
後列右から二人目はグラスゴー大のAlison Michie。かつてTuniga Pfluckerのラボにいて、T/NK前駆細胞の研究等をしていた。そこのラボの中川理名子さん(前列)(昨年12月25日のニュース記事参照)はこの秋から黒崎研に所属する事になった。後列右端はAlisonのご主人。ギターのコレクターで、コレクションの写真をみせてくれたが、ロックギターの腕前も大変なもので、Zeppelinのwhole lotta loveを飛び入りで演奏してくれた。
右から二人目は松尾さん。嫁の職場の眼科外来のスタッフのひとりで、今回は手伝いに来て頂いた。おかげで、とても助かりました。ありがとうございました。

2009年6月1日(月)

KTCC2009開催
2009年6月1日-4日 4年に一度のKTCC国際ワークショップ「KTCC2009」が、斉藤隆大会長のもとに、特定領域湊班「自己非自己」との共催という形で、開かれた。場所は京大の芝蘭会館。国外から80名以上、国内からは120名、計200人以上が参加。特筆すべきことは、数名を除いて殆ど全ての外国人が旅費の支援無しで、つまり自費できているということ。前回までのKTCCは海外からのスピーカーを集めるためにずいぶんと旅費援助をしていたが、今回からは海外の他の胸腺/T細胞の研究会と同じように「来たいヒトは自費でどうぞ」という姿勢にした。蓋を開けてみると、それでも多数の名だたる研究者が来てくれた。ありがたいものである。
左は参加者の集合写真だが、この写真を含め、KTCC関連の写真は下記HPに載っている。カンファレンス中のスナップ写真はRCAIの村橋さんが撮ってくれていて、参加者が皆かっこよく写っている。
http://ktcc.umin.jp/2009photos/photo200906.html

2009年5月29日(金)

自作のイラストが雑誌のカバーに!
Trends in Immunologyという総説誌の5月号には、Thymus/T cell biologyに関する世界の4つの研究会に関する記事が、KTCCの開催に合わせて掲載されている。チーフエディターのZoltan Fehevari氏の企画である。 Zoltanはもともと坂口志文先生のラボにいて、KTCCのことをよく知っているので、6月開催の国際KTCCに合わせて企画をしてくれた。高浜先生を中心に4つの会のオーガナイザー代表が集まって、それぞれの会の歴史や趣旨を書いた。その関係で、ZoltanがKTCC2009のポスター用に描いたイラストを5月号のカバーに載せてくれた。私も雑誌のカバーに絵が載ったのは初めてなので、大変嬉しい。 このイラストは、KTCC株式会社の従業員がレトロっぽい工場でT細胞づくりをしているという設定。なお同号には私と桂先生で書いた造血過程に関する総説も載っているが、その内容はこのイラストの表すところとは違うものである。
ちなみに、4つの胸腺の会とは、歴史の古い順にいうと、Rolduc meeting(オランダ、1989?)、KTCC(京都、1991?)、ThymOz(オーストラリア、1995?)、ThymUS(アメリカ、2001?)である。この4つで、Global Thymus Networkという組織を形成していて、毎年ひとつづつまわりもちで開催している。

2009年5月20日(水)

横浜サイエンスフロンティア高校の生徒達
2009年5月20日・22日 横浜サイエンスフロンティア高校の科学部(正式名称は違ったような….)の部員達がラボに来た。顧問の小島先生も一緒に来られた。その2日後、別なグループの生徒達(左下の写真)もラボに来た。主な目的はコガエル、プラナリアなどの引き取りである。
合計して、ゼノパスの子ガエル60-70匹、オタマ50匹くらいを引き受けて頂いた。これで、ラボで飼っていた大幅に減った。ほっとしたような、それはそれでさびしいような….。

2009年5月19日(木)

尾崎先生・門田先生来られる
尾崎先生(後列左から2人目)と門田先生(同3人目)が久しぶりにラボに来られた。尾崎先生の率いる医療法人北斗会と株式会社クローバーは前駆細胞増幅法などの研究費の一部を出して頂いているスポンサーである。このあと焼き肉を食べにいった。門田先生の御長男はカナダの学生で、この夏にうちのラボに一ヶ月ほど研修に来る予定。

2009年5月2日(土)

免疫ふしぎ未来2009展開催
2009年5月2日-3日   河本 宏 「免疫ふしぎ未来」は、免疫学会が一般のひと向けに行う、展示、講演などのイベントの総称。5月頃を中心に、各地でさまざまなイベントが行われる。今年で3回目。中心となるのはお台場の日本科学未来館で行われる展示イベントと口演イベントである。 展示物の中では、今年の目玉は、iPS細胞から誘導した心筋細胞。詳しくは、各地探訪よもやま話のコーナーに載せている「免疫ふしぎ未来2009開催記」を参照されたい。
大人気の実験動物展示コーナー。諸事情でマウスは展示出来ないので、うちのラボで飼っているアフリカツメガエル、ゼブラフェイッシュ、プラナリアなどを運び込んで展示している。 特にコガエル達は大人気だった。見入っている女の子はうちのラボの芝野さんに似ているが、芝野さんではない。オヤガエルの花子と太郎は会期中よく産卵姿勢をとっていて、実際に産卵もした。その卵から、またオタマが50匹くらい生まれて、今、育ちつつある。里親募集中。
今回うちで新たに作製した、GFP観察箱。 GFPはオワンクラゲ由来の蛍光タンパクで、このタンパクの発見で、昨年下村博士がノーベル賞をもらったことを記念しての展示。 紫外線を発するトランスイルミネーターを固定した段ボール箱に、越智さんが黒画用紙を貼ってくれた。中の試験管立てには、GFP遺伝子を導入したマウスから取り出した組織(皮膚など)が入った試験管を立てている。
紫外線ランプをつけたところ。2本ずつの、左がGFP導入マウスの組織、右側は正常マウスの組織。バカ光りする訳ではないので、子供にはあまりうけなかったが、むしろ大人が感心してみてくれていたようである。

2009年4月5日(日)

横浜サイエンスフロンティア高校開校式
横浜サイエンスフロンティア高校(YSFH)が鶴見小野にいよいよ開校。科学技術顧問をしている関係で、開校式に参列した。理研の和田昭允先生が常任スーパーアドバイザー。科学技術顧問には、理研横浜研からは私をあわせて3人があたっている。 式では、横浜市長の中野氏や、スーパーアドバイザーの小柴昌俊先生(左の写真)のあいさつなどがあった。
高校生の時から本物のサイエンスにふれさせ、日本の将来の科学技術を担う人材を育てようという目的で、横浜市がすごい意気込みでつくった学校である。 建物も立派だが、天体観測ドーム、20にも及ぶ理科実験室、電顕、CO2インキュベーター、クリーンベンチ、P1温室など、高校としてはあまりにオーバースペックな設備を備えている。実験設備という点では、明らかに高校日本一だろうし、世界でもそうは無いであろう。 横浜県下では最高の競争率だったそうである。確かに、新入生は皆、かしこそうな顔をしていた。新入生の皆様、難関突破、おめでとうございます。

2009年4月4日(土)

カエル観察
孵化後53日目。もっとも早い個体がカエルの姿になって、約3週間。もう8割以上がカエルになった。 カエルになってから、一週間くらいで、オヤガエルのような体型になる。 こうなると、あまりかわいくないような…。
オタマと共存させておくと、オタマの尾をかんだりしていじめ殺す事故が発生したので、1週間くらい前からカエルとオタマを別水槽に分けた。 食欲はすさまじく、餌をやると、カエル団子になって、争うように食べる。  
食べる量は個体差がはげしい。それほど沢山やっている訳ではないが、中にはおなかがはちきれそうにまで食べるやつがいる。

2009年3月26日(木)

Negative Selection Live in 鎌倉
国際CD1d/NKT細胞シンポジウムのレセプションで、演奏した。2年毎に開催される会で、今回はセンター長が主催者。200人弱の参加者のうち120人以上が外人という、国際度の高い学会だった。 ポスター賞の授賞式のあと、国立精神・神経センター神経研究所の山村隆先生がピアノソロでジャズのスタンダードナンバーを数曲演奏された。素晴らしい演奏だった。
そして、Negative Selection登場。 Purple haze, あんたのバラード、ひきがね、Smoke on the waterという、いつもの曲を演奏した。アンコールが自然に起こったので、まずはうけたということだろう。アンコールでは、2億4千万の瞳を演奏した。 しかし、こんなに外人が多いのなら、もう少し洋物の曲をやるべきだったように思った。
海岸沿いのバーで、石井先生も交えて打ち上げの飲み会。左から、石井先生、大野先生、石戸先生、私。湘南の夜をまったりと楽しめばいいものを、いつものように酔っぱらいのカラオケ大会みたいになってしまった。周りにはさぞ迷惑だったであろう。

2009年3月17日(火)

オタマ、すっかりカエルに…
孵化後35日目。はやい個体は、もう殆どカエルといっていいような姿になっている。サイズは、オタマ時代の極大値に比べると、随分小さくなっている。  カエルになるとき、まず頭部がひきしまってきて、次に尾が短くなり始め、その頃にヒゲがなくなる。これらの変化につれて比重が重くなるようで、それまではふわふわ浮いて尾は水面に向けてひらひらさせていたのが、水底に接地して、尾もひらひらさせなくなる。もっとも激しく変態する3-4日間は、あまり餌を食べていないように思える。
ほぼカエルになった個体。黒ずんだ尾っぽが、痕跡程度に残っている。親ガエルと同じような動きをするようになってきた。餌も食べるようになるが、もはやオタマのときのような細かい植物性の餌には見向きもしない。亀や金魚用の餌(魚のすり身などを主に含む)の小さい丸い粒を水面に浮かべておくと、呼吸をしにあがってきたときに気がついて、親ガエルと同じように前肢でたぐりよせてむさぼるようにして食べる。とてもかわいい。 河本 宏

2009年3月13日(金)

和田さん、おめでとう
和田さんの昨年4月のNature論文が、今年度のRCAIのExcellent Paper Awardのひとつに選ばれた。随分前の論文のような気もするが、2008年度のうちではある。和田さん、おめでとうございます。それと、いい仕事をしてくれて、ありがとうございました。 河本 宏

2009年3月12日(火)

大久保氏来所
中高時代の同級生の大久保博志くんがラボを訪れた。慶応卒で、数年前オムロンを辞めて独立、Progressという会社を起こし、広報関係の仕事をしている。  かれは中高時代からバンドをばりばりやっていて、専門のキーボードは、一時プロの歌手のバックバンドをしていたくらいの腕前だが、ギター、ベース、ドラムも弾きこなす才人である。  いわゆるプログレマニアで、キースエマーソン、テリーボジオ、トニーレヴィン等を愛する男である。また、フランクザッパが大好きな私にとっては、私以上にザッパフリークである彼は、ザッパの話ができる貴重な存在である。
この日は、ひとしきり研究の話などをしたあと、Negative Selectionのメンバー(大野先生、石戸先生)を呼んで、6階ラウンジでセッションを楽しんだ。彼はドラムを担当したが、purple haze, smoke on the water, あんたのバラード、ひきがねなどを、突然合わせたにもかかわらず、完璧に叩いていて、さすがだった。  彼は漫画オタクでもあり、高校時代は漫画の回し描きをした仲であった。この夜も酒を飲みながら手塚治虫の神髄(変態性)についてなど、ひさびさに漫画の話を楽しんだ。 河本 宏

2009年3月11日(水)

オタマに「て」が!
孵化後29日目。さらに大きくなった。最近は、オヤガエルと同じ餌(テトラレプトミン、魚のすり身含有)も20-30%くらい混ぜてすりつぶしてやっている。こうして大人の味を知るようになる?
2日くらい前から、前肢が生えている個体が散見されるようになった。 今日は、中にはすでに「しっぽのはえたカエル」っぽくみえてしまう個体も…。 こういう個体は、泳ぐときにすでに後肢もよく使っている。大きさは、しっぽが短くなっているのと、頭部の「エラ」の張りが弱まっている分、むしろ少し縮んでいるようにみえる。河本 宏

2009年3月10日(火)

エアープランツ開花
スタッフ居室の窓際で育てているエアープランツ(チランジア)が咲いた。紫の筒状の部分が花。この鉢は直径10cmくらいだから、小さくて、じみな花ではある。京大の湊研にいたときから育てていて、愛着があるので、特に珍しい花でもないが、ラボニュース欄に載せることにした。  普段は全くと言っていいほど変化のない植物だが、開花の頃になると、花の咲く株は1週間くらい前から葉が赤っぽくなる。毎年この時期に咲くので、室内栽培とはいえ、ちゃんと季節を感じとっているのだ。  エアープランツは、乾きに大変強い。この株は鉢植えしてあるが、植物体だけ、ぽんところがしておいても、そうそう枯れることはない。  かつてラボ川柳で「エアープランツ親株子株で みずいらず」と詠んだことがある。落選したが。 河本 宏

2009年3月4日(水)

オタマに足が!
孵化後22日目。大きくなった。最近は、餌もよく食べ、水もすぐによごれるので、毎昼休みに、半量を汲み置き水でかえている。
大きい個体は6cm近い。 1今日、となりのラボのひとが気がついてくれたのだが、確かによくみると、大きめの個体では、あしが生えてきている!
上の写真の拡大。小さいながら、いつの間にか、このフトモモ….すでに立派なカエルの脚だ。 松浦さん、またしてもこんな写真を扱わせてすみません。え、ほんとに悪いと思っているならさせるなよって。うむ。 河本 宏

2009年3月3日(火)

プラナリア近況
免疫ふしぎ未来展や横浜研一般公開のときに展示あるいは配布しようと思って、プラナリアをゆっくりとではあるが増やしている。TL室で直径15cmくらいのガラス鉢3個で飼っている。黒っぽくみえるのは、藻とモノアラガイの糞。見た目はきたないが、残しておいた方が水質が安定するのか、プラナリアの調子がいい。
一番右の鉢。週一回、凍らせた鶏のレバーの細片を解凍して、薄く切って与えている。レバーをやって30分くらいして集まってきたところ。このペースの餌やりでも、少しずつ増えて行く。この鉢は500-600匹くらいはいると思われる。
上の写真の拡大。白っぽくみえるのはレバーの断片。争うようにたかって、うごめいている。  松浦さん(HPをつくってくれている人)、気持ち悪い写真を扱わせて、すみません。
端の方には、すでに食餌をすませて一服中のやつらもいる。体の真ん中のぽこっとした部分は、満腹状態の胃と思われる。 河本 宏

2009年2月18日(水)

友、広島より来る
大学時代の美術部の後輩、吉岡伸くんがラボを訪ねてきてくれた。1994年に催したOB展「10年後の春展」以来だから、15年ぶりである。  美術部関係のつきあいだけでなく、軽音でやってたプログレ系のバンドにボーカルとして参加してもらってもいた。  広島県の某繊維会社の社長の息子で、いわゆる地方の名士の家系である。彼の父親は宮沢喜一の後援会の会長で、結婚式には宮沢喜一が来たという話もある。農学部卒であるが、卒後しばらく東京の経営コンサルタント会社で働いた後、家業を継いだらしい。その後それなりには苦労もあったようだが、なんだか恰幅がよくなり、すっかりそれらしい雰囲気である。学生時代の彼は、無頼派くずれという感じだったのになあ。  酒を飲みに行っていろいろと話をすると、うちのラボの将来的な研究の構想と、彼の人脈がつながることがあるかもしれないとも思えた。いい酒が飲めた。旧交を温めるのもいいものである。 河本 宏

2009年2月13日(金)

増田さん、シカゴのAAAS年次総会でiPSプロジェクトを喧伝
2009年2月13-15日  2月13日から15日までシカゴでAAAS(American Association for the Advancement of Science, アメリカ科学振興協会)の年次総会が開かれた。科学全体を扱う総会である。 AAASはScience誌の発行元でもある。  JSTとRIKENが共同でブース出展し、日本の科学・研究を紹介した。JSTからCRESTやERATOという形で研究費を受けているRIKENのグループが研究を紹介することになった。 増田さんはそのうちの一人として派遣されたわけである。  古関iPSプロジェクトの研究内容についてのプレゼン(20分)を、3日間の間に計5回したそうである。お疲れ様!  詳しくは、各地探訪よもやま話のコーナーの、増田さんが書いたAAASレポート記事を参照されたい。

河本 宏
AAAS report

干しバナナ
プエルトリコのThymUSミーティングから帰ってから1ヶ月ほど旅行カバンをほったらかしにしていた。すると、バナナがカバンの中で腐った。閉鎖空間でバナナが腐ると、液体状になることを知った。 ラボでその件に関して「悪臭を放っていたが、ちょっと干しバナナの臭いにも似ていた」と解説したら、若い人達は「干しバナナ?バナナチップのことですか?」という。伊川君さえ知らないという。
ネットで調べたら、ちゃんと今でも売っていた。上野の店からネットで取り寄せたものが左の写真。見た目が悪いため皆食べるのをためらっていたが、味は意外といけると好評。ちょっとすえた臭いがして、味はややくどいが、干し柿に似た味で、なかなかおいしい。 桂先生は「お、干しバナナだな。懐かしいなあ。」と言って1本おいしそうに食べられた。昔は普通に売っていたのだ。私くらいまでが干しバナナ世代ということか。

2009年2月9日(月)

アフリカツメガエル、産卵!
アフリカツメガエルの産卵は普通はホルモン注射で誘発するか、あるいは寒冷状態でしばらく飼う必要があるという。  うちのラボの飼育環境では、温度が安定しているので、この2年間、卵を産まなかった。ところが、このたび、突然、産卵したのである。  角川くんと佐藤さんが、気がついた。おやがえるが産卵姿勢をとっているので、下の方をよくみたら、卵があるというのだ。
興味のある方はこちら!
ラボの生き物 オタマ誕生
確かに、砂礫の上にぱらぱらと、からみつくように卵があった。おろかなことに、メスがえるが、自分で産んだ卵を次々と食べていた。あわてて砂礫ごとすくって、小さな飼育ケースに移した。2日後、200匹くらい?のオタマが孵化した。仕方ないので、育てることにした。無事に育つのか?続きは「ラボの生き物」コーナーで! 河本 宏

2009年1月22日(木)

増田さんと越智さんの歓迎会
増田さんと越智さんの歓迎会を催した。横浜のとあるレストランでおいしいフランス料理とワインを楽しんだ。ワインのセレクトはWilfred。    河本 宏

2009年1月17日(土)

恒例スキーツアー
2009年1月17日(土)-18日(日)  WillemやWilfredが冬に来たときには、週末は信州にスキーに行くのが恒例になっている。このところ8年くらい続いていて、白馬乗鞍2回、志賀高原2回、野沢3回で、今年は久々に志賀高原。土曜日の朝鶴見を8時頃出て、新幹線を使い、午後1時には現地に着く。日曜日は3時くらいまで滑って、鶴見には夜9時頃に帰れる。  今年は冬型気圧配置で荒れるかもといわれながら、雪質も天気もベストの状態だった。写真は一ノ瀬の上から焼額方面を背景に、左から糸井先生、Willem、Wilfred、私。 河本 宏

2009年1月16日(金)

糸井先生来訪
京都の明治国際医療大学(前明治鍼灸大学)の糸井マナミ准教授に来て頂いた。  胸腺環境について2時間くらいラボ内セミナーをして頂き、大変勉強になった。写真は鶴見駅近辺でオランダ人らしき外人にからまれて困っている糸井先生と増田さん。  河本 宏

2009年1月10日(土)

オランダに寒波到来

ヨーロッパを大寒波が襲った。オランダの運河も凍り付いた。温暖化の影響か、このところここまで寒くなることはあまりなかったらしく、12年ぶりとのことである。  写真の背後左端がWillemの家。 Willemの家は、マース河の旧流路を利用した運河に面していている。このあたりの気温はー10度くらいで、氷は10-20cmの厚さがあったという。Wilfredの家の近辺(マーストリヒト)では、ー18度まで下がったらしい。  運河を通ってスケートでオランダのあちこちに行けるらしい。また、こういう時は氷上100kmスケート走大会なども催されるそうである。  もっとも、ときどきWind Holeという氷の薄い部分があって、高速でつっこむと氷の下に入り込んでしまうこともあるらしく、それなりの危険は伴うらしい。  下の写真でスケートをしているのはWillemと息子さんのJan。  それにしても、自分の家のバックヤードでヨット遊びやスケートができるなんて、うらやましい限りではある。

2009年1月8日(木)

シベリアとは
少し前のニュース記事で言及したシベリア。関東地方限定のお菓子である。新年早々松浦さんが買って来てくれた。カステラにこしあんが挟んであるだけのものであるが、関東では昔からあり、大正時代は食べたいお菓子の筆頭だったともいう。   脈絡の無い名前から、何となくバッタものくさいと疑ったが、ヤマザキ製だった。大手がつくっているとは…。  味は、見た目どおりだった。カステラの部分がきめが細かくしかもふうわりとしていて、結構おいしかった。羊羹を挟んだものもあるようだが、食したものはこしあんだった。 河本 宏