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ラボニュース 2024

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2024年11月5日(火)

「革新がん」に採択された
河本研が進めている「iPS細胞から作製したキラーT細胞による急性骨髄性白血病治療法の開発」が、医師主導治験の準備としての非臨床試験を進めるための開発研究が、AMED「革新がん」に採択された。正確には、以下のカテゴリー。
【Field3-4】新たながん治療薬(再生医療等製品)の治験(医師主導治験又は企業治験)への移行・導出の準備を完了することを目的とした非臨床試験
同じカテゴリーに8つの申請があった中で、2課題がヒアリングに呼ばれ、採択されたのは1課題という、狭き門だった。
 3年間の研究期間で、直接経費が初年度6000万円(上限)、2−3年度目7700万円/年(上限)という大型の予算で、主にはCPCでの細胞製造や、製造した細胞の安全性と有効性の検証などに用いる。

令和6年度 「革新的がん医療実用化研究事業」(二次公募)の採択課題について:

2024年11月2日(土)

「祇園・爆音 オルガンの狂宴」ライブを鑑賞
表記のイベントがライブハウスSilver Wingsで開催された。大久保君に誘われて、ライブを鑑賞。以下はライブハウスHP中の解説文。
“オルガンロックをこよなく愛する3バンドが、京都に一堂に会するイベント!地元京都からプログレハードロックトリオの「うしみつどき」、富山からQuatermassのトリビュート、翼竜こと「Pteranodon」、そして名古屋からELPトリビュート「The Sons of Eve」。”
The Sons of Eveのキーボーディストは、大久保君の友人であるらしく、中学校の技術の先生とのこと。ELPのキースエマーソンのフリークであって、さらに機材へのこだわりがすごく、ほぼキースの機材を再現しているらしい。写真は「箪笥」とも呼ばれるMoog(モーグ)というシンセサイザーの本体。初めて見た。ワンマンコンサートの時はさらに機材が積み重ねられるという。下はハモンドオルガン。
対側にはハモンドオルガンとMini Moog。
Mini Moogの裏側にはKeith Emersonのサインが!
「うしみつどき」と「Pteranodon」は共にハモンドオルガンを主体としたプログレバンドで、レスリースピーカーで鳴らしたオルガンサウンドに酔いしれた。そして、The Sons of Eveの演奏。聖地エルサレムや、タルカスなどを聞くことができた。本物のMoogを使った再現性の高いシンセの音に感激した。
キーボードソロでは、キースのライブパフォーマンスをしっかりと再現していて、驚かされた。リボンという附属機の長い板の上に指を滑らせると、音が上下する効果が得られる。キースのリボンでお尻をこするパフォーマンスを再現。
ハモンドオルガンは、構造上、ガンガン動かして振動を与えると、グワーンという響きが鳴る。壊れてしまうのではないかと心配するくらい、高価な楽器を揺らしたり、ちょっと落としたりして、すごい音を出していた。
オルガンの鍵盤にナイフを刺すパフォーマンスも見事に再現。鍵盤に刺すと言っても、鍵盤の間に刺して左右の鍵盤を押さえた状態に固定して音を鳴らし続けるということで、壊している訳ではない。
さらに、オリジナルと思われる、日本刀を突き刺すパフォーマンスを披露!すごい!
ライブ終了後、大久保君がキーボーディトのVoyagerさんに、チューニングの仕方などについて、あれこれ質問をしていた。

2024年11月1日(金)

KyotoU channelが免疫学を特集
KyotoU channelは京都大学公式の動画配信サイトで、ちょうど1年前に開設となった(2023年11月1日の記事参照)。毎月特定の分野やテーマで特集をして、関連動画を集めて、見やすくしてくれている。今回のテーマは免疫学で、サムネイルに私のイラストを使っていただいた。このイラストは以前にターザンという雑誌に描き下ろしで提供したものだ(2019年12月19日の記事参照)。
KyotoU channel HP:
左は、免疫特集の中で紹介されている動画。医生研表チャンネルや、裏医生研チャンネルの動画が沢山紹介されていて、ありがたい。
KyotoU channel 月間特集 免疫研究最前線:
ここで紹介されている動画は、以下にリンクを貼っておく。

File1:血液細胞を知る、創る!再生免疫学分野【河本宏研究室】
第64回:【ノーベル賞特番①】免疫学から見るmRNAワクチンのしくみ
第35回:【裏講義】花粉症の免疫学
第22回:【新着論文】体の中の生きる化石⁉マクロファージに迫る!
第21回:【裏講義】T細胞と樹状細胞の密な関係!
令和3年度 秋季講義:新型コロナと免疫:免疫は味方か敵か?ワクチンの仕組みは?(京都大学春秋講義)
なお、KyotoU channelのオススメ動画欄では、裏チャンネルの「ワイルドなリゾート」が紹介されている。見返してみると、我ながら結構面白い。

第47回:【研究者のお仕事】ワイルドなリゾート!ThymOz2023に行ってきた④:

2024年10月29日(火)ー11月1日(金)

東アジアシンポジウムに参加
表記の会が台湾で開催された。ホストは国立台湾大学医学院 生物化学・分子生物学研究所(Institute of Biochemistry and Molecular Biology:IBMB)。このシンポジウムは1994年に始まり、以下の9研究所が参加していて、順番にホストしている。医生研は2017年にホストした(2017年10月17日の記事参照)。
・東京大学医科学研究所(日本)
・ソウル国立大学分子生物学遺伝学研究所(韓国)
・順天郷大学順天郷医学生物科学研究所(韓国)
・上海生物化学・細胞生物学研究所(中国)
・国立台湾大学医学院 生物化学・分子生物学研究所(台湾)
・国立台湾師範大学(台湾)
・京都大学医生物学研究所(日本)
・沖縄科学技術大学院大学(日本)
・上海科技大学免疫化学研究所(中国)
 この会は基本的には上記の9研究所のそれぞれがPIを4人、若い研究者を4人送り込むという方式で成り立っている。新任のPIを紹介するという役割もあるが、基本的には最近いい仕事をした人を参加させて、研究所の活動をアピールするという感じだ。
 今年は医生研からはPI枠で望月敦史先生、伊藤貴浩先生、杉田征彦先生、Alexis Vandenbon先生、若手研究者枠では金子泰洸ポール先生(新宅研助教)、神田雄大先生(朝長研助教)、吉本昴希さん(安達研大学院生)、荻原龍馬さん(永楽研大学院生)が参加した。
初日の早朝関空発の便に乗るために、前日は関空の日航ホテルに宿泊。
ピーチ航空を使った。骨免疫学会の沖縄便(2024年6月29日の記事参照)に続いてピーチ航空の使用となったが、スケジュール的に都合が良かったということであって、特にLCCが好きという訳ではない。
機内販売の、カップヌードル(400円)とビール(500円)。機内食としては、これで十分だ。
台湾の桃園空港に到着後、時間に少し余裕があったので、空港内で早めの昼食を取りつつ、メール仕事。空港内にあるコンビニで、台湾おでんを購入。具材は日本のおでんとかなり共通している。汁は、醤油ベースの甘辛な感じで、日本の昆布ベースの出汁味とはかなり違ったが、それなりに美味しかった。なお、日本でもおでんの汁や具は地方によりかなりバリエーションがあったりする(名古屋のみそおでん、姫路の生姜醤油で食べるおでん等)ので、特に違和感は感じなかった。右の鍋の上段中央は豚の血が入った餅で、血生臭さはなく、普通に餅として美味しかった。
おでんの価格表。1台湾ドルが約5円なので、具材は一つ100円〜200円といったところ。食べ物の価格は、総じて日本と同じか、ちょっと安いくらいだった。
空港からMTR空港線で台北車駅へ。少し歩いて松山新店線の北門駅から公館駅へ。写真は公館駅を出た所の街並み。
公館駅のすぐ近くに、台湾国立大学が運営しているホテル「Just Sleep Taipei NTU」に荷物を預けた。
今回の会場があるConvention Centerは、上記のホテルのすぐ隣。芝蘭会館と芝蘭会館別館を合わせたような施設と思われたが、コンビニや、ちゃんとした中華料理のレストランなども入っていて、とても使いやすそうだった。
Convention Centerの地下のホールが、今回の会場。地下なのに、座席に傾斜がある、立派な会場だった。今回は、政治的な問題で中国政府からの要請があったとのことで、上海の2研究所からは中国籍の研究者の参加がなかったので、参加者はやや少なかったが、それでも十分賑やかな会だった。
ホスト機関である台湾国立大学の生物化学・分子生物学研究所(IBMB)の所長、Ming-Shyue Lee(李明学)先生による挨拶。
コーヒーブレークには、台湾のお菓子が供された。
御子柴克彦先生(上海科技大学免疫化学研究所)は、今回は細胞質内でも安定して使える抗体を使えるようにする技術(Stable cytoplasmic antibody: STAND)について話をされた。御子柴先生は昨年も東アジアシンポジウムに来ておられ、裏医生研チャンネルでインタビューをさせていただいた(下記参照)。
第76回:世界で活躍するには?先生方に訊いてみた!東アジアシンポジウムin韓国 part4:
今回宿泊したホテル(JUST SLEEP Taipei NTU)の室内。十分広くて、いい感じだ。
ベッド。
チェックインした後、convention centerの建物の一階にある台湾料理のレストランで、ウエルカムディナー。Lee先生が挨拶。「KAVALAN」という台湾で作られているウイスキーも供された。
前菜。日本料理に近いものが多く、どれも美味しい。
魚介類を使ったおこわ。
豚の角煮を使った豚饅頭。
こんな感じではさんで食べる。美味しかった。ビールによく合う。
医生研からの参加者のテーブル。左端から時計回りに、金子先生、神田先生、杉田先生、望月先生、伊藤先生、Vandenbon先生、吉本さん、荻原さん、私。
Directorのテーブル。
チキンの煮込み。肉も美味しかったが、スープがとても美味しかった。
初日、ディナーの後、有志でホテルのすぐ近くの夜市へ。
ディナーがフルコースだったので、あまりお腹に余裕がなく、ちょっと食べるだけにした。医生研メンバーに加えて、山梨裕司先生(東大医科研、向かって左から2人目)、中西真先生(同、3人目)、御子柴先生(5人目)。
ここで食したのは、「麺線」と呼ばれる料理。煮込まれてのびたソーメンのような細麺に、牛肉、パクチーが入っていた。スープは、肉の出汁がよくきいていて、とても美味しかった。お箸が欲しいと思ったが、これはスプーンで食べるものらしい。
二日目。ポスターセッション会場。
望月先生の講演。独自で開発されたLinkage logicという理論について話された。
伊藤先生の講演。腫瘍幹細胞と代謝について話された。
二日目は宿泊したホテルのイタリアレストランで、各自で随時という形式だったので、軽く済ませて、有志で再度夜市へ。台風21号が迫ってきていた。写真は22時の衛星写真。台北には濃い雨雲はまだかかっていない。風は吹き始めていて、雨もぱらついていたが、セッション終了時にオーガナイザーから「士林夜市ならインドアなので今晩は大丈夫」というアナウンスがあったので、その情報に従い、日本からの参加で誘い合わせて、士林夜市へ。
地下鉄に乗り継いで、20分くらいで剣潭駅へ。士林夜市は、台北を代表する夜市であるらしい。ネットで見つけた地図と記事を参考にして、私がツアーガイドのような役割を担った。左の地図は以下のサイトから拝借。
(Explore by Expedia投稿記事)台湾・士林夜市のB級グルメを食べまくり!おすすめのモデルコースはこちら:
士林市場のメインストリートの前にて。この日は、昨日のメンバーに加えて、三宅健介先生(医科研、向かって左から6人目)と、医科研の若い人達も参加した。雨模様であったが、メインストリートの部分はアーケードになっていたので、普通に営業していた。市場の1階は、射的のようなゲームとか雑貨販売店ばかりで、食べ物屋さん街は、この地下にあるとのことだった。しかし、地下はちょうどリニューアルの工事中だった。
仕方がないので、このエリアを通り抜けて、上のマップで言うと③の矢印の付け根あたりで、良さげな店を見つけて、皆で夜食をとることにした。店の外の通路には小雨が降っており、傘をさして歩いている人もいる。まさに「ブレードランナー」の世界だ。
ビールは置いてなかったので、店の人の許可を得て、近くのコンビニで調達。
上の写真の奥の方のテーブルの、医科研の若い人達。
各自がご飯ものか麺類を一品づつ頼んで、他におかずを数品頼んだ。写真は私が食した、魯肉飯(ルーローハン)という、甘辛く煮付けた豚バラ肉の丼の、「小」。30元(台湾ドル)だから、150円。安い。味も良かった。
上は伊藤先生が食した豚の角煮丼、一品料理は左から豚の皮、豚の心臓、青菜、手前は鮫肉の燻製。どれも美味しかったが、鮫の肉は、よく言われているように少しアンモニア臭がして、ちょっ苦手だった。
メニュー表。12人で、料理は合計1400元(約7000円)だった。安い。一人50元以上頼む必要があるとのことだったが、軽くクリアしている。なお、この店は、取り皿をくれない、水やお茶をくれない、お手拭きが無い、ビールを置いてない、などの問題点はあったが、それは台湾のこういうタイプの店としてはおそらく標準的で、安かった上に、味もまずまずだったので、皆、十分楽しめたと思う。ただし、近くにある臭豆腐の店からの臭いが始終流れてきて、その点はちょっとつらかった。
三日目(31日)、朝9時の時点での台風。960ヘクトパスカル。昨日は910ヘクトパスカルに達していたので、少し勢力は弱まってきてはいる。それでも「非常に強い」というレベルで、北北西に向けて進んで、この日の18時ごろに台湾に上陸するという予報だった。台北付近もすでに台風の暴風圏に入っており、朝から風雨が吹き荒れていた。
朝8時からのDirectors’meetingは、ホテルの一室で開催された。昨年の会議で来年は沖縄科学技術大学院大学(OIST)、再来年は医生研がホストということになったが、その後OISTは無理ということになり、代わって来年は上海生物化学・細胞生物学研究所がホストすることになった。今回の会議では、まずはOISTが再来年ホストできないか、という議論になった。OISTからはAmy Shen先生(プロボスト、教授、写真向かって左端)が参加しており、検討されたが、「ゲスト用の建物が完成してホストしやすくなるのは2030年」ということになり、結局元どおりの案(再来年は医生研がホスト)ということで落ち着いた。
この日は、9時からのシンポジウムは、オンライン開催ということになり、各自ホテルの自室から、オンラインでの参加となった。写真は、お昼休みにホテル1階ロビーで配られた昼食。
午後はどんどん風雨が強くなっていった。窓越しに暴風雨を眺めつつ、オンラインでシンポジウムを視聴。
夕刻、3日間のプログラムをすべて終了し、Web上でグループ写真。
17時ごろ、台風が台湾の南東部に上陸した頃の、ホテルの前の写真と動画。かなりきつい。
上陸後も風雨は激しさを増したようで、夜の12時頃、風雨がおさまったのでコンビニに買い物に出た時に、ホテルの前の木が折れているのを見て、驚いた。夕方に上陸した後、暗くなってから、上記の動画よりさらに激しくなったということであろう。街路樹の太い幹が折れるなどということは、そうそうあることではない。2018年に近畿地方を襲った台風21号を思い出した(2018年9月4日の記事参照)。あの時も出町柳の柳の太い幹が割かれていた。今回の台風21 号は、ニュースによると、台湾にとって30年に一度というレベルであったらしい。
コンビニで遅い夕食と、お茶で茹でたゆでたまごを購入。
このお茶を使ったゆでたまごは、どのコンビニにも置いてあって、とてもポピュラーであるようだ。どんな味かと思うが、味は割と普通で、おでんの卵に比べると味が薄く、少しお茶の風味がする程度。
4日目の朝、上記の木の折れ口。
歩道には他にも、あちこちに大きな枝が散乱していた。
台風も過ぎ去ったということで、予定通り、フライトまで時間のある人達で、KAVALAN(カバラン)というウイスキーの蒸溜所を見学するツアーが催された。台北市の東の方に位置し、貸し切りバスで1時間半くらいだった。
蒸溜所のあたりでも、根こそぎ倒れている木を沢山見かけた。
樽の中での熟成についての話を聴く。
見学ツアーのコースで見れたウイスキーの蒸留に使うポットスチルという装置。すべて稼働中とのこと。奥がスコットランド製、手前のはドイツ製で、それぞれウイスキー、ジンを蒸留する装置との話だった。
樽に入れて寝かせて、香りをつける。ワイン樽、ブランデー樽、バーボン樽、シェリー酒樽など、いろいろなお酒を熟成させた樽をもらい受けて使うようだ。
テイスティングルーム。
ワイン、バーボン、マデイラワイン、ブランデーなどの、異なる来歴の樽で熟成させたウイスキーの風味の違いを試せた。ワイン樽のものは割とわかりやすかったが、他のは「そういえばそうかな」くらいしかわからなかった。
一通りテイスティングも終えて、一同でまったり。KAVALANは、以前に台湾土産として買って帰ってから時々嗜んでおり、甘い香りがして、割と好きだ。今回、あれこれフレイバーを楽しんだが、どれも美味しいという印象だった。
帰りはバスで空港まで送っていただけた。
桃園空港で早めの夕食。牛肉麺を食した。右下の黒いのはキクラゲ、右上はキムチ。
この日は、台風一過で、一応は全便飛んでいたが、前日の台風の影響が残っていて、私のフライトは1時間半ほど遅れ、関空に着いたのは夜12時前だった。さすがに終バスにも乗れず、やむなく空港内のホテルで宿泊。桃園空港で遅延が分かった時点で予約を試みたが、日航ホテルが満室だったので、隣のファーストキャビン関西空港というカプセルホテルを予約し、宿泊。一泊11000円。
泊まったのはビジネスクラスキャビンで、ファーストクラスキャビンだったら、もう少し広いようだ。とはいえ、昔よく使っていたカプセルホテルに比べると、立てるくらい天井が高いので、十分快適だった。
KAVALAN蒸溜所のギフトショップで買った6本。飲み比べのセットとして売っていたわけではなく、20種類くらいある中から、6本を選んだ。化学実験のセットみたいで、面白い。6本で7000円くらい。
          

2024年10月25日(金)

衣食住セミナーに参加
このセミナーは、建築家の人達が共同で主宰しているセミナーで、3ヶ月毎に開催されているが、この所の2回は他用が被り参加できなかったので、久しぶりの参加となった(2024年1月12日の記事参照)。今回のセミナーの主旨は、「主催者側の3事務所の代表・吉原雅人(吉原組)×安井昇(桜設計集団)×岸本耕(鯰組)が、『木造・木質』をキーワードに、色々な切り口のお題で語る」であった。この3人は同じ事務所スペースをシェアして使われている。吉原さんは木や石などの素材の質感を活かした建築や内装をされる設計士、安井さんは防火に関する技術の開発研究者、岸本さんは建築士でありつつ大工の棟梁、という感じで、三者三様であるから一緒に仕事ができているんだろうなと思われた。
このセミナーがいい点の一つは、セミナー後の会食。今回は、調理にプロの料理人を招聘されていて、独創的なおばんざいが供された。
写真を見ただけで「絶対美味しいやつ」とわかる料理。
いろいろな分野の人と話ができるのも、この会のいいところ。大久保さんと共に、岸本さん(写真向かって右端)の関係者の方々と話ができて、楽しかった。

2024年10月23日(水)

若手職員向け研修会「Zoomのお昼の校内放送」に登壇
松山祐輔さん(京都大学研究推進部研究推進課研究戦略掛[兼]研究企画調査室)が中心になって、京大の事務系の若手職員に向けたオンライン研修会をやっているらしく、この日、お昼の12時10分から45分まで、zoomで登壇させていただいた。研究所の紹介、研究内容の紹介をざっとした後、科学コミュニケーションへの取り組みを、裏医生研チャンネルの制作についての話を軸にして、紹介した。写真向かって左は松山さん。

2024年10月18日(金)

日立webメディア「Linking Society」についての打ち合わせ
日立は「Linking Society」というwebメディアで、未来に向けての課題を考える対談記事を、毎週発信している。内容は科学、文化、経済など、非常に広い分野をカバーしている。それぞれのテーマは切り口が鋭く、またどの記事も対談形式なので読みやすい。このサイトに登場することになって、この日、打ち合わせが行われた。向かって左から武田志津さん(日立神戸ラボ長)、半澤宏子さん(日立神戸ラボ主管研究員)、私、田中久乃さん(主任デザイナー)、小平千春さん(広報担当)。
「Linking Society」HP:
上記HPより、「Linking Society」の「問い」と「テーマ」についてのキーワード。こうやって色々な問いやテーマのキーワードを見ていると、普段から考えておくべきことが沢山あるんだなあ、と思う。
「技術」と「手法」についてのキーワード。これらの概念をそもそも知っているか、何かを語れるか、と自問自答すると、自分が今時代にどれくらいついていけているかがわかる。勉強しないと。

2024年10月17日(水)

いまからサイエンスに出演
「いまからサイエンス」はBSテレビ東京で毎週水曜夜10時から放映されている40分くらいの科学情報番組。16日水曜日に出演して、ウイルス感染症治療用T細胞製剤について話をした。MCは加藤浩次さんとアナウンサーの古旗笑佳さん。
 多分1週間くらい(24日くらいまで)は下記のいまからサイエンスのHPで、見逃し配信として観ることができそう。
https://www.bs-tvtokyo.co.jp/imakara_science/
 他に、TVerでも24日20時まで観られるようだ。
https://tver.jp/series/srso2o5i8c

※情報更新
見逃し配信、TVerともに10月31日(木)19:59まで視聴可能です。
まずは名刺交換。
最初の話題は「免疫力」。「免疫力っていうのは医学用語じゃないって何かで読んだけど、どうなんですか」「免疫力を上げることってできるんですか」という加藤さんからの質問に対して「そういう科学用語はない。免疫は下げないことが重要」というような話をした。
「そもそも免疫って何ですか?」という質問には手書きの図を使って説明。
次の「T細胞をどうやって作るのか」という問いに対して、テレ東のスタッフが河本研を訪問されて撮影されたシーンが使われた。河本研のスタッフや大学院生が撮影に協力してくれた。
細胞を培養するのにはメディウム(培地)を使うという説明からスタート。確かに私達にとっては当たり前の事であるが、ライフサイエンス系にあまり馴染みの無い人の場合、「そもそも細胞の培養ってどうするの」という話から入る必要があるという事であろう。
「ES/iPS細胞を出発点として、培養する培地を次々と変えることで、培養細胞がT細胞に近づいていく」と説明。
ここからは「免疫による拒絶をどう防ぐか」についての話。「全ての細胞の表面にはHLAという分子が出ていて、この型が人によって異なるから拒絶が起きる」という話をした。
「点滴で投与するキラーT細胞も、何も工夫しないでそのまま投与すると、拒絶されてしまう」という事が、河本作の細胞キャラを使って解説された。
「それなら、HLAを欠損させたらいい」「それでHLAを欠損させたES細胞を材料にした」と話した。
ここからは、「キラーT細胞が標的細胞を殺傷する動画を紹介。画面左はその動画を撮影した板原多勇さん(D4)。
標的細胞としてはコロナのスパイクタンパク遺伝子を導入した肺胞上皮細胞株を使用。三角や丸い形をした大きい細胞が標的細胞で、その周囲にいる小さいオタマジャクシのような細胞がキラーT細胞。
動画のリンク(コントロール実験)
12時間の培養をずっと動画撮影。死んだ細胞は赤く染まるように工夫が施してある。標的細胞はどんどん死んで、死細胞が集まって大きな塊になっている。また、「ブレブ」と呼ばれる、細胞膜が膨らんでできた袋状の構造がところどころに見られる。これは細胞がアポトーシスで死んだ事の現れ。
動画のリンク(本実験)
ブレブができて死ぬ様子を、「北斗の拳」での敵キャラの死に様に例えた。
するとすかさず加藤さんが「“ひでぶ”ですか」と質問され、私が「そう。“ひでぶ”です」と返した。このやりとりは古旗さんにウケていた。
ここからは今回の戦略の原理を説明。
私がスケッチブックに雑に描いた説明図を、きちんと作り直していただいた図。ワクチンを打った人や、感染症から回復した人には、ウイルスを攻撃するキラーT細胞が「免疫記憶」として生成している。その記憶の本体は特異的なT細胞レセプターだ。その遺伝子を取り出してES/iPS細胞に導入して、そのES/iPS細胞からキラーT細胞を再生すると、再生キラーT細胞は導入されたT細胞レセプターを発現する。いわば「免疫記憶をキラーT細胞に移植」した事になる。
この「T細胞レセプターを多能性幹細胞(ES/iPS細胞)に導入してそこからT細胞を作製するという方法」は、発明としてほぼ全世界(日本、米国、欧州、豪州)で成立している(2024年9月24日の記事参照)。再生T細胞を用いた戦略においては基本特許にあたる方法で、簡単に思いつけそうに見えるけど、出願(2014年)当時は世界で誰も思いついていなかった、という話をした。
加藤さんは「めっちゃすごいじゃないですか。やりましたね。」と言って、場を盛り上げてくれた。
私も「そうですね。今はこの戦略では世界に勝っていると思います。」とアピールした。
ここから次の論点。HLAを欠損させたら移植が自由にできるのなら、何で再生医療全般でそういう戦略を取らないのかという話。「HLAを欠損させたら、今度はNK細胞が攻撃を始めます」と話した。
HLAはT細胞に病原体の成分を提示するための分子。ウイルスはそのHLAを出させないように進化しようとする。HLAが出せないようになると、感染細胞はキラーT細胞による攻撃から逃れることができるからだ。しかし、ウイルスがそうやって逃げるのを許さないために、「HLAを出さない細胞はNK細胞が殺してくれる」という仕組みが働いている。
こういう仕組みがあるから、単にHLAを欠損させるという戦略は、再生医療全般では使いにくい。しかし、今回のように、ウイルスによる急性の症状に対してであれば、1-2週間働いてくれるだけで十分なので、HLAを欠損させるという戦略が使えると考えた。一般に、NK細胞による攻撃は、T細胞による攻撃に比べて、かなり弱い。だからこういう戦略が取れるのだ。
ここからは「実用化はいつか」という話。その中で「未知のウイルスによるパンデミックが起こった時にも使える」という話もした。
ウイルスの正体がわかれば、すぐにそれに反応できるT細胞レセプターは取得できる。そのT細胞レセプターを、ES/iPS細胞ではなく、出来上がっているキラーT細胞に、「カセットテープを入れ替えるように」挿入したら、すぐに使える細胞を作製できるという構想。G7が提唱する100 日ミッション(パンデミック発生後100日でワクチンと治療薬を作る話)にも対応できる。
加藤さんが「それめっちゃいいじゃないですか。早く進めてくださいよ」」というような事を言うので、「いい戦略だと思うんですけど、中々研究費が取れなくて」という話をした。
続いて「技術的なハードルはほぼないので、ゴーサインを出していただければ、すぐにでも体制が作れる」と話した。
加藤さんから「ゴーサインは誰が出すんですか」と訊かれる。
「厚労省とかAMEDとか」と答えた。
未知のウイルスへの対策の話ではなく、新型コロナの話に戻って、いつ頃広く使われるようになるかという話になった。臨床試験は藤田医科大学で計画していると話した。
3-4年後の臨床試験を目指している。
ここで加藤さんからいい質問があった。「変異株にも効くのですか」。
「抗体では変異株に効かなくなるということがよく起こるが、T細胞ではそういう事は起こらない」と応答。
「実際、特許を出したT細胞レセプターは複数種類あるが、どれもほぼ全ての変異株に対して有効だ」と話した。
ここからは研究者を目指した経緯と、趣味の話。
父親は高校の生物の教師をしながら、植物の研究をしていた。その影響で、研究って面白そうだなと思うようになったという話。
父は自宅近くに建物を購入してそこに実験室を作って、かなりの出費をしながら研究を進めていた。
母は小学校の教師であったが、父がやっていた研究を支援し、また自身も研究に参加したりしていた。
私が小学生だった頃、父がNature誌に論文を投稿し、いわゆるエディターキックでリジェクトという通知が来た時、とても残念そうにしていた姿を鮮明に覚えている。
それで、将来機会があればNatureに論文を載せて、リベンジしようと思った。
2008年にNature論文を出せた時に、謝辞の欄に「We thank O. Kawamoto for valuable advise.」と書いたという話をした。
ここからは漫画やイラストの話。大学時代は美術部と漫研に所属。美術部では油彩で風景画を描いたりアクリルで抽象絵画を描いたりしていた。大学院2回生の時(1990年)に1ヶ月半くらい夏休みをとって、ちょっとグロい劇画調のバイオホラー作品を仕上げた(下記サイト参照)。これをビッグコミックスピリッツ誌に投稿して、奨励賞(賞金10万円)をいただいた。ただ、作品自体は雑誌には載せてもらえなかった。また、いろいろな漫画家の絵を参考にしながら描いているうちに、自分の画力ではプロに勝てないと悟り、漫画家の道は断念した。
「河本宏の部屋」の「漫画」のサイト:
漫画家になるのは断念したが、ポスターや本の表紙用にポップなイラストを描くようになった。これは胸腺の中で起こっていることを工場の中でT細胞を作る様子として表したイラスト。
ここからはバンド活動の話。学生時代は医学部軽音楽部でプログレッシブロックのバンドを組んでいた。卒業後は、各職場でバンド経験者を集めて、忘年会などのイベントで演奏をするなどを続けていた。2010年に神戸で開催された国際免疫学会で演奏する機会があり、それをきっかけにして教授やチームリーダーを集めて、Negative Selectionというバンドの活動を始動。この時はブリティッシュハードロックの曲のカバーをしていた。加藤さんはロックの曲をよく知っておられて、「Highway Star?いいですね!」というノリだった。
せっかく免疫学者でバンドを組んだので、自分達が普段面白いと思って取り組んでいる免疫という現象を対象にした曲にすることにした、と話した。
高濱先生が作詞された「リンパ節一人旅」は演歌のようなタイトルと歌詞だけど、私がロック調の曲を書いたという話をした時に、でだしの部分と、サビの部分を歌ってみせた。後で観ると、歌は上手でもないのに、自分でもよくやるよと思ったりしている。
「リンパ節一人旅」Youtube動画:
引き続いて今年4月にリリースしたセカンドアルバムの話をさせていただいた。
勿論自費出版なので、お金はかかっています、という話。
CDを映してもらえた。
「辺境の街から」アマゾンのサイト:
タイトルの大映し。
歌詞や解説を載せている冊子も映してもらえた。
「先生はどこに出てますか」と訊かれたので「逆襲の助教」の中の「謎の老人」を指し示した。この曲は2022年の分子生物学会のテーマソングとして作った。作詞作曲は私で、歌は鈴木春巳先生(国際医療センター)。
学会で攻撃されて落ち込んでいる助教の夢枕に立って「落ち込んでないで学会へ行って議論をしてこい」と励ます、謎の全知全能の老人。マグマ大使のアース様のイメージ。曲の中に以下の文言が「語り」として入っている。
 『道に迷いし若き人よ。そなたはまだ終わってはおらん。一人の力は限られておる。仲間を集めるが良い。そして眼(まなこ)を見開き、耳を研ぎ澄ますのじゃ。何かを掴みし時は、かの地に戻りて、議論を戦わせるのじゃ。さすれば生命(いのち)を統べる小さき分子の理(ことわり)が明らかになろうぞ』
「逆襲の助教」Youtube動画:
「逆襲の助教」Youtubeメイキング動画:
「今回は多くのシンガーが参加していて、それぞれ免疫学の世界で有名な人ばかりなんです」という話。
どうやって歌い手を集めるかという話で、色々な人とカラオケに行って見つけてくるという話をした。
「それってスカウト活動ですか」と古旗さんから言われて「そうです」と答えた。
加藤さんから「これらの趣味の活動が息抜きになってるんですか」と訊かれ、「そういう訳ではなくて、絵も音楽も、研究も、[ものを作っている]という、同じような感覚でやっています」と答えた。
研究費が稼げないというのはストレスになっていてしんどいけど、研究自体は楽しんでやっているので、仕事と趣味という区別は、自分の中ではあまりはっきりしない、という話をした。
最後に、恒例の「先生にとってサイエンスとは」というのをフリップに書くコーナー。欲張って「知る喜びと創る喜びから命を救う術まで」とした。そもそも、社会の役に立たなくても、「人類が知らなかった事を明らかにする」というのが、サイエンスの基本的な面白さだと思っている。長畑君と進めている血液細胞の進化的起源についての研究などは、まさにそういうものだ。
一方で、細胞に遺伝子改変を加えたり、培養法を工夫して分化誘導したりで、細胞を創って操るようになると、「創る喜び」というのも味わえる。これは、私の中では絵や音楽を創作するのと似ている。
創ったものが世の中に役立つ方法としては、いろいろな応用分野があっていいと思うが、私としては「命を救うための戦略」という形で関わりたいと考えている。
エンディング。言いたいことをかなり沢山言わせてもらって、それらをいい感じに拾っていただけたので、私としてはとてもありがたく思っている。 なお、趣味の話以後のパートで、卓上の小さなお皿に入れて置かれているのは、西村の「衛生(エイセイ)ボーロ」。何かオススメあるいは思い出のお菓子がないですかと言われ、京都発の銘菓である衛生ボーロを持参した。通常はこのコーナーではまずお菓子の紹介がされるが、今回は尺の関係か、衛生ボーロの紹介はなかった。
番組スタッフに撮っていただいた記念写真。許可をいただいたので掲載している。ありがとうございました!
          

2024年10月15日(火)

長畑君と打ち合わせ&飲み会
この日の夕方、長畑君と論文についての打ち合わせを行い、その後近くの「くうかい」で慰労会。永野君、西村君も合流。

2024年10月11日(金)ー13日(日)

第86回日本血液学会学術集会
表記の会が京都国際会館で開催された。左の画像は集会HPから。かっこいいデザインだ。
京都国際会館。
初日は東京でAMEDの次世代がんの報告会があったので、私は2日目から参加。午前中の教育講演で30分の枠をいただいた。河本研の取り組みを軸にして細胞医薬の現状と課題、展望について話をした。
講演の最後に、来年の免疫学会の告知。
その際、ネタとして左のスライドを出して、「本当は国際会館でやりたかった」「この国際会館がウルトラセブンに出てきた事があって、それ以後ここは私には聖地」などと話をした。放映は1968年1月。私は6才だった。
なお、このネタは裏医生研チャンネルの学会の会場探しの回(下記)でもやっている。その時は、「メタ爺が今でも“国際会館は実は地球防衛軍の基地”と信じている」という設定だった。
裏医生研チャンネル第63回:【研究者のお仕事】学術集会の集会長のお仕事① まずは会場探し!
その際に子供の頃に見たシーンの回想として出した画像。版権の問題を回避するため、写真ではなく、自分で描いたイラストを用いた。
この日の午後にあった特別講演。高折先生が座長、演者はTak Mak。
展示会場。3箇所に分かれて配置されており、それぞれが大きく、また一社あたりの占有面積も大きかった。それぞれのブースが喫茶店を構えるようなスケール感で、展示会場が「街」のようになっていた。さすが血液学会。
それぞれの展示会場の奥にポスターセッション会場があった。
懇親会の最初に、メインホールで「手打」と呼ばれる式典があった。歌舞伎役者を迎えるために祇園の芸妓が行っていたらしい。拍子木のような物をカンカンと打ちながら芸妓の人達が入場。
その後、三味線や鼓に合わせて、歓迎の歌が数曲披露された。あまり聴いたことがない感じの曲だったので、新鮮だった。
懇親会は屋外のテラスで催された。暑くもなく寒くもなく、いいコンディションだった。今回は会全体で8000人以上の参加があったらしい。血液学会の参加者は通常6000人くらいだったと思うので、大盛況だったと言えよう。懇親会は多くの参加者で賑わっていた。
集会長の高折晃史先生の挨拶。
藤田医大関係者他と。向かって左から美山貴彦先生(藤田医大造血細胞移植・細胞療法学講師)、稲本賢弘先生 (同教授)、中村柚琳(ゆうりん)君(藤田医大医学部5回生)、北村俊雄先生(神戸先端医療研究センター長)、私、長畑洋佑先生(元河本研特定助教、現在スペインに留学中)。美山先生は藤田医大河本研の講師であったが、少し前から稲本先生の講座に移行した。その後も河本研の研究を続けてくれていて、今後藤田医大でウイルス感染症を対象にした臨床試験を進めるにあたり、重要な立ち位置だ。中村君は藤田医大河本研に出入りしていて、TCRのクローニングや機能評価の実験を手伝ってくれている(2023年11月27日の記事参照)。
高折先生御夫妻、北村先生と。高折先生とは京大医学S61卒の同級生。プログレッシブロック好きの同志であり、高折先生が自宅に素晴らしいレコードのコレクションとオーディオセットを持っておられることから、同じく同志の北村先生と共に、ワインを飲みながらの鑑賞会に、これまで何度か招いていただいている(2023年8月27日の記事参照)。
打ち上げ花火が催された。すぐ近くで打ち上げられるので、大迫力。
ショーの半ばの、ナイアガラ花火。
フィナーレが近づくにつれ、どんどんと花火が大きくなり、数も増えていった。子供の頃から、そして最近でも下鴨の自宅から何度も観ていたし、高校生の時に一度宝ヶ池の対岸から観た事はあったが、自分が参加する会で、目の前で観たのは初めてだったので、嬉しく思った。
懇親会には藤田医科大学の冨田章裕先生 (血液内科学教授)も来られていた。向かって左から冨田先生、稲本先生、私、中村君。
最終日、稲葉俊哉先生(広島大学)に久しぶりにお会いできた。稲葉先生とは、新学術領域北村班(細胞運命制御:2010-2014年度)の時、計画班員としてご一緒したことがある(2013年5月21日の記事参照)。向かって左から伊川友活先生(東京理科大学)、長野安希子先生(神戸先端医療研究センター)、稲葉先生、私。長野先生は長らく稲葉先生の下で研究をされていた。
最終日の最後の時間枠セッションの一つで、長畑君が最終演者として発表。現在投稿中の内容で、T細胞の進化的起源を探る話。進化に関わる話に深掘りするようになってからは、長畑君がほとんど自分の力で研究を進めてきている。この春からスペインのバルセロナ(Ruiz-Trillo Inaki研、Institut de Biologia Evolutiva, CSIC-Universitat Pompeu Fabra)に留学していて、先方での研究と並行して、2022年のBlood論文以後にこちらで行った研究のまとめも進めている。
スペインでは髭をたくわえている人が多いらしく、長畑君もそれに合わせて髭を伸ばしているとのこと。人相が変わってしまっている。現地の人と思われた方がスリなどにあいにくくなるから、との話。

2024年10月10日(木)ー11日(金)

第18回生命医科学研究所ネットワーク国際シンポジウム
表記の会が東北大学の加齢医学研究所で開催された。
このネットワークは、現在、12の研究所が参加している(北大遺制研、東北大加齢研、群馬大生体調節研、東大医科研、東京医科歯科大難治研、金沢大がん研、京大医生研、阪大微研、阪大蛋白研、徳島大先端酵素研、九大生医研、熊本大発生研)。医生研は、統合前にウイルス研と再生研がそれぞれ別個にホストしていて、再生研がホストしたのは2013年(2013年6月27日の記事参照)。2025年には医生研がホストする番が回ってくる。写真は加齢研の中のスマートエイジング棟。
会場。傾斜があって、いい会場だった。医生研もこういう講堂が欲しいところだ。
加齢研所長の田中耕三先生による挨拶。
加齢研のメインの建物。
医生研関係の人達。河岡慎平先生(写真中央)はクロスアポイントメントでまだ医生研にも籍は残っているが、本務は加齢研。河岡先生は懇親会の司会役をするなど、すっかり馴染んで、存在感を放っていた。写真向かって左から松浦顕教先生(伊藤貴浩研助教)、遊佐宏介先生(ネットワーク委員)、河岡先生、峯岸美紗先生(新宅研助教)、小原乃也(だいや)さん(近藤研D3)。峯岸先生は少し前に医生研リトリートの懇親会で「Desire」を歌った強キャラ(2024年9月2日の記事参照)。
会場横のロビーで懇親会。
熊本大学発生研の人達と、学際ハブ拠点についての話をした。向かって左から丹羽仁史先生、私、嶋村健児先生、中村輝先生。
小原さん、小笠原康悦先生(写真中央)と。小笠原先生には、一瀬君論文(HLAホモtoヘテロ移植で起こるNK反応の話:Stem Cell Reports. 9:853, 2017)の際に相談に乗っていただいたりして、世話になった。
懇親会の最中にちょっと抜け出して、小原さんと一緒に河岡先生のラボを訪問。広くて、立派なラボだった。
河岡先生と2人で駅前の居酒屋に二次会としてふらっと立ち寄ったら、遊佐先生らのグループと遭遇した。仙台の夜は楽しかった!

2024年10月10日(木)

10月16日水曜夜10時からのBSテレビ東京「いまからサイエンス」に登場する予定
昨晩の「いまからサイエンス」の放送後、予告編で告知された。「いまからサイエンス」はBSテレビ東京で毎週水曜夜10時から放映されている40分くらいの科学情報番組。対象は宇宙、深海、昆虫、ロボット、医学という感じで、サイエンス全体から幅広い話題を取り上げている。私が紹介するのは新型コロナ治療用T細胞製剤の話(2024年7月30日の記事参照)。スタジオ収録(麻布のテレビ東京のスタジオ)は9月12日。シナリオはほとんどなく、話題になりうるポイントが箇条書きで挙げられているだけだった。本番は振られた話題にほぼアドリブで応じるという感じ。MCの加藤浩次さんは乗せ方が上手で、「先生、それってめっちゃすごいじゃないですか!」と言われて、「はい、もうこれは、すごいんですよ!」みたいな調子で話をしてしまったような気がする。「いまからサイエンス」HP:
京大での取材は9月30日だった。画面に映っているのは板原君。撮影には他にも何人かに協力してもらった。
予告編の動画:

2024年10月8日(火)ー10日(木)

BioJapan2024に参加
今回は前日入りし、京大及びリバーセルのブースの設営に協力した。その後、リバーセル関係者と桜木町駅のすぐ近くで会食。向かって左から梶川社長と畑中さん。
パシフィコ横浜。
今回も昨年と同じく「BioJapan」「再生医療JAPAN」「healthTECH JAPAN」という三つのイベントの共催。例年と同じように、よく賑わっていた。
例年はリバーセルの展示の説明者として参加している(2023年10月11日の記事参照)が、本年は京大が進めている事業の説明者として参加した。写真は京大のブース。
ブース内に小さい発表ステージが設けられていた。左記はそこでの発表スケジュール。私はコロナ治療用T細胞の開発(2024年7月30日の記事参照)についての話をした。1時間の枠になっているが、発表15分、ディスカッション15分という感じだった。
15時35分から1時間、ブースとは別な発表ステージで、京大の活動についての発表が行われた。村西廣哉さん(成長戦略本部)が最近京大で組織された成長戦略本部について、久保允人先生がSCARDAに関連して京大が進めているサポート機関KICの活動について、私はコロナ治療用T細胞の開発についての話をした。写真はプレゼン終了後、向かって右から村西さん、久保先生、私。
リバーセルは、「healthTECH JAPAN」に参加しており、今年もJSTのコーナーの一部で展示。
長崎大学のブースの前で、田中義正先生にお会いした。私が京大医学部の湊研究室に助教として参加した時(2001年)、湊研に助教としておられた。当時、γδT細胞を用いたがん免疫療法の開発や、抗PD-1並びにPD-L1抗体の作製などをされていた。現在は長崎大学の先端創薬イノベーションセンターのセンター長をされている。他に、SCMバイオメディカというベンチャー会社の社長業もされていて、免疫チェックポイント阻害剤との併用で抗腫瘍効果を増強させる方法の開発をされているようだ。
初日のイベントの終了後、京大関係者で中華街へ。
あれこれ食した後、天心6点盛り。とても美味しかった。

2024年10月7日(月)

KANSAI DAYに参加
この週の後半にパシフィコ横浜で開催されるBioJapanに関連したイベントとして、BioJapanに参加するために来日される事業会社の関係者を対象にしたイベント「KANSAI DAY」(7日)と「KYOTO DAY」(8日)が開催された。KANSAI DAYでは、柳田素子先生の講演に続いて、京大、大阪大、神戸大の大学発ベンチャーキャピタルが、それぞれの投資の規模、方針、実績などについての話をした。
講演会の終了後、情報交換会。16時からだったからなのか、ノンアルコールだった。
この日に河本研の研究内容の紹介として掲示したポスター。
8日のKYOTO DAYでは京大で進められている研究が紹介された。左記はKYOTO DAYの演者リスト。私はBioJapanに前日入りするためにこの日は不参加。
         

2024年10月1日(火)

李先生、望月先生と会食
李聖林先生(京大ASHBi教授)は理論生物学の研究者。最近免疫細胞を題材にした研究(肥満細胞と蕁麻疹のパターンなど)を始められたということで、今年の夏の免疫学会のサマースクールに生徒として参加されていた(2024年8月21日の記事参照)。とても元気がいい先生で、サマースクールでも遅くまでフリーディスカッションに参加されていた。その際に、一度望月敦先生(医生研)も誘って一緒に食事+酒の会をしましょう、という話になり、この日、3人で会食。望月と李先生は、旧知の仲であるらしいが、2021年に李先生が京大に来られてから、コロナの事があって、歓迎飲み会をできてなかったらしいので、今回のはいい機会になったようだ。学会のシンポジウムの構成の話や研究所の運営の話など、あれこれと話ができて、楽しかった。写真は向かって左から李先生、望月先生、私。

2024年9月26日(木)ー28日(土)

第32回日本組織適合性学会大会に参加
表記の会が名古屋のウインクあいちで開催された。大会長は村田誠先生(滋賀医大血液内科)、副大会長は南口仁志先生(滋賀医大輸血細胞治療部)。3年前の会では田中秀則先生(HLA研究所)が大会長で私が副大会長を務めた(2021年9月3日の記事参照)。この会は、コロナの最中だったので、オンライン開催だった。
会場の「ウインクあいち」は、名古屋駅のすぐ近く。
私は2日目の午前中のシンポジウムで話をした。
シンポジウムの会場。
座長は一戸辰夫先生(広島大)と諫田淳也先生(京大)。
保仙直穀先生(大阪大)はAMLを標的とした新しいCARの開発の話をされた。とても有望な話だと思われた。
寺倉精太郎先生(名古屋大)はCAR-T療法の現状と課題について話をされた。一般には輸注したCAR-T細胞がメモリー細胞として残存することが大事とされているが、「エフェクターとしてしっかり働けることがメモリー細胞の残存率の向上にもつながるので、エフェクター機能の向上が大事」というような話で、とても面白かった。
八幡先生御夫妻と話をした。御夫妻はNK細胞抑制性レセプター(KIRやNKG2Aなど)の研究の第一人者で、これまでに多くを学ばせて頂いた。河本研が「HLAハプロタイプホモiPS細胞由来の細胞/組織をHLAヘテロの患者に移植した時にNK細胞による拒絶反が起こる」という話(Ichise et al, Stem Cell Report, 2017)を論文にした際には貴重なアドバイスを頂き、著者にもなって頂いた。八幡信代先生(九州大学)とは何度かお会いしたことがあったが、八幡真人先生(シンガポール国立大)とは今回初めてお会いできた。写真は向かって右から進藤岳郎先生(広島大)、八幡信代先生(九州大学)、八幡真人先生(シンガポール国立大)、私。進藤先生もKIR-リガンドミスマッチやKIRの多型性の研究をされているので、「KIR研究者での記念写真」ということになる。
ポスターセッション。
ウインクあいちの6階で懇親会。なぜか風船が配されていた。
大会長の村田先生の挨拶。村田先生は、この9月から、組織適合性学会の理事長をされることになった。
この学会は造血幹細胞移植関係の研究者が多く参加している。森島先生御夫妻と。写真向かって左から森島聡子先生(中部臍帯血バンク)、森島泰雄先生(愛知医科大学、中部臍帯血バンク)。一度藤田医大河本研の川瀬先生、美山先生と森島先生御夫妻とで、名古屋で会食でも、という話になった。
学術奨励賞の発表と表彰が行われた。今年は森田真梨先生(京大血液内科)で、「成人 T 細胞性白血病の移植後再発を低減するドナー KIR/HLA多型」という内容。ご本人が来られていなかったので、その研究を指導した進藤先生が代わりに受け取られた。なお、今年の学会賞は間陽子先生(東大)で、受賞課題は「ウシ主要組織適合遺伝子複合体(BoLA)と感染症」。この日の午後に受賞講演があり、牛のウイルス感染症に対する感受性あるいは抵抗性MHCについての話で、免疫学的にもとても面白かったが、畜産業界にとってもとても重要な話だった。
村田先生と、滋賀医大の血液内科のスタッフの先生方と。いろいろな人と話ができて、有意義な会だった。

2024年9月24日(火)

TCR-iPS細胞法の特許が米国で成立
我々が開発した特許技術の中に、略称で「TCR-iPS細胞法」と呼んでいる知財案件がある。ES細胞やiPS細胞にT細胞レセプターの遺伝子を導入して、そのES/iPS細胞からできてくるT細胞には導入したT細胞レセプターが発現するという発明である。つい最近、この特許が米国で成立した。すでに日本、欧州、豪州(オーストラリア)で成立していたので、これでほぼ全世界で成立したことになる。米国は細胞療法が盛んであるので、今回の特許成立はとりわけ意義が深い。
 現在行われているCAR-T細胞療法などの自家T細胞療法では、患者から採取したT細胞を材料にするために、「時間がかかる」「コストがかかる」「品質が不安定」などの問題が残されている。河本研が進めてきた戦略は、材料としてES細胞やiPS細胞のような多能性幹細胞を用いて「他家」T細胞を作製し、そのT細胞を凍結保存しておいて、必要時に解凍して患者に投与するという戦略である。こうすると「すぐに」「安く」「高品質な」T細胞を提供できる。量に関しても、必要なだけ投与することができる。このような他家T細胞のカナメとなるのが、左図の中に赤枠で囲った、「多能性幹細胞にTCR遺伝子を導入する」という工程である。今回の特許技術は、この工程を可能にする、基本中の基本となる発明である。
この特許は、遺伝子導入法の特許と思われがちであるが、導入法自体は一切限定していない。日本で成立した特許の請求項の最初の項目は以下。
******************
請求項1:
(1)ヒト多能性幹細胞を提供する工程、
(2)工程(1)のヒト多能性幹細胞へ、所望の抗原特異性T細胞受容体遺伝子を導入して、所望の抗原特異性T細胞受容体を有する多能性幹細胞を得る工程、および
(3)工程(2)の多能性幹細胞からT細胞を誘導する工程
を含む、多能性幹細胞から免疫細胞療法用成熟T細胞をイン・ビトロで誘導する方法。
********************
 上記のように、大変広い請求項になっている。どう広いか、以下に記す。
・「多能性幹細胞」として成立しているので、iPS細胞だけでなくES細胞もカバーしている。
・TCR遺伝子についてはαβ型のTCRだけでなくγδ型のTCRもカバーしている。
・TCR-iPS細胞から作製するT細胞については、キラーT細胞だけでなく、ヘルパーT細胞、制御性T細胞、NKT細胞、γδT細胞など、全ての種類のT細胞をカバーしている。
・TCR遺伝子の導入法についても限定されていない。すなわち、レトロウイルス、レンチウイルス、ゲノム編集法など、どのような導入法もカバーしている。
 正直なところ、「え、こんな基本的な原理が特許になるの?」と思う人がいてもいいくらい、単純明快な発明だ。しかし、このようなアイデアは、いわば「コロンブスの卵」とでも言うべきもので、当時誰も思いつかなかったからこそ、特許になったのである。
 また、この特許は、「防御特許」としての意義も持つ。こういう基本的な特許は、戦略を思いついた時に、一定の実施例を提示した上で、「まずは出願しておく」ことが大事である。それは、他者が類似の特許で出願した場合に、その権利化を防ぐために必要だからである。こういう特許を、「防御特許」とか、「後願排除のための出願」という。一般に、企業は防御特許の重要さをよく理解していて防御特許に強いが、大学は防御特許に弱いとされている。
 さて、出願人が「河本宏」となっているのは、異例の事である。というのは、大学で行った発明は、基本的には大学が出願人になるからだ。出願人は、特許の所有者だ。どうしてこうなったかと言うと、2014年に京大が出願人として一旦出願したのだが、2015年のPCT出願時に、京大が放棄したため、筆頭発明者である河本に権利が返還され、河本が個人でPCT出願したという経緯からである。京大の知財部は、多岐にわたる科学技術分野の知財を扱っているから、個々の特許の重要さを深く理解できないのは、無理もない事である。この発明に関しては、当時PCT出願の費用を支援してくれる会社がなかったので、京大としては、そういった支援会社がない特許を京大として支援するのは困難だったということであり、やむを得なかった事であろう。
 このような経緯から、PCT出願当時は、河本が個人で管理していたが、現在はリバーセル株式会社に委ねている。
 なお、この技術についての論文は、河本研から2報出している。まず、この方法が原理的に成立する事を示す論文を発表した(Maeda et al. Molecular Therapy - Methods & Clinical Development, 19:250, 2020)。この論文ではTCR-iPS細胞法によって作られたキラーT細胞は、T-iPS細胞法(T細胞由来iPS細胞からT細胞を再生する方法)によって作られたキラーT細胞と同等であることを示した。同じ頃、この方法を用いて作製したキラーT細胞が、動物実験モデルで有効であることも示した(Kashima er al., iScience, 23:100998. 2020)。この論文では、TCR-iPS細胞法によって作られたキラーT細胞が、ヒト腎細胞がんを免疫不全マウスに移植したゼノグラフトモデルで、腫瘍の増殖を抑制する効果を発揮する事を示した。
 余談であるが、日本で成立した特許に関しては、異議の申し立てが2件あった。しかし、2022年7月に2件とも特許庁によって拒絶され、日本での特許登録が確定した。

2024年9月22日(日)

セッコクが咲いた
5月にセッコクという日本の野生ランを秘書の宮武さんから頂いたという話を書いた(2024年5月8日の記事参照)が、数日前に、また開花した。セッコクは、基本は春に咲くはずなので、「狂い咲き」と言うことになるかと思う。ネットによると、セッコクの狂い咲きはよくあるらしい。ただ、狂い咲きというのは、来年のために用意された蕾が季節を間違えて開花してしまうという現象で、一方春と秋に二度安定して咲く場合は、「二度咲き」というとのことだ。宮武さんのご実家の元株のセッコクも秋によく咲くそうなので、狂い咲きではなく、二度咲きなのかもしれない。

2024年9月21日(土)

一般向け広報イベント:京都大学アカデミックデイに出展
表記のイベントに今年も参加。
フライヤーの裏面。会場は昨年と同じく、ゼスト御池。イベントは、昨年とほぼ同じ様式。昨年のイベントは成功だったということであろう。
今年の河本研の発表内容は、少し前に発表した新型コロナ治療用T細胞の話(2024年7月30日の記事参照)。現物展示の展示物は、昨年と同じく「iPS細胞」と「iPS細胞から作製したキラーT細胞」(2023年9月24日の記事参照)。また、そういう展示内容と直接関係はないが、昨年と同じく、アフリカツメガエルの展示もすることにした。今年は午前中に他用があったので、朝早くから昨年より少し小さいケースにカエルを入れて用意して準備しておいて、持って行ってもらった。
今年のカエル。昨年より一回り大きくなっている。
今年もピッチトークが行われ、各出展者が3分ずつ話をした。
今年も永野君がプレゼン。私はこの時は不在だったので聴けていないが、この写真からは昨年と同じような名調子であったのであろうと推測できる。この写真と一つ前の写真は間宮さんが撮ってくれたもの。
展示会場。イベントは11時から18時までで、私は15時から18時まで参加。
河本研のブース。河本研からは永野君、加藤君、周君、間宮さん、西岡君が参加。来訪者は途絶えることがなく、朝からずっと忙しかったようだ。
秘書の宮武さんから差し入れのクッキーをもらって嬉しそうな周君(向かって左)と西岡君。
カエルには常時子供達が張り付いて、大人気だった。
今年出したポスター1。
ポスター2。

2024年9月20日(金)

寺田先生と打ち合わせ
河本研では遺伝子工学的な開発が必要な研究では、縣保年先生(滋賀医科大学)の研究室との共同研究という形で、技術的な部分をほとんどお任せでお願いすることが多い。例えば、TCRカセット法の開発(下記動画参照)などでは、基盤技術の開発においては、とてもお世話になった。そういう研究の実働部隊として、寺田晃士先生(准教授)が実際にデザインしたり実証したりという事を中心になってされてきた。永野君がその方法をiPS細胞に導入する実験を行う際に、寺田はとても詳しく丁寧に教えて下さった。また、TCRカセット法ではないが、西村君がマウスのT細胞のTCRをゲノム編集法を使って入れ替えたりする実験を行う際にも、大変お世話になった。写真は、向かって右から、永野君、寺田先生、私、西村君。

裏医生研チャンネル第88回:カセットテープみたいに遺伝子を入れる⁉︎(共同利用・共同研究拠点の研究成果)

2024年9月19日(木)

鴨川の夕焼け
この日の夕方、夕焼けがとてもきれいだった。写真は鴨川、丸太町通の橋の北側。
川端丸田町の交差点から南側を望む。絵のような色彩の雲と空だ。

2024年9月17日(火)ー19日(木)

第22回あわじ感染と免疫国際フォーラム
表記の会が京都ロームシアターで開催された。集会長は医生研の朝長啓造先生。このフォーラムは、通常は淡路夢舞台国際会議場で開催されるらしいが、今回は朝長先生の意向で京都で開催ということになったようだ。
会場はロームシアターのサウスホール。400人くらい入れるらしい。私はこの会にはこれまで参加したことはなく、また今回講演をする訳でもないが、この会は医生研が公式にオーガナイザー機関として支援しているのと、朝長先生が今回の集会長ということだったので、参加することにした。なお、他のオーガナイザー機関は、大阪大学微生物病研究所、東大医科研、北大人獣共通感染症国際共同研究所、長崎大熱帯医学研究所。
初日はウエルカムディナーが開催された。場所はロームシアター内にあるモダンテラスという会場。中々いい会場だ。集会長の朝長先生による挨拶。
天井が高く、装飾もいい感じ。
料理も美味しく、量も十分だった。
向かって左から朝長先生、牧野晶子先生、山下はるかさん、私。山下さんは朝長研のラボマネージャー兼秘書さんのような役目をしているらしい。今回も準備が大変だったそうだ。
川口寧先生(東大医科研、写真中央)と。川口先生は医生研に客員教授として参画して頂いているだけでなく、諮問会議や拠点運営委員会の委員を務めていただいているなど、大変お世話になっている。
二日目のバンケットは平安神宮会館。
会場は平安神宮の庭園に面しており、ライトアップされた庭園の池や回廊などが望める。
石井健先生(東大医科研、写真向かって右から二人目)と。朝長先生の照明が強すぎた。
医生研の若いスタッフと、荒瀬尚先生(阪大微研、写真中央)と。この日、荒瀬先生のCell論文の話がニュースになっていた。荒瀬先生が以前から唱えられている自己免疫の発症の仕組みに関する話で、MHCクラスIIにミスフォールドされたタンパク分子の一部が乗って提示されることが自己抗体の誘導されることを示された。免疫学におけるとても重大なモデルの提唱であるが、これまでの論文はなかなかトップジャーナルには載せてもらえなかったらしい。しかし、それでも論考と実証を重ね、ついにCellに載せるとは、さすが荒瀬先生だ。
京大医学部5回生の合屋智尋さんと。竹内理先生のラボに出入りしているとのこと。
初日のウェルカムディナーでは、日本酒(聚楽第)がこの記念の枡で供された。デザインは牧野先生によるものとのこと。秀逸だ。お土産として持ち帰ることができた。
          

2024年9月15日(日)

塩見屋開業10周年/下鴨中学校の同窓会
下鴨中学校の後輩の塩見さんがやっている「塩見屋とんとん」という店が10周年ということで、下鴨中学校のプチ同窓会が塩見屋の2階で開催された。下鴨中学校は葵小学校、下鴨小学校、松ヶ崎小学校の3校の学区で構成されていた。写真はその葵小学校関係の人達で、向かって右端は関佳彦さん(遊食亭の社長)で、その隣が小林恭子さん(京都済生会病院健診部長)。関さんと小林さんは小学校3年-4年の時のクラスメイト。
塩見屋とんとんHP:
遊食亭HP:
塩見さんによる挨拶。
皆で記念写真。楽しかった!
          

2024年9月13日(金)

大西先生との食事会
この日、北村先生からお誘いがあり、留学先での同僚の先生が学会で京都にこられているとのことで、鴨川の川床での会食をということになったらしく、それに参加させていただくことになった。今年は9月に入っても異常なほど暑さが続き、この日も日中は36度に達していた。18 時少し前、店に向かう途中、夕陽が積乱雲を照らして美しかった。
せっかくの床であったが、天気が不安定で、川床から北側を望むと、北の方では大雨になっているようだった。
カワウがいい感じに屋根にとまっていた。
会食が始まる前に雨がパラパラと降り始めたので、残念ながら店内で会食。向かって右端から梶川社長(リバーセル)、北村先生、私、大西真由美先生(泰静会大西医院の理事長・院長)、大西先生のお嬢様。川床での食事ができなかったのは残念であったが、色々な話ができて楽しかった。
          

2024年9月11日(水)

読売新聞の取材を受けた
この日の夕刻、読売新聞の取材を受けた。研究室での風景を撮るのに協力してくれたラボメンバーの人達と、記念写真を撮ってもらった。SNS等にあげても良いとの事だったので、ラボニュースに載せさせていただいた。向かって左から、松本さん、白数さん、間宮さん、板原君。皆、いい表情をしている。こういうショットが撮れるのは、さすがプロだと思った。

2024年9月8日(日)

関西電力病院OB会
コロナで途切れていたが、表記の会が久々に開催された。前回は2019年の開催だったので、5年ぶりだ(2019年9月14日の記事参照)。幹事の釜本隆行先生による開会の挨拶。私は1986年卒であるが、京大病院で1年間研修医をしてから、1987年6月から1989年3月までの約2年間、関西電力病院で研修医として働いた。バブル景気は1986年から1991年とされているようなので、関電時代はバブル期の真っ最中だったと言える。何かと飲み会などのイベントが多く、華やかだった。
場所は大阪のリーガロイヤルホテル28階のサファイアルームという部屋。
OB会会長の丸山泉先生による挨拶。メンバーの高齢化に伴い、今回でこの会としては最後ということになり、今後は、関西電力病院の職員全体のOB会である「関電病院かえる会」に加わる形で移行することになった。
会場からは関西電力病院が見えた。私がいた頃はこの病棟ではなく、この写真で言えば左側の新しいビルが建設中であるあたりだった。10年くらい前に旧病院棟が取り壊されている最中に通りがかって、寂しく思ったことがあった(2013年11月30日の記事参照)。

2024年9月4日(水)

大谷君がマイコースでラボに参加
医学部の4回生は夏から秋にかけてマイコースというプログラムがあり、この期間中は希望の研究室で研究することができる。受け入れ可としているラボに限られるが、大概のラボは受け入れてくれるものだ。なお、研修先は京大内のラボに限らず、海外のラボに行くのも可能。4回生の大谷章人さんがこの日から来ることになった。永野君の指導の下で、ES/iPS細胞からT細胞を作製する工程を学びつつ、遺伝子改変を加える工程などについての研究をしてもらう予定。

2024年9月2日(月)ー3日(火)

医生研リトリート
リトリート(retreat)というのは、言葉としては撤退、避難、隠居などと訳され、本来は「休息の旅行」くらいの意味らしいが、研究所などの機関がやる時は、泊まりがけでどこかへ行って、講演を聴いたり全員がポスター発表して交流したりするイベントになる。基本的には休みではなく本業の延長であり、その機関内での情報交換を図る共に、機関としての一体感を醸し出したり、構成員に帰属意識や当事者意識を呼び起こすためのイベントである。
 今回、医生研として、初めてのリトリートが開催された。2016年にウイルス研と再生研が統合して今の医生研になった訳であるが、統合前のウイルス研ではリトリートをやっていたらしい。とはいえ、医生研としては初めてだ。今回は、大津プリンスホテルで開催する事になった。
会場はホテル内ではなく、ホテルに隣接した建物。ホールとして使えるスペースが10スパン並んでいる。
南端の2スパンを貸し切る形で開催。160人が参加し、賑やかな会になった。オーガナイザーは永楽元次先生と遊佐宏介先生。講義を聴くのも昼食や夕食をとるのも同じ場所なので、今回はずっと円卓という形式になった。席はスタッフの方で交流を深めるためにランダムにあらかじめ決められた。また、1日目と2日目は異なる席だった。席替えはいい事だと思う。朝9時過ぎに南西部構内を3台の貸切バスで出発し、会の開始は10時30分。
永楽先生の司会で、安達泰治先生による開会の辞。
私は最初の演者として、25分の枠で、研究所の歴史、現状、そして将来についての話をした。将来についての話の中では、「組織というのは常に国や京大本部から組織改変を迫られるので、しっかり成果を挙げ続けないと、再編されてしまう」というような話をした。そのためには、1)各分野が顕著な業績を挙げること、2)医生研ならではの異分野融合の成果を挙げること、3)外部資金を得るために公的資金だけでなく特許出願やベンチャー創業によって産官学連携の資金を得ること、4)広報に力を入れるべき、ということなどを語り、(2)の例として少し前にニュースリリースしたコロナ治療用細胞製剤の話(2024年7月30日の記事参照)をした。最後に、そのためには「由緒ある研究所に所属しているんだ」という「帰属意識」と、人任せではなく「自分がそれをやるんだ」という「当事者意識」が大事、という話をした。
昼食は同じ席でお弁当。
今回は、外部から演者を二人招いた。そのうちのお一人、古寺哲幸先生(金沢大学)。ハイスピードAFM(原子間力顕微鏡)で観た分子の動態の話をされた。会場からは質問が沢山出た。
今回は80演題がポスター発表をしたが、そのうち16演題が、14時から、全参加者に向けた3分間プレゼンを行った。うちからは、板原多勇君(D4)が「超汎用性技術」についての話をした。
河岡研の中村有輝さんは、河岡先生から「ちょっとでも名前を覚えてもらってこい」と言われたというスライドを出した。こういう変則的なスライドを一瞬出すのは、聴衆を惹きつけるのにいいことだ。
ポスターセッションの前に、ロビーで集合写真。いい写真だ。
ポスターセッション。
河本研からは7演題を出した。奥から、板原君、貝谷亮太君(D2)、周浩洋君(D3)、間宮茉実さん(D3)のポスター発表。
右端から西村有史君(研究員)、小林由佳さん(特定助教)、永野誠治君(助教)のポスター発表。それぞれに誰かがちゃんと話を聴きに来てくれている。
泊まった部屋からの景色。会場からは琵琶湖は見えないが、部屋から見えるのと、朝食の会場からも見えるので、リゾート感が味わえる。真ん中の山は比叡山。比叡山は京都からは重なって一つの峰に見えるが、実際には二つの峰があり、左側(京都側)の山頂遊園地がある峰は四明ヶ岳(839m)で、右側の峰が大比叡(848m)。
懇親会での演奏に向けてのセッティング。今回はお金をかけないようにと、PAシステムやアンプはすべて自前。事前練習(2024年8月19日の記事参照)のために一時的に教授室に設置したものを、この日の朝から搬入。運搬や設営については、他の出演者の人にも手伝ってもらった。
懇親会。料理は十分な量があり、味も良かった。
懇親会の途中で、アトラクションとして演奏会が始まった。
まずは3人が登場。ベースは今吉格先生。学生時代、バンドでディープパープルなどのハードロックをやっていたらしい。
ドラムは今吉研M2の五十川想真さん。ずっとバンド活動をやっているらしく、とても上手だった。ホテルとの打ち合わせでは、あまり大きな音はNGとのことだったので、最初はカホンで演奏してもらう事にしていたが、結局、キックでカホンを鳴らして、ハイハットやスネアを持ち込むなどもして、結構ちゃんとしたセットになった。
私は、「裏所長のメタ爺」として登場。前座として、ジミヘンのパープルヘイズのギターソロの手前まで演奏した(ギター+歌)。
2曲目は、中森明菜の「DESIRE」。
今吉研M2の藤原梨瑚さんがバイオリンで登場。シンセサイザーのパートを弾いていただいた。学生時代に大学のオーケストラで演奏していたとのことで、とても上手だった。
歌は、新宅研助教の峯岸美紗先生。朗々とした力強い声で、素晴らしかった。この曲は、少し前の骨代謝学会の懇親会でも演奏した(2024年6月29日の記事参照)。同じ曲をよく演奏することになるのは、歌手の候補の人には、「好きな曲を歌っていただいていいのですが」と言いつつ、これまでにNegative Selectionが演奏したことがある曲のリスト(約60曲)を渡して、その中から選んでもらう事をまず勧めるからだ。
最後の曲は、新宅先生によるクレイジーケンバンドの「タイガーアンドドラゴン」。
永野君がシンセサイザーでベースパートを担当。
新宅先生は太いドスが効いた声で「俺の話を聞け」と熱唱。
リハーサルの時、エンディングのパートになったらワイヤレスマイクに持ち替えて客席に入って行くという話になったが、本番では、客席に降りる際に、まさかの大ジャンプをされた。
その瞬間の別ショット。この後、「永楽はどこだ!?」と言って永楽先生を探し、見つけたら「いた!!ありがとう、永楽!!お疲れさん!!」と言って握手。次に「遊佐は..ここにいた!!お疲れさん!!」と言って握手。その後、総務の人への謝意を評してから、「皆、明日もあるぞ!明日もサイエンスするぞ!」と叫びながらステージに戻られた。見事なマイクパフォーマンスで、大ウケだった。リハーサルではここまでやるとは聞いてなかったので、笑いをこらえて演奏を続けるのが大変だった。
出演者全員で記念写真。
今回は澄田先生が裏医生研チャンネルのMCである「ライムさん」を持ってこられていたので、久々にメタ爺とライムさんでツーショット。
ホテルの1階のラウンジで2時間くらい二次会があり、さらにその後、有志による部屋飲み会が開かれた。
部屋飲み会の写真2。楽しかった!
二日目。外部から招いた演者のお二人目、大森義裕先生(広島大学)。キンギョのゲノムを解析して各種の器官形成に関わる遺伝子を調べるという話。キンギョは、フナを品種改良する事によって色々な異形の品種が作られているので、その発生学の研究で品種ごとにゲノムを調べるというのはすごくいいアイデアであるが、原種であるフナが4倍体であるらしく、そのために解析が大変だったとのこと。4倍体だからこそ遺伝子に突然変異が起こっても致死的になる確率が低く、そのために各種の遺伝子変異を蓄積しやすくて、品種が作られやすかったのでは、という話もされていた。
最後に、ポスター賞の発表。板原君も選ばれた。向かって左から平野友章さん(遊佐研)、板原君、金子泰洸ポール先生(新宅研助教)、小原乃也(だいや)さん(近藤研)、荻原龍馬さん(永楽研)。 荻原さんが一位で、他の4人には特に順位付けはなかった。
京大の南西地区の構内まで、3台のシャトルバスで送迎。初めてのリトリートであったが、よくオーガナイズされていて、とてもいい会だった。恒例の行事にしていければと思う。

2024年8月30日(土)

台風時の空
この日、台風は紀伊半島の南の海上に来ていた。
相変わらず静岡から神奈川にかけては大雨が降っている。一方で京都や大阪には雨雲が無い。
近くのセブンイレブンは臨時休業。
台風の時は大気が何層にもなるので、いろいろな高さの雲が層状に現れる。また、大気中の水蒸気の量が多いので、夕焼けが色づきやすい。この日も、綺麗な夕焼けが見られた。18時半頃、医生研一号館の南側の駐車場から東の空を望んだ写真。
鴨川の堤防の道から、南側を望む。
鴨川の堤防の道から、北側を望む。
西側を望む。どこを見てもきれいだ。

2024年8月29日(金)ー30日(土)

サポート機関合同シンポジウム
SCARDA(先進的研究開発戦略センター)の中のサポート機関である京大、理研、東大が連携して、定期的に合同でミーティングを開催している(2023年8月8日の記事参照)。今年は、浜松のサーラシティ浜松というところで開催された。浜松駅から歩いて5分くらいの立地。
建物の中。会議室の他に屋内テニスコートなどのスポーツ施設もあった。
会場。台風が接近中とはいえ、まだ九州あたりでゆっくり進んでいるということで、現地での開催を敢行された。京都からも関東からも結構多くが参加した。
京大のサポート機関KICの代表である上野英樹先生による挨拶。
今回、河本研からは、私が口頭発表でウイルス特異的TCRの機能評価の話をしたのと、小林さんがポスターで人工リンパ節の話をした。後ろ姿は山本一彦先生(理研IMS)。
18時から浜松駅に隣接した駅ビルの中で情報交流会が開催された。この時点ではまだ台風は左図のように熊本県あたりにいた。この日のお昼頃には「明日は新幹線は三島-名古屋館で終日運休」と決められていたので、この日は情報交流会が終わったら、新幹線で京都や関東に帰り、明日のプログラムは2日目は全員がzoomで、という話になっていた。そのため、私はお昼過ぎには、ホテルをキャンセルしていた。しかし、情報交流会が始まる頃に、この日も大雨のためにすでに静岡-名古屋間の運転を一時取りやめているという情報が入った。それでも最初の頃は「今晩の運休はきっと一時的なもので、まあそのうち動き出すだろう」と楽観していた。
その頃の雨雲レーダー。なぜか最も激しく降ると予想されていた九州南部にはほとんど降っておらず、一方遠くは離れた静岡-神奈川あたりが大雨になっている。
東海地方のアップ。浜松あたりも真っ赤だ。
一通り食事が済んだ頃、「新幹線は本日中には運転を再開しない」という情報が入り、「え、今日中には帰れないの?」となって、各自が対応に追われることになった。写真のように、皆が携帯を操作している。
会の終了後、グループフォト。全員、この日の宿は確保できたものの、台風に振り回されて、疲れ切って、暗い顔をしている。なおこの写真は「暗い顔をして」という指示に応えての演技であるが、半分くらいの人は口元が笑ってしまっている。
それでも「おかげで明日は予定通り現地開催できる」と考え、明るく振る舞った、という設定の写真。
2日目、午前中のプログラムの後、若手研究者奨励賞の授与。一人は、逸見拓矢さん(橋口研の大学院生)。構造生物学的にワクチンをデザインするという話。
もう一人はDongyun Luさん(上野研の大学院生)。コロナの元株に対してできたメモリー細胞が変異株にどう応答するかという話。
会の終了後、駅の近くで昼食。
私は浜松餃子セット(ミニラーメン付き)を食した。普通の餃子は白菜が使われているが、浜松餃子はキャベツを使うのが特徴とのことらしい。美味しかった。
昨晩、逸見さんの提案で、午後にレンタカーを借りて、5人で京都に帰ることになった。日本レンタカーで、Fitを借り、京都で乗り捨て。現地返しだったら8000円くらいのところを、京都で乗り捨てだったので、28000円かかった。それに加えて高速代が6000弱、ガソリン代が2000円弱だった。5人乗ったので、浜松から京都までの新幹線代5人分とほぼ同じくらいの額で済んだ。14時ごろ浜松発、17時過ぎに京都着。写真は鈴鹿パーキングエリア。運転は逸見さんと米谷耕平先生(向かって左から二人目、CiRA濱崎研助教)がしてくれた。ありがとうございました!なお、新幹線が静岡-名古屋間で運転を再開したのは、9月1日(日)の18時頃だったので、木曜日の夜からだから、まる3日間運休してた事になる。
          

2024年8月28日(水)

台風10号が九州に接近し、大気が不安定に
今回の台風10号は、先週の時点での予報では27日火曜日ごろに近畿地方を直撃するとされていたが、予報より西にそれ、また予報よりかなり遅く、この日はまだ九州の南の方をゆっくりと北上している状態だった。
それでも、すでにこのあたりにも影響はあり、この日も夕方頃に雷鳴を伴う夕立があって、降り始めには虹が見られた。

2024年8月26日(月)

笹井さんが訪問
私(河本)は、1994年に桂研に参入する前は、京大病院輸血部(伊藤和彦研)の大学院生だった。桂研に移ってからも伊藤研にはよく出入りしていた。その頃、伊藤研の秘書を務めておられた笹井実香さんが訪ねてくれた。伊藤研時代の懐かしい話ができて楽しかった。

2024年8月25日(日)

葵小学校6年生のクラス会
コロナの前は、時々集まっていた(2019年4月27日の記事参照2018年4月28日の記事参照)が、コロナで中断していた。この日の昼食時に、三条がんこ本店でプチクラス会。5年ぶりであったが、皆元気そうで、よかった。後列左から二人目の北野君は、松崎小学校だったが、本日は特別参加。
          

2024年8月21日(水)ー24日(土)

免疫学会サマースクールに参加
表記の会が湘南国際村センターで開催された。
会場のロケーション。逗子駅からバスで約20分。湘南といえば海のイメージであるが、海からはやや遠く、丘の上に位置する。
1994年竣工とのこと。曲線が使われ、なかなかいいデザインだ。
講義が行われたホール。
今回のオーガナイザー代表の横須賀忠先生(東京医大)による挨拶とオリエンテーション。オリエンテーションでは、これまでに見たことがないほど、細かい点にまで気配りがされていた。
初日のプログラム。恒例となってきた感があるが、今回もイントロダクトリーコースの一コマ目を担当した。
泊まった部屋。
初日の夕食はウェルカムパーティー。
ウェルカムパーティーで、生徒さん全員が各自20秒のプレゼンを行った。
今回のサマースクールには、藤田医大の河本研に出入りしてる中村柚琳(ゆうりん)君(医学部5回生)が参加していた(2023年11月27日の記事参照)。中村君はバンドでギターやベースを弾くなどもしており(2022年4月25日の記事参照)、最近はオリジナル曲もやっているようだ。
サマースクールのいいところの一つは、夕食の後に数時間のフリーディスカッションの時間があるということだ。スクール生同士や、講師と、いろいろな話ができる。
初日のフリーディスカッションで最後までいた人達。この日は23時30分くらいにお開きとなった。講師陣の中では、吉村先生、椛島先生、岡崎先生、茂呂先生の顔が見られる。
2日目、参加者全員で記念写真。中央あたりに岸本先生がおられる。
夕食後、ポスターディスカッションの前に、ポスター発表者総勢30人による1分間プレゼンテーションが催された。
ポスターセッション。
20時-21時に、恒例の「免疫学者を囲む夕べ」というイベントが催された。30分ずつ、2つのグループで質疑応答をする。一つ目のグループ。
二つ目のグループ。
免疫学者を囲む夕べの後はそのままフリーディスカッションへ。この日は午前1時過ぎまで続き、写真はこの日最後までいた人達。講師陣では、岡崎先生、横須賀先生がおられる。
三日目。岸本先生の講義があった。85歳。杖をつかれてはいたが、お元気そうだった。
3日目の夕食時は、フェアウエルパーティーが催された。今年の免疫学会の集会長をされる大野先生の挨拶。
3名がポスター賞を受賞した。3位は井口聖大(たかひろ)さん(東大)。高柳研で新田先生の指導の下、T細胞の中に二つの異なるTCRを発現する細胞が数%存在するが、その計測法や存在意義の研究。一細胞一特異性という免疫学の基本的な概念に挑戦する意義深い課題だ。
2位は畑井俊哉さん。茂呂研で腸内細菌と自然免疫との関連の研究。
1位は高澤郁夫さん。東大の藤尾先生の指導の下、自己免疫疾患患者及び健常人由来の検体のトランスクリプトーム解析から治療標的分子を炙り出すという研究。
最終日のフリーディスカッションにて。向かって右端から鍔田武志先生(医科歯科大)、私、上野英樹先生(京大)。
最終日のフリーディスカッションにて。この日は最後ということもあって、遅くまで賑やかだった。
最終日のフリーディスカッションで最後までいた人達。時間は午前2時半ごろ。講師陣では、竹田先生と横須賀先生がいる。私は、昨年は用務があったので3日目の朝に帰ったが、今年はフル参加した。楽しかった!
バスで逗子に着いた後、竹内先生(京大)、茂呂先生(大阪大)と昼食。このお二人は免疫学会の海外に向けた渉外活動で活躍されており、今後どう進めていくかという話などもした。
            

2024年8月19日(月)

医生研リトリートでの演奏に向けての練習
9月2日(月)-3日(火)に、一泊二日で、医生物学研究所として初のリトリートが開催されることになった。場所は大津プリンスホテル。150人くらいが参加する予定で、賑やかな会になりそうだ。初日の夕食時の懇親会で、アトラクションのイベントが無いのは寂しいと思い、所員に声をかけて、バンド演奏をすることになった。この日は、その演奏会に向けての練習。向かって右から新宅博文先生、峯岸美紗先生(新宅研助教)、永野君(河本研助教)、藤原梨瑚さん(今吉研M2)、今吉格先生、私。

2024年8月15日(木)

姫路市立美術館を訪問
私(河本)は2025年12月に姫路で免疫学会の学術集会の集会長を務めることになっている(2023年4月26日の記事参照、下記動画参照)。その集会で、サイエンスとアートをつなぐようなイベントができないかと構想を練り始めており、姫路私立美術館の館長を務められている不動美里さんに少し前にコンタクトを取って、その後話し合いを進めてきた。その経緯の中で、この日、姫路市立美術館を訪問し、見学させていただいた。
裏医生研チャンネル#第63話:【研究者のお仕事】学術集会の集会長のお仕事① まずは会場探し!
姫路美術館では、「國富奎三コレクション」を常設展示している。折よく國富奎三コレクションを美術館に寄贈した國富先生が来られていて、先生に常設展を案内していただいた。國富先生は医師で、國富胃腸病院の元院長。左の写真は、美術館玄関奥の階段で、向かって左から副館長の松本誠吾さん、國富先生、私、不動さん。
國富先生の寄贈品は30点くらいで、そのほとんどが展示されている。この日は、その質の高さに、驚かされた。コロー、クールベ、ピサロなどの銘品と共に、モネの「ル・プティ=ジュヌヴィリエにて、日の入り」というタイトルの作品があった。これは印象派の名称の元になった「印象・日の出」という作品と同じ頃に描かれた、いわば対のような作品とのこと。こんな絵が常設で観られるとは、すごい。他にもマティスやドガの銘品も観られた。
姫路美術館では、前庭に毎時間ごとに「霧」が発生する。中谷芙二子という人の「霧の彫刻」という作品とのこと。幻想的で素晴らしい。向かって右端は、青山学院大学の岡本真佐子先生。
「霧の彫刻」(美術手帖記事):

2024年8月14日(水)

「村上隆 もののけ 京都」展
村上隆の作品はあまり好きでなかったので、行こうかどうか迷っていたところ、知人から招待券2枚をいただいたので、姪を誘って京セラ美術館に観に行った。京セラ美術館は、北村先生とアンディ・ウォーホル展を観に行って以来、1年半ぶりだ(2023年1月29日の記事参照)。
庭園の池には巨大なオブジェ。ルイ・ヴィトンとのコラボレーションらしい。好みの分かれる作品であろう。
村上隆というと、アニメ絵を変にいじくったような作品の印象が強かったが、今回はこういう作品が多く、結構いい感じに思った。
こういうのが、私が持っていた村上隆のイメージで、今回あらためて観ても、なんだかなあ、と思う。
今回の作品群の多くは新作で、沢山のスタッフを雇っての制作だったようだ。その過程での細かい指示が展示されていて、面白かった。指示に描かれたイラストは本人が描いたものと思われるが、さすがに上手だ。
全体の印象として、かなりのインパクトがあり、とても楽しめた。沢山の作品を観ているうちに、こういうのもありかな、と思えるようになった。

2024年8月11日(日)

いなローメン
先月、軽井沢でのゴルフ合宿に参加した(2024年7月21日の記事参照)後の、車での帰路の途中、中央自動車道の駒ヶ岳サービスエリアに立ち寄った。ここに立ち寄ったのは初めてだった。よく知らなかったローカルフードを見かけたので、買って帰った。近くの伊那市では食堂などで普通に供されているらしい。
この説明によると、ラーメンと焼きそばの間のような食べ物らしい。ネット情報によると、「炒肉麺(ちゃーろーめん)」と呼ばれていたのが、「炒」が取れて「ローメン」となったとのこと。
調理法。スープの袋の中には羊肉が少し入っている。スープはソース味で、さらにウスターソースを足すように、とのことだ。
作ってみた。豚肉と、玉ねぎ、チンゲンサイ、舞茸などを加えた。味は、「スープ焼きそば」という感じで、美味しかったが、ソース味のスープというのにはちょっと馴染めない感じではあった。ネットによると、醤油ベースの中華スープで供する店もあるようだ。

2024年8月9日(金)

長谷川さん来訪
理研免疫センター時代の一時期に河本研の秘書を務めてくれていた長谷川二美さんが、二人のお嬢様を連れて来訪。5年前に、同じようにお嬢様二人を連れて来訪された(2019年3月29日の記事参照)。お姉さんは大学生、妹さんは高校生になられたとのこと。
5年前の写真。今回の写真は、この写真と並べて見れるように、同じところで同じように撮った。「人の子の成長は早い」というが、それを実感した。
          

2024年8月6日(火)

医学生研究室見学
この前日の8月5日に「関西医学生リトリート」というイベントが開催されたそうで、その関連イベントとして「医学生研究室見学」が催された。MD研究者育成プログラムの一環のイベントであるようだ。世話人は生田宏一先生。京大、阪大、神戸大などの医学生が5人ずつくらいの班になって、1日に3つのラボをそれぞれ1時間半ずつ見学するというもの。河本研に来た班は、うちの前は村川泰裕研(ASHBi)、うちの後は渡邉大研(医学部)を見学。1回生から6回生までの混成班だった。私が1時間くらい講義+質疑応答+研究所見学を担当し、その後西村君に引き継いだ。とても熱心に話を聴いてくれた。
私の後、西村君が質疑応答。大学院生の生活などについて話をしたようだ。

2024年7月30日(金)

「コロナ治療用T細胞製剤の開発に成功」を発表
この日、京都大学から、「コロナ治療用T細胞製剤の開発に成功」という内容のリリースが出された。少し前に特許出願を終えたので、そのタイミングで出す次第となった。また、藤田医大からもリリースがあった。
 京大からのリリースの主文は、以下。
「河本宏教授(京都大学医生物学研究所)の研究室は、藤田医科大学の河本宏研究室、大阪大学微生物病研究所山崎晶研究室、および国立成育医療研究センター研究所との共同研究により、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)治療用の多能性幹細胞由来キラーT細胞製剤の作製に世界で初めて成功し、京都大学が主導する形で特許出願を行いました。この成功により、臨床試験に向けた開発研究が本格化します。
 今回開発した細胞製剤は、「キラーT細胞」と呼ばれるウイルス感染細胞を殺傷する能力がある細胞をベースにしたもので、多能性幹細胞であるES細胞から作られます。材料として使うES細胞は、拒絶されにくいように遺伝子を改変させたものです。
 この T細胞製剤を用いた臨床試験は、藤田医科大学で行われる計画です。対象となる患者としては、がん治療の中で免疫不全状態になったためにCOVID-19が難治性になった症例を想定しています。」
研究者からのコメントは、以下。
「COVID-19は大きな脅威ではなくなりつつありますが、一部の患者にとってはまだまだ恐ろしい疾患です。このたび、ようやく治療用T細胞製剤の開発に成功し、臨床試験に向けての開発が本格的に動き出しました。今回作製した細胞製剤は機能的には十分ですが、臨床で使うにはまだ多くの手順が必要です。なお、今回開発した技術は他の様々な致死的ウイルスにも使えます。人類をウイルス感染による死から救うブレイクスルーになればと願っています。
 もう一点、この成果は、医生物学研究所だからこそ達成できたという事も述べておきたく思います。当研究所は、これまでに、ウイルス学、再生医学、免疫学などの領域の研究で世界を牽引してきた実績があります。今回の研究成果は、まさに免疫学-再生医学-ウイルス学の融合によってなされたものであり、医生物学研究所ならではの強みが発揮されたと言えます。(河本宏)」
京大HP記事:
医生研HP記事:
藤田医大HP記事:
今回は、この新しい治療薬が「どういう経緯で開発されたのか」「なぜ世界初になれたのか」「なぜES細胞なのか」「なぜHLAを欠失させたのか」などの疑問符が湧いてくる内容だと思われる。そういう疑問に答えられるように、「詳しい内容について」という文書もアップロードして、京大のHP記事からつながるようにした。以下にもリンクを貼っておく。
詳しい内容について:
上記の「詳しい内容について」の中から、今回作製した治療用細胞医薬の作り方と、作成された細胞の顕微鏡写真。
同じく上記の「詳しい内容について」の中から、作製したT細胞が新型コロナのスパイクタンパクを発現させた肺胞上皮細胞を殺傷するかどうかを検定する実験の方法。今回は発表用に、あらためて動画として撮影した。
同じく上記の「詳しい内容について」の中から、上記の実験の結果。培養前と比べて、またコントロール実験の培養後の状態と比べて、肺胞上皮細胞のほとんどが殺傷されているのがわかる。以下に動画のリンクを貼ったので、参照いただきたい。
コントロール実験の動画:
本実験の動画:
今回は、数社の新聞で朝刊に載せていただけ、また下記のようにネットニュースも複数件で取り扱っていただけた。この日の14時ごろから16時ごろまで、Yahooニュースのトップに表示さていた。ありがたいことだ。
TBS NEWS DIG:
毎日新聞:
日経新聞:
産経新聞(産経ニュース):
共同通信:
時事通信:
日刊工業新聞(ニュースイッチ):
京都新聞: 
今回は、テレビニュースでも扱っていただけた。左の写真はMBSニュース。
ABCテレビニュース(YouTube):
MBSニュース(YouTube):
ABCテレビニュースでは、イントロで使ったイラストでの説明がアップで映った。

2024年7月29日(月)

テルミンを使ったライブ
大久保さんも出演するというので、「快喜滑稽音楽箱 2024」というライブを、木屋町のUrBANGUILDというライブハウスに観に行った。リーダーは生方ノリタカ(Nori Ubukata)という人で、フランス在住であるらしいが、「Theresyn」というシンセとテルミンを合体させた楽器を作られていて、完成したので日本でお披露目、という主旨らしい。ベースになっているテルミンは、水平方向と垂直方向に伸びたアンテナで囲われた四角の平面の中に手をかざして動かすことで、いろいろな音程や音色を出せる電子楽器。歴史は古く、発明されたのは1920年とのこと。大久保さんがドラムとギターで、ベースはホソイヒサトさん、ピアノはCynthia Caubisens(シンティア・コビゼンス)というフランスから来られたピアニスト。
快喜滑稽音楽箱 2024:
生方ノリタカさんのテルミンを操るライブのYouTube動画:
ホソイヒサトさんの曲のYouTube動画:
Cynthia Caubisensのピアノ演奏のYouTube動画:
演奏風景。一曲ごとに大まかなテーマや曲調に関する打ち合わせはしてあるようではあったが、全曲ほぼ即興演奏。Theresynの音色が響く中、幻想的な雰囲気に浸れた。
ライブ終了後、シンティアさんと、観客として来ていた洛北高校の同級生の田中君(前列左端)と北野君(後列右端)と一緒に、記念写真。
新しい楽器「Theresyn」の表側。テルミン本来の電子音に、アコースティックな音を混ぜることができるということらしい。向かって右は、この日たまたま同じテーブルに座られていた大東武弘という人で、バンドをやっておられるということで音楽の話を楽しめた。お仕事としては、「weavearth」という麻を素材として使っているファッションブランドを運営されているとのこと。いわゆる麻には2種類あって、リネンは亜麻(アマ)、ヘンプは麻(アサ)という全く別な植物から作られているらしく、weavearthではヘンプの方を主に扱っているらしい。
weaveartのYouTube

2024年7月28日(日)

「角田金」の号外
この日の朝、京都に帰ろうと東京駅に向かったところ、号外が配られていたので、一ついただいた。確かに角田の巴投げは素晴らしかった。来るとわかっていても防げないというのがすごい。一本にならなくてもすぐに腕ひしぎに行くという必勝パターンも、かっこいい。この何日か後の、団体戦も角田はすごかった。

2024年7月27日(土)

谷口克先生を偲ぶ会
表記の会が竹橋の学士会館で開催された。谷口克先生は、私が理研の免疫・アレルギー科学総合研究センター(RCAI)にいた時の、センター長を務めておられ、私は大変なお世話になった。
当時の理研のセンターは、センター長のリーダーシップでかなり事を決めることができたようだ。まずグループディレクター5-6人を谷口先生が決め、そのグループディレクターが審査員になって、チームリーダー10人を選ぶという進め方だった。今では考えられないくらい破格の待遇だったので、その10人枠の公募(2022年)に対して100人くらいが応募し、激戦だった。当時湊長博先生(現京大総長)の助教になったばかりであったが、ダメ元で応募したところ、幸いにも採用された。グループディレクターの方々も推してくださったのであろうが、谷口先生が引っ張ってくれないと、採用されていなかったはずだ。当時谷口先生は、NKT細胞の分化過程の研究をしたかったらしく、それでT細胞分化の研究をしていた私を採用してくれたのではと思われる。とにかくこの理研のチームリーダーにしていただけたことが、私の人生で最大の転機だった。
 理研に行ってからは、谷口研とは、NKT細胞分化過程についての共同研究を進めた。当時、iPS細胞の登場(2006年)の前の2004年頃から、核移植でNKT細胞クローンマウスを作る研究をされていて、その研究に参加することが、「ES/iPS細胞からT細胞を作る」という現在の河本研のメインテーマになっている。そういう意味でも、大きな恩義がある。
 また、谷口先生は、バンド活動を、容認というよりも、むしろ積極的に支援いただいた。例えば、自分が集会長を務める国際NKT細胞学会では、Negative Selectionを理研バンドとして懇親会で演奏させていただけたりした。免疫センター主催のサマースクールや、忘年会などでも演奏させていただけた。この点についても、深く感謝している。
斉藤隆先生が司会役を務められた。斉藤先生は発足当初からのグループディレクターで、当時ラボの立ち上げのための機器類を購入する際に随分お世話になった。T細胞のシグナルの研究をされている関係で、T細胞分化の研究をしている私としては、多くの事を教えていただいた。また、KTCCの初期からの重要メンバーで、今年6月に開催されたKTCCにも来られていた(2024年6月14日の記事参照)。
徳久剛史先生(元千葉大学学長)による挨拶。
大熊健康司先生による挨拶。RCAIは横浜鶴見の理研横浜研究所の中に北棟として建てられた。2004年竣工。大熊先生は、当時横浜研の所長だった。
RCAIは、発足後10年で、理研ゲノム科学センターと統合し、2012年から生命医科学研究センター(IMS)に改称された。IMSの現センター長である山本一彦先生による挨拶。
RCAI発足当時のグループディレクターかつ副センター長であった平野俊夫先生による挨拶。
大村智先生による挨拶。大村先生と谷口先生はゴルフつながりがあったようだ。
RCAIのグループディレクターだった竹森利忠先生。私の理解が正しければ、竹森先生は谷口先生がケアした最初の大学院生だったらしい。そのせいか、谷口先生とは気心が知れていて、RCAIに来られてからは、センター全体の調整役として、とても活躍されていたように思う。勿論、ご自身の研究を進められていたし、原発性免疫不全症の研究センターの設立を先導されたりもしていた。
理研IMSの初代センター長である小安重雄先生による挨拶。その後、理研の理事を経て、現在は平野先生の後を継ぐ形で量子科学技術研究開発機構の理事長をされている。偉い先生であるが、依然としてフットワークは軽く、今年6月に開催されたKTCCでは、3次会のカラオケにまで付き合ってくださった(2024年6月14日の記事参照)。付き合って下さったというのは正しい表現ではなく、小安先生と茂呂先生がいつものようにカラオケに行くのに、私も混ぜてもらったという感じだった。
理研IMSの第二代センター長である山本雅先生(OIST)による挨拶。
理研RCAIの発足当初からグループディレクターである古関明彦先生による挨拶。RCAIの動物施設の管理をされつつ、各種KOマウスの作製を強力に進め、河本研でも古関研との共同研究でポリコムKOマウスを使わせてもらっている。免疫学者というより、molecular biologistであるが、iPS細胞由来NKT細胞の研究でもリーダーを務めてAMED資金をゲットするなど、外部資金確保でも大活躍されてきた。私は今も古関研の客員研究員として、理研の身分を持っている。
IMSのセンター長室コーディネーターを務める岩野はるかさんによる挨拶。私はRCAI時代にはセンターの広報業務にも少し参加していたので、よく一緒に作業をした。ハーバード大学から研修に来ていた学生の後始末で、撤去された自転車を回収しに行ったりもした(2009年7月14日の記事参照)。
理研RCAIを担当されていた事務方の福島さんによる挨拶。
谷口先生の秘書を長年務めてこられた田辺宏子さんによる挨拶。
今回は、懐かしい人達に会えて、共に谷口先生を偲べて、よかったと思う。
向かって左から、田辺さん、山口さん、小安先生、岩崎さん、足立さん。
再生NKT細胞療法の開発を進めてこられた藤井慎一郎先生(理研IMS)による挨拶。
谷口先生の奥様による挨拶。とてもいいご主人だったようだ。
RCAIでは、当初は各リーダーに秘書さんが1人ずつ配置されていたが、途中からコーディネーションオフィスという形で秘書業務がまとめられ、各リーダーからは引き離されることになった(2010年1月8日の記事参照)。当時からおられた方達と会えてとても懐かしく思った。向かって左から手塚さん、居山さん、小安先生、私、原口さん。
二次会。向かって右端は、元谷口研秘書の竹内さん。理研RCAIには、いい思い出が詰まっており、心のふるさとのように思っている。

2024年7月25日(木)

学童保育所「KuSuKu」でお話し
京都大学が教職員や学生のために開設した学童保育所「KuSuKu」。かつて京大会館と呼ばれていた建物が使われている。ここではアカデミック・プログラムと称して京大の教員や元教員が講師を務めるイベントが毎日のように開催されている。このプログラムの講師をお願いされた。持ち時間は1時間半。1時間半もの間、低学年から高学年の子どもたちを相手に、興味を持たせ続けて、つなぎ止める必要がある。私は一般向けや中高生向けの話はしたことがあるが、小学生、しかも低学年相手となると、初めてなので、あれこれと工夫が必要だった。私が1時間、澄田先生が30分という時間配分にした。写真は、澄田先生が、「3DCG空間の中で、皆で街づくりをしよう」というコーナーを進めているところ。
KuSuKuのHP:
多くの子供達がすごく積極的に参加し、橋、新幹線、車、公園、飛行機、船、ロケット発射台など次々とリクエスト発していた。それらに応じながら配置した街を、後で3DCG空間として描き出して、その中に入っていくという構成。子供達には大ウケだった。
私の方は、裏医生研チャンネルで作ったスライドを使いながら、「私がどんな小学生だったか」「免疫細胞とは」「病原体の種類」「再生医療(動物の再生)」「光る生物」などの話題を、動画やマンガのスライドを主に使い、間にクイズを入れたりしながら進め、最後にギター(アンプとエフェクターを持って行ってロックの音で)を弾きながら皆にリンパ節一人旅のサビの部分を歌ってもらったりした。左は、合間に入れたクイズの中で、「生き物クイズ」の最初の問題。左上の画像は、動画として出した。これは、半分くらいの子供達が名前は知っていた。しかし、何の仲間かというのは、正解は出なかった。答えは、「クリオネ」で、カイの仲間。
いくつか出した中で、一番難しかった問題。答えは、名前は「テヅルモヅル」で、ヒトデの仲間。しかし、30人もいれば生き物博士みたいな子もいて、オオグチボヤは5人くらいが知っていたし、ユメナマコも、1人、知っている子がいた。
アカデミックとは言えないが、アニメの作品名とキャラ名を当てるコーナーもやった。裏チャンネルの昭和ネタの部分で描いたイラストを利用。左については、作品名はほとんどの子供達がわかったようだが、キャラ名は出てこなかった。作品名は「天空の城ラピュタ」で、キャラ名は「ポムじいさん」。
これも作品名はほとんどの子供達がわかったようだが、キャラ名は出てこなかった。もしかすると、子供達は、高齢男性は全て「おじいさん」という枠にはめてしまって、キャラ名では覚えようとしないのかもしれない。作品名は「風の谷のナウシカ」で、キャラ名は「ユパ」。
          

2024年7月23日(火)

部局長会議等合同懇親会
表記の会が、芝蘭会館の山内ホールで開催された。昨年はホテルオークラだった(2023年7月25日の記事参照)。
湊総長による挨拶。国際卓越研究大学の申請に向けての話はあまりされなかった。
向かって左から、辻井敬亘先生(連携基盤長、元化学研所長)、引原隆士先生(理事・副学長、情報環境機関長)、山本衛先生(生存研所長)、私。引原隆士先生からいろいろな話が聞けた。

2024年7月23日(火)

スズメの巣
ツバメの巣はよく見かけるが、スズメの巣はこれまでに見たことがなかった。高いところや、わかりにくいところに巣をつくるからという事のようだ。この日、医生研の駐輪場で、スズメの巣を見かけた。
親鳥が虫(何らかのアオムシのように見えた)を運んでいた。ヒナの姿は見えなかったが、鳴き声はきこえた。この並びに、別なスズメがもう1箇所同じような感じで営巣していた。しばらく見ていたら、5分毎くらいに虫を運んでいた。

2024年7月23日(火)

リバーセルが万博に出展できることになった
大阪産業局が関与する大阪ヘルスケアパビリオンに、リバーセルが出展できることになった。この日、大阪産業局から、二次募集で採択となった企業が発表され、リバーセルがその中に入った。出展といっても、会期中の1週間だけという感じで、どの程度のスペースを使えるのかとか、方針もまだ決まっていない。産業局関係とは別個に、他にも多くのiPS細胞関連企業がいろいろな形で万博には出展をするのであろうが、iPS細胞関連ベンチャーで万博に出展が決まったのは2社目だということで、ニュースにしてもらえたようだ。なお1社目はクオリプスというiPS細胞由来心筋細胞を作っている会社。記事には「キラーT細胞を3Dホログラムで」など書かれているが、あくまでも現時点での希望であって、実現できるかは不明。
ネットニュース記事(読売オンライン):
8月2日金曜日の朝刊の24面の科学・医療ページに、ほぼ同じ内容で再掲載いただいた。ありがたいことだ。
          

2024年7月21日(日)

北村先生主宰のゴルフ合宿に参加
ここのところ恒例になった北村先生主宰のゴルフ合宿。今年は昨年に引き続き軽井沢だった(2023年8月6日の記事参照)。軽井沢のハルニレテラス(左の写真)で早めの昼食。陽射しは暑いが、気温が25度くらいで、快適だった。
ラウンド前の写真。向かって右から田中ゆり子先生(東邦大学)、梶川益紀さん(リバーセル)、私、清野研一郎先生(北大)、岩間厚志先生(東大医科研)、真下知士先生(東大医科研)、杉山諒先生(国立精神・神経医療研究センター病院)。杉山先生は元東大ゴルフ部の部長とのことで、同じ組ではなかったが、ラウンド前の練習で見たところ、ドライバーでものすごい飛距離と美しいドローの弾道のショットを打っていた。さすがだ。
夕食。向かって右から3人目は佐々木彩先生(昭和大学医学部の大学院生、外科医)。佐々木先生は今年2月に開催された骨免疫学会のウインタースクールにも来られていた。
記念写真。
部屋飲み。こういうのは楽しい。
太平洋クラブ軽井沢リゾートの最終ホール。美しいホールであるが、悔しいことに今年も池ポチャしてしまった。
帰路の車中から見えた積乱雲。

2024年7月20日(土)

第18回公開講演会を開催
この日の午後、時計台ホールで表記の会が開催された。今年の演者は新宅博文先生と朝長啓造先生。
300人以上の参加があり、盛況だった。新宅先生も朝長先生もわかりやすい講演をされ、質疑応答も盛り上がり、いい会になった。
          

2024年7月19日(金)

医学研究科懇談会
表記の会がウェスティン都ホテル京都で開催された。昨年はブライトンホテルだった(2023年7月28日の記事参照)。昨年も盛況だったが、今年はOB/OGが30名以上、現役が50名以上という参加人数で、とても賑やかだった。
医学研究科長の伊佐正先生による挨拶。
会場の窓からの景色。
上本伸二先生(滋賀医大学長、元医学研究科長)による挨拶。
席が中西重忠先生のお隣りだったので、いろいろな話ができて、嬉しかった。稲盛財団の理事の会長をされていて、京都賞の選考などをされているとの話だった。私が湊研(医学部D棟5階)にいた頃、一つ下の階におられ、ワールドカップのサッカーの試合をテレビ観戦するために湊研のセミナー室に来られたりしていた。
新任の先生方による挨拶。マイクの前に立っているのは西川博嘉先生。今年7月にがん免疫総合研究センター(CCII)の教授に着任された。国立がん研究センターとの兼任ということらしい。
          

2024年7月19日(金)

佐治先生主宰の昼食会
この日、約1年ぶりに、佐治先生主宰の昼食会がホテルオークラのピトレスクで催された(2023年8月26日の記事参照)。今回はリバーセル関係者の集い。この会は打ち合わせや勉強会も兼ねており、この日は新型コロナ治療用T細胞製剤の特許出願やプレスリリースについての話をした。佐治先生は86歳になられたとの話であるが、まだ矍鑠(かくしゃく)とされている。
          

2024年7月17日(水)

木村先生、森下先生と打ち合わせ
昨年8月、繊維機械学会関連のイベントで話をさせていただいた(2023年8月23日の記事参照)が、その後、そのイベントの主催者である木村照夫先生(写真向かって右から2人目、工芸繊維大学教授、繊維リサイクル技術研究会委員長)と森下あおい先生(写真右端、滋賀県立大学人間文化学部教授)と、繊維製品の再生について何か一緒にできないか画策している。この日はその打ち合わせ。小林由佳先生(左端)に手伝ってもらっている。

2024年7月16日(火)

藤田先生と共同研究について打ち合わせ
藤田先生は数年前に退官されているが、医生研1号館の中の全学スペースの一画を借りて、精力的に研究を続けておられる。最近、面白い知見を得られたとのことで、共同研究の可能性について、話しあった。

2024年7月13日(土)

宝塚で「ベルサイユのバラ-フェルゼン編-」を観劇
話の流れから、久々(高校時代以来)に宝塚歌劇を観にいく事になった。今回の「ベルばら」は、雪組トップスターの退団記念講演、さらに10年ぶりのベルばら、宝塚初演からの50周年記念などの話も加わって、大人気で、チケットをゲットするのは大変であるらしい。しかし、大の宝塚ファンである妹が頑張ってくれて、この日、観ることができた。
劇場に入る前のロビー。
入場後、ホールの入り口。
大劇場。座席数は2550とのこと。フェルゼン編ではあるが、オスカルとアンドレの話もちゃんと入っていた。名曲「愛あればこそ」を、いろいろな状況で、何回も聴けて、そのたびに泣きそうになった。なお、妹の話によると、「xxx編」という外伝的な演目は、他にも「アラン編」、「ベルナール編」、「ジェローデル編」などがあるらしい。そんなん盛り上がるのかと心配してしまうが、それぞれちゃんと池田理代子が監修していて、面白いとのこと。
          

2024年7月10日(水)ー12日(金)

がん免疫学会とバイオセラピィ学会の合同集会
表記の会が昭和大学の上條記念館で開催された。
昨年のバイオセラピィ学会もここで開催された(2023年12月13日の記事参照)。いいホールだ。
二日目の午前中、「基礎と臨床の融合による新時代のがん免疫療法」というセッション(シンポジウム1)で永野君が発表した。
二日目の午後、「がん免疫療法の過去と未来―合同学会に望むことー」というセッション(シンポジウム2)が組まれた。これまでのそれぞれの学会の歴史が語られ、面白かった。がん免疫学会は基礎の腫瘍免疫学の先生の集まり、バイオセラピィ学会は外科の先生の集まりという傾向がある。歴史はバイオセラピィ学会の方が古い。
懇親会では昨年のバイオセラピィ学会に引き続きマグロの解体ショーが行われた。
50kg超の大きなマグロだった。
向かって左から、縣保年先生(滋賀医大)、直江吉則先生(名古屋大)、私、永野君、近藤健太先生(滋賀医大)、縣研の学生さん。
今回のがん免疫学会側の集会長、角田卓也先生(昭和大学)による挨拶。
今回のバイオセラピィ学会側の集会長、谷眞至先生(滋賀医科大学)による挨拶。
向かって左から、高岡晃教先生(北大)、竹田和由先生(順天堂大)、石黒智之先生(昭和大)、角田先生、池田裕明先生(長崎大)、私。池田先生は今回の学会からがん免疫学会の理事長を務められている。
関係者で二次会。
3日目、ポスター会場で、垣見和宏先生と。垣見先生は2023年度に、東大から近畿大学の免疫学教室の教授に異動された。
          

2024年7月9日(火)

医生研主催の「神経科学」研究会
表記の会が芝蘭会館の稲森ホールで開催された。「医生研の発展のために今後どういう分野を学びたいか」という主旨で企画されたワークショップ。
南西地区(医学部、薬学部、病院、生命科学科など)に周知されたので、参加者は多かった。
会の終了後、今回の演者と医生研の教授陣で、芝蘭カフェで情報交換会。
情報交換会参加者でgroup photo。前列は演者の5人。いい会だった。
          

2024年7月8日(月)

梶川社長、北村先生と藤田医科大学を訪問
リバーセルの梶川社長と北村取締役と共に、藤田医科大学を訪問した。打ち合わせの後、 国際再生医療研究センターの細胞製造施設を見学。向かって右から、牧野快彦氏(フジタイノベーションキャピタル社長)、梶川社長、北村先生、平山偉之先生(フジタイノベーションキャピタル取締役)。藤田医科大学ではウイルス感染症の治療法の開発を進めている。
国際再生医療研究センター細胞製造施設:
施設見学後、藤田医科大学河本研で打ち合わせ。向かって左から美山貴彦講師、川瀬孝和准教授。
          

2024年6月29日(土)ー7月2日(火)

第42回日本骨代謝学会学術集会に参加
表記の会が沖縄の那覇で開催された。
今回はピーチ航空を利用。機内販売でカップヌードルとビールを楽しんだ。
今回は、2日目の全体懇親会で、演奏することになっている(2024年4月17日の記事参照)。初日、お昼頃那覇に着き、スタジオで直前練習。沖縄は音楽が盛んなはずなのに、なぜか国際通り界隈には練習スタジオがほとんどなく、街外れまで行く必要があった。写真は、地下のスタジオへの入り口。わかりにくかった。
塚崎雅之先生(東京大学高柳研特任准教授)と木村朱里(あかり)さん(東大大学院M2生)は来られたが、田中栄先生は所用があり、来られなかった。また、ベース担当の清野研一郎先生(北大遺制研)も、フライトの時間の関係で、欠席。向かって左は大久保博志さん(Progress)。
練習後、懇親会場のあるホテルコレクティブ(右側のベージュ色の建物)に楽器類を搬入。ホテルは国際通りに面している。
その後、夕方のプログラムに参加。会場はホテルから歩いて数分の那覇文化芸術劇場「なはーと」。
なはーと大劇場。立派な会場だ。
初日のプログラム終了後、理事懇親会へ。私は理事ではないが、教育講演の演者として声をかけていただけた。写真は途中の商店街。
第一牧志公設市場に到着。
この市場は2階が食堂になっている。懇親会は、その一角で催された。
今回の集会長の高柳広先生(東大)。学会に付随するイベントの企画力がすごい。
清野先生と、宿南知佐先生(広島大)。舟盛がとても美味しそうだ。
北村先生と私。
宇田川信之先生(松本歯科大)と司会の木村さん。
ホテルロコアナハに宿泊。
部屋からの景色。リーズナブルな価格であったが、部屋もよく、また朝食(ブッフェ形式)が素晴らしかった。
2日目、OIST-琉球大学の合同シンポに、琉球大学皮膚科の高橋建造先生が登壇。なぜか沖縄にカポジ肉腫が多いというような話をされていた。
OISTの山本先生も登壇。mRNA分解酵素「CCR4-NOT複合体」についての話だった。
昼食は、大久保さんと、第一牧志公設市場へ。1階の市場で、食材を選ぶと、2階でそれらを材料にした料理を食べられるという仕組み。種類が豊富で、何にするか迷う。
ミッキーマウスのような形の食材は、「チラガー」というブタの頭部の皮。
あれこれ見て回って、この店で買うことにした。
イラブチャー(ナンヨウブダイ)という青い魚を食べてみることにした。半身は刺身、半身はマース煮(塩煮)でとお願いした。合わせて1,500円くらいだったと思う。車エビも購入。
夜光貝も購入。2,500円くらいだった。刺身と、バター炒めにしてもらった。
イラブチャーのマース煮。普通に美味しかった。
ミミガー(ブタの耳)のあえものや、スクガラス豆腐(豆腐の上に小魚が乗ったもの)も注文した。二人で「いやあ、天国ですな」と言いながら楽しんだ。
午後のプログラム終了後、全体懇親会。司会は木村さん。
沢山の参加があり、大盛況だった。
須田立雄先生による挨拶。骨代謝学を黎明期から支えてこられた大御所の先生。
会の半ばあたりから、ネガティブセレクションの演奏。Openingsという曲の冒頭の変拍子の部分を演奏してから、「リンパ節一人旅」を演奏。本来は、ネガティブセレクションの曲として石井優先生(大阪大)に「或好中球の一生」を歌ってもらう予定であったが、急遽参加できなくなったために、私の歌でリンパ節一人旅を演奏することになった。写真はサビの「明日は出ていく最前線に」の部分で、大久保さんがコーラスで入っている。
「Openings」ミュージックビデオ:
「リンパ節一人旅」ミュージックビデオ:
「或好中球の一生」ミュージックビデオ:
続いて、木村さんによる中森明菜の「DESIRE(デザイア)」。木村さんはかつてバンドで歌っていたことがあるとのことだ。
低く太い、強い声で、本家に迫る熱唱だった。
続いて、塚崎先生による沢田研二の「勝手にしやがれ」。塚崎先生も、とても上手だ。帽子を投げるところも、さまになっている。この10月から若くして昭和大学の教授になるという。つい最近、高柳先生との共同コレスポ論文がNatureにアクセプトになったという話もしていた。少し前に紹介したが、骨免疫学の入門書を書くなどもしている(2021年8月23日の記事参照)。高校生の時にテコンドーのチャンピオンだったとかの逸話もある。それでいて、気さくで、人当たりもとても良い。あまり欠点がないのというのもそれはそれで問題なので、関係者で欠点探しをしようという話が出ている。
トリは、東大病院の院長、田中栄先生(整形外科)による「天城越え」。この曲を原曲通りのキーで、歌われた。本番では、関節リウマチの治療に関する替え歌になっていて、大いに受けていた。
演奏が終わって、記念写真。
村上智彦先生(大阪大学歯学部講師)と久々の再会。村上先生は、私が京大の湊研にいた頃、理学部の4回生の学生として、稲葉先生からの紹介で河本グループに研究にきていた。私が理研にいた頃に一度訪ねてこられたこともあった(2009年12月11日の記事参照)。
3日目の午前中に清野先生による教育講演があった。
この日の昼食は、せっかくの沖縄なので、ステーキを食した。大久保さんと二人で「演奏も終わってやれやれで、いやあ、これもまた、天国ですな」と言いながら楽しんだ。
外を歩くと日差しが熱い。ほぼ真上から照りつけるので、影がほとんどないことに気がついた。
3日目の夕食は、会長招宴に呼んでいただけた。貸切バス2台で、チャタン ハーバー。
会場のチャタン ハーバー ブルワリー&レストラン。
長田先生による挨拶。
向かって右から、高橋先生、宇田川先生、保田尚孝先生(オリエンタル酵母)。
最終日、午前中に教育講演を行った。閉会式終了後、モノレールで空港へ。
帰路のフライトのルート。左側の窓際の席だったので、本島を俯瞰できた。
南端。珊瑚礁が育ちつつあるのがわかる。
普天間基地の滑走路が真ん中あたりに見える。
くびれている部分の向こう側にOISTがあるはずだが、どれだかよくわからない。
手前の薄茶色の三角形が辺野古の埋め立て地。
沖縄本島を離れた後も、南西諸島に沿うような航路であったため、いくつかの島を見ることができた。
与論島。サンゴ礁がよく発達していて、いわゆるラグーン(浅くなっている部分)がよく育っている。
沖永良部島。
徳之島。固有種が多いことで知られる。
奄美大島。大きい。
屋久島。1936 mという高さの山がある。そんな山が聳え立つことから火山島かと思うと、隆起でできた島だというので、驚く。私は植物が好きなので、死ぬまでに一度は行ってみたい島だ。
種子島。こちらは平たい。
大阪湾の赤潮。以前も記事にしたことがある(2023年3月12日の記事参照)が、大阪湾ではよく発生しているようだ。
今回乗った飛行機。
会期中に高橋建造先生にネガティブセレクションのファーストアルバムとセカンドアルバムを進呈したところ、しばらくしてこんな返礼を頂いた。とても美味しかった。ありがとうございました!

2024年6月24日(月)

獨協医大で講義
今年も獨協医大の解剖学の講義の中で2コマ講義をさせていただいた(2023年6月5日の記事参照)。講義が午前中なので、前日入り。徳田先生と上田先生に、「若竹の社 若山農場」という竹林の公園に連れて行っていただいた。入場料500円。
農場のマップ。
真竹(まだけ)。日本の在来種。やや小さい。
孟宗竹(もうそうちく)の林。中国原産。大きい。新芽はタケノコとして食される。この農場は映画やミュージックビデオのロケでよく使われるらしい。下記は椎名林檎の曲で使われた例。
椎名林檎「いろはにほへと」:
徳田先生と。上田先生に撮っていただいた。この日はあいにくの雨天であったが、それなりに竹林の風情は楽しめた。
下草が刈り込まれていて、とても手入れが行き届いた竹林だ。
金明孟宗竹。
金明孟宗竹の竹林の前で、徳田先生と上田先生。
亀甲竹。孟宗竹の一種とのこと。面白い形だ。水戸黄門の杖として使われているのはこれであるらしい。
竹林の中にテント張のお茶屋さんが設営されていた。
入場時に引換券を購入する。抹茶とお茶請けで、750円。なお、この竹でできた茶器は、持って帰ることができる。全てこの農場で伐採した竹から作られているらしい。
竹でできたブランコ。NHKの夜ドラ「#VRおじさんの初恋」の中に登場したらしい。
西弁天沼。茶色く見えるが、水底の砂の色で、きれいな水だった。中禅寺湖からの伏流水が沸いているとのこと。地理的にはかなり遠いので、ちょっと無理があるのではと思う。
宇都宮駅から東の方に伸びる路面電車。LRT(Light Rail Transit)と呼ばれている。2023年8月に開業。多くの街で路面電車が廃止されてきた中で、新規に作って採算は合うのかと心配するところであるが、今のところ黒字らしい。
「ペニーレイン」というパン屋さんに立ち寄った。那須に本店があるらしいが、あちこちに支店があるようだ。ビートルズをイメージしているとのこと。
店内。ビートルズのグッズも販売されている。
徳田先生のおすすめ品、ブルーベリーブレッドをお土産として購入。美味しかった。写真はペニーレインのHPより拝借した。
24日朝、獨協医大構内でネジバナを見かけた。このラボニュースには何度も登場している(2023年6月26日の記事参照)。ラン科の中で唯一雑草化した種。ランが好きな私としては、ネジバナを見かけるだけで嬉しくなる。
獨協医大病院。
解剖学の講義の中で、免疫学入門編のような話と、研究内容を紹介する話をさせていただいた。また、ネガティブセレクションのセカンドアルバム「辺境の街から」と、YouTubeに載せている動画の紹介もさせていただいた。写真は「VDJ-recombined」の一部を観てもらっているところ。
VDJ-recombinedミュージックビデオ:
帰路に新幹線から望んだ富士山。

2024年6月14日(金)ー15日(土)

第33回KTCC
表記の会が芝蘭会館で開催された。その前日、代表の谷内先生が私のオフィスに来られ、谷内先生が集会長を務める予定の2026年の国際KTCC(5月25日−29日に開催予定)について、2017年の高浜先生が集会長をされた時の話や、2021年に私がやる予定だった時の話(2021年4月30日の記事参照)を交えつつ、意見交換を行なった。
当日。芝蘭会館の玄関口の看板。今回の会に合わせて描いたイラストも掲示した。
今回の集会長は、堀昌平先生(東京大学)。KTCCの抄録集の裏表紙には、最近はよく私が描いた線描のイラストが載せられている。今回も堀先生から依頼を受けたので、イラストを描く事になった。堀先生は制御性T細胞の研究者なので、制御性T細胞に関係するイラストを考えた。左は、第1稿。胸腺の中の制御性T細胞の分化経路と、リンパ節で働く様子を描こうとした。
堀先生が制御性T細胞の遺伝子改変する様子をどう描こうかと考えていた時に、ふと昨年12月に参加した内視鏡外科学会で見た手術支援ロボットを思い出した(2023年12月7日の記事参照)。
手術支援ロボットのイメージを入れて描いた第2稿。
胸腺の部分を大きくした第3稿。
胸腺の中の分化経路をおさめるために、縦長にした第4稿。これを使う事にした。
上記の鉛筆画をフォトショップに取り込み、上に重ねたレイヤーに線を描き込んだ。この線描イラストは裏表紙用に用いた。
フォトショップの塗りつぶしツールを使って彩色。
イラストの解説。瀬戸口留可先生は、堀先生の奥様。記憶T細胞の研究者であるが、せっかくなので登場いただいた。以下はサイエンスイラストレーション集に収録した解説:
「胸腺の中で育った胸腺細胞は、胸腺上皮細胞や樹状細胞に出会って、運命を振り分けられます。これらの細胞に強く反応してしまう胸腺細胞は、そのまま育つと危険とみなされて、「負の選択」で死んでいきます。適度に反応できる細胞は、将来性を買われて「正の選択」を受け、最後まで分化させてもらえます。ほとんど反応できない細胞は、「将来的に見込み無し」とみなされて、死んでいきます。強く反応する胸腺細胞の一部は、負の選択の経路の近くから分岐して、生き残って「制御性T細胞」へと分化することができます。制御性T細胞は、末梢に出ていくと、リンパ節の中で様々な方法で樹状細胞を抑制し、その結果として免疫反応を抑制する細胞として働きます。ある制御性T細胞の研究者は、この細胞を取り出して、細胞の核の中にあるFoxp3という遺伝子を操作し、部分的に入れ替えたりします。Foxp3というのは制御性T細胞の働き方を規定する重要な因子です。遺伝子を改変してから、その制御性T細胞を生体内に戻します。戻された制御性T細胞の働きぶりを調べることによって、Foxp3という分子のどの部分がどの働き方を制御しているのかがわかります。」
会は13時スタートで、その20分くらい前から受付は混雑し始める。
今回はKTCCのシニアのメンバーとしては垣生園子先生(順天堂大、向かって左)と斉藤隆先生(理研IMS、右)が参加された。渡邊武先生は河本研には毎週来られているが、KTCCは久しぶりに参加。御三方は、お互いに久しぶりの対面を喜んでおられた。
ロビーの片隅で、ネガティブセレクションのセカンドアルバムの販売を行なった。一枚1000円で、おまけとしてファーストアルバムと、本の表紙として使われたイラストを使った絵葉書(6枚セット)も付けた。しかし、残念ながら、ほとんど売れなかった。
ネガティブセレクション「辺境の街から」アマゾンのサイト:
今回の集会長、堀先生による開会の辞。
その中で今回描いたイラストを紹介してくれた。
参加人数は160人以上になり、昨年に引き続き大盛況だった。コロナ前は130人くらいだったので、かなり増えている。いいことだ。5分発表、5分討論という討論中心の会であるが、若い人が次々と質問に立ち、KTCCのスタイルはよく引き継がれていると思われた。なお、久保先生(東京理科大)が集会長を務められた昨年のKTCC(2023年6月16日の記事参照)については、以下の裏医生研チャンネルのサイトに報告動画があるので、是非観ていただければと思う。
第54回:スゴイ博士大集合!!KTCC凸撃取材!:
ポスター会場。KTCCは原則全員がポスター掲示+口頭発表であったが、応募演題数が増えたことから、昨年から10件くらいはポスターだけという事になっている。
山内ホールで開催された情報交換会。最初の挨拶は垣生先生、乾杯の音頭は斉藤先生がされた。
会の半ばで、小安先生の挨拶。
最近独立された人による挨拶。新田剛先生は東京理科大学の生命医科学研究所の教授になられた。
竹馬俊介先生は台湾の国立清華大学の生命科技研究所の准教授として独立された。
情報交換会にて、向かって右から、渡会浩志先生(金沢大)、秋山泰身先生(理研IMS)、斉藤先生、石川絵里先生(大阪大山崎研)、私。
情報交換会にて、うちの永野先生と、CiRAの濱崎洋子先生。
恒例になった百万遍の「くれしま」での二次会。今回は54人が参加。コロナ前の賑わいが戻ってきた感じで、嬉しい。一次会の食事量が物足りなかったので、二次会はありがたかった。
テーブル1。楽しそうだ。
テーブル2。
テーブル3。
テーブル4。全テーブルを撮ったつもりだったが、一つ取り損ねていた。
二次会終了後、有志で近くのカラオケに。小安先生も来られていた。写真は午前1時半頃、最後までsurviveした人達。
2日目のお昼に運営委員会があり、そこで来年のKTCC(2025年6月20-21日の予定)の集会長を縣保年先生(滋賀医科大学)が務めるという事が承認され、縣先生が挨拶をされた。
会の終了後、片付けて種々の物品を車で河本研まで搬送。その後、片付けを手伝って頂いた縣先生と糸井マナミ先生(明治国際医療大学)と、近くの「くうかい」でプチ打ち上げ。いつものように、KTCCは、勉強になって、またいろいろな人と話ができて、とても楽しかった!

2024年6月11日(火)

清水免疫学・神経科学財団の役員会
一般財団法人の清水免疫学・神経科学財団の令和5年度決算承認役員会が、四条烏丸の近くにある土江田(とえだ)会計事務所の会議室で開催された。この財団は毎年、京都府下の免疫あるいは神経科学領域の研究機関/研究集会に、一件50万円の助成金を5件前後に配布している。今回の役員会をもって米川雅子さんが代表理事を辞任され、そのお嬢さんである米川恵子さんが代わって代表理事になられた。代表理事の交代があったので、記念撮影。写真前列向かって左から塚原徹也先生(京都医療センター)、米川恵子さん、宇野加津子先生(ルイ・パストゥール研究所)、米川雅子さん、後列左から高木康志先生(徳島大)、渡邉大先生(京大)、坂口志文先生(大阪大・京大)、私、土江田雅史さん。高橋良輔先生(京大)はこの日はzoom参加だった。

清水免疫学・神経科学財団HP:

2024年6月8日(土)

未踏科学研究ユニット報告会2024
この日、表記の会が開催された。未踏科学研究は、研究連携基盤を構成する京大の研究所やセンターが中心になって、学際的な研究を進めるために2015年度から始められ、現在進められているのは第II期(2020-2024年度)。左のポスターにあるような4つの事業で構成され、量子力学系、ライフサイエンス系、人文科学系、データサイエンス系などのような大きな括りのそれぞれに、複数の部局が参加している(2023年7月29日の記事参照)。今年は第II期の最終年度なので、第III期をどういう形にするかという議論も進められている。
第I期未踏科学研究ユニット:
第II期未踏科学研究ユニット:
開催場所は吉田南構内の学術情報メディアセンター南館。
会場。
連携基盤長の辻井敬亘先生による挨拶。京都大学は今秋、国際卓越研究大学に再応募するようであるが、もし採択されたら大学本部主導で大きな組織改革が進められる事になる。連携基盤としてその組織改革にどういう形で参画するかを考える必要があり、今後の話し合いが重要だ。
医生研が属している「多階層ネットワーク研究ユニット」では、医生研の望月先生が代表者の一人になっていて、ユニット名も望月先生の提案によるものらしい。望月先生の話によると、学際的なユニットならではの、異分野融合的な共同研究も進展しているとのことだ。

2024年6月7日(金)

63歳になった
今年は誕生日が日曜日だったので、研究室の皆が、金曜日に祝ってくれた。
63歳…。今年度を含めて、あと3年で退官という事だ。時が過ぎるのは早い。もっとも、退官後も何らかの形で仕事は継続したく思っている。
大きなケーキだったので、20個に切り分けられても、個々のピースがかなりのボリュームだった。
          

2024年6月6日(木)

日本酒サロン「粋」(すい)が開業
衣食住セミナー関係で知り合いになったライターの堀香織さんが、自分のお店を持たれる事になり、この日、開店となった。場所は川端仁王門通りを少し東に入ったところ。
 クラウドファンディングをされていて(以下のリンク)、そこに開店までの経緯が書かれている。
https://motion-gallery.net/projects/sui_sakebar
堀さんと大久保さん。
たまたまお隣に座られていた京大の大学院生(公共政策大学院修士課程1年生)の稲見公介さん、坂麻有さんと。稲見さんは一級建築士で、青森で株式会社稲見建築設計事務所の代表取締役を務めつつ、勉強されているようだ。坂さんは入学前は中日新聞で記者をされていたとのこと。

2024年5月29日(水)−31日(金)

ThymE 2024に参加
今回のThymEはポルトガルのポルトで開催された(2024年5月27日−31日)。往路は、前記事の懇親会の後、永野君に京都駅まで送ってもらった。京都駅を出発点(日本時間28日20時)として、関空からエミレーツ航空で、関空-ドバイ(23時45分発、10時間30分)、乗り換え2時間10分、ドバイ-リスボン(8時間10分)、乗り換え3時間30分、リスボン-ポルト(1時間)、空港-ホテルはメトロ30分、徒歩20分で、ホテルに到着したのは現地時間29日19時(時差8時間で、日本時間30日午前3時)だったので、移動に31時間かかったことになる。写真は、リスボンからポルトへのフライトで乗った、ポルトガル航空の機体。
ホテルの近くのLapaという駅。18時40分頃であるが、まだ日は高い。
Eurostars Das Artesというホテル。
ホテルの部屋。今回はフル参加ではなかったので、3泊。朝食抜き3泊で421ユーロだったので、1ユーロ170円というレートで円に換算すると71570円。素泊まりで一泊2万4千円ということになる。円が安いのは困ったものだ。
部屋に到着後、一休みしてから、19時半頃から歴史地区方面を散策。いい感じの路地なのだが、落書きがひどい。
グレリゴス教会。ホテルから徒歩15分。表示によると気温は21℃だった。
サン・ベント駅。
エンリケ航海王子の像。
ドウロ川と、南岸の街。左側に見える橋はドン・ルイス一世橋。駅や教会は丘の上にあり、坂をゆっくり下ると、ドウロ川に着く。このドウロ川は、河口に近いのに、両側が小高い丘に挟まれている。普通は河口に近いあたりは平野になっているので平らなはずだから、ちょっと不思議な地形だ。
ドウロ川北岸。
ドン・ルイス一世橋。
橋の上を歩いている人が見えたので、歩いてみたくなり、橋の袂の坂を登った。
橋の上から南岸を望む。
橋の途中から西側(河口側)を望む。
この橋には路面電車が走っている。
橋の途中から東側(上流側)を望む。
20時30分頃。日没が近づいてきた。
橋を渡り切ったところの芝生の丘が、夕陽の鑑賞ポイントになっているようで、多くの人が集まっていた。私も、このあたりの露店で瓶ビール(「SUPER BOCK」というポルトガルビール)とホットドッグを買って、芝生に座って日没まで夕陽を眺めていた。21時頃、完全に日が沈んだ瞬間、大きな拍手が沸き起こった。何に対する拍手だろう。お日様に、「今日は一日御苦労様でした」という事だろうか。
30日朝、学会会場があるホテル(Vilar Oporto Hotel)。宿泊したホテルからは徒歩10分くらい。
この学会は胸腺あるいはT細胞を研究対象にする国際学術集会で、同じような主旨の4つの学術集会で、それぞれが4年に1回ずつとい形でローテーションで開催している。参加者は100人〜200人。4つの学術集会とは、KTCC(京都T細胞カンファレンス)(日本)、ThymOz(オーストラリア)、ThymE(ヨーロッパ)、ThymUS(アメリカ)。昨年はThymOzだった(2023年3月22日の記事参照)。前回のThymEは、コロナ前の2019年にイスラエルで開催された(2019年5月19日の記事参照)。4年ごとだったら今回のThymEは2023年開催のはずだが、ThymOzがコロナのせいで一年延期したので、2024年開催となった。今回のThymEは参加人数が多く、250人くらいとのこと。河本研からは、ThymOzに引き続き私と長畑君が参加。
今回のオーガナイザー代表のNuno Alves(Institute for Molecule and Cell Biology, Porto)。
今回のオーガナイザー一覧。i3SというのはInstituto de Investigação e Inovação em Saúde da Universidade do Portoの略称らしい。
昼食時に、向かって左から、Katia Geolgopoulosラボの柏木まり子先生(Harvard Medical School)、私、高浜洋介先生(NIH)。柏木先生はNature Immunologyに2本筆頭著者論文を出しておられる(23:1628, 2022; 18:334, 2017)。
午後のセッションが一つ終わった後、JC Zuniga-Pflucker(Toronto Univ)から来年のThymUSについてのアナウンスがあった。前回のThymUSは、コロナのせいで若手中心の2日間だけのオンライン開催だった(2020年11月3日の記事参照)。
2025年の4月末から5月にかけて、ハワイのカウアイ島で開催されるとのこと。
夕刻から、ThymE主催のsocial eventで、ポートワインのワイナリーの見学ということで、バスでドウロ側南岸に繰り出した。待ち時間に、少し散策。南岸から北岸を望む。15時30分頃であるが、日は高く、気温は30℃くらいあり、暑かった。
橋の近くから川を見下ろすと、わりと大きそうな(30-40cmくらいの)魚がいた。河口付近にいることや、形状からして、「ボラ」であろうと思われる。
いくつかのグループに分かれ、私が入ったグループは、CALEMという名のワイナリーを見学。
ポートワインは、ブドウの搾り汁を発酵させるという点では普通のワインと同じであるが、長期間の保存に耐えられるように、蒸留酒を加えて発酵を途中で止める、という方法が取られる。そのため、アルコール度数が高く(普通のワインが13%前後であるのに対してポートワインは20%)、また発酵を途中で止めるので甘いものが多いようだ。発酵を止める作業をしてから、普通のワインと同じように、樽に詰めてさらに熟成させる。これらの樽は実際に使われているようだった。
この大きな樽は、発酵用の樽で、大きなものは7トン(7000リットル)くらいあるらしい。
蔵の2階で、試飲会。
赤ワインと、白ワイン。どちらもかなり甘かったが、独特の風味があり、美味しかった。
ワイナリー見学後、ドウロ川のクルージング。乗船場に向かう途中で、東の空に立派な積乱雲とかなとこ雲が見られた。
船は、河口へと向かった。
河口部。太陽の向かって右側に、いわゆる「幻日」という現象が観られる。
「幻日」の部分のアップ。これまで数回、見たことがある。幻日は多かれ少なかれ虹色を帯びるものであるが、この日見た幻日は、モロに虹色で、美しかった。
防波堤の向こうは大西洋。ThymUSがプエルトリコで開催された時に、西側から大西洋を望んだことはあった(Thymus参加2008年編参照)。東側から望んだのは、これが初めてだ。
船内でディナー。20時頃だが、まだ明るい。
谷内一郎先生(理研IMS)と柏木先生。
スープに続いて供されたメインディッシュは、バカリャウ(塩漬けした干しダラ)のフライ。左側の丸いのはジャガイモ。バカリャウは、ポルトガルを代表する食材であるらしい。味はまあまあといったところ。
ディナーが終了して岸に着いた頃には、さすがに暗くなっていた。
ThymE集会の最終日(5月31日)、私は午後のセッションで発表した。スロットとしては20分で、18分発表、2分質疑応答という取り決めだったので、前半9分を私、後半9分を長畑君とした。私は、ES/iPS細胞からT細胞を作製する話をして、最後にネガティブセレクションのセカンドアルバムを紹介。アマゾンで買えるというスライドを出したら、結構ウケた。
曲の紹介をざっとした後、VDJ-recombinedを、イントロの途中から一番が終わるまで1分ほど視聴してもらった。上映終了後、拍手が起こった。
VDJ-recombined(YouTubeのサイト):
長畑君はイントロとして2022年のBlood論文の話をしてから、その後進めた研究(T細胞の起源についてなど)の話をした。
質疑応答にも、しっかり応えていた。彼は会期中、何回も質問に立っていた。いいことだ。
会の最後に、ポスター賞の発表。ポスター発表の演題は全部で80題くらいあり、その中でポスドク部門は30題くらいあったと思われる。
長畑君はポスドク部門のポスター賞をゲット。
ホテルの近くのお寿司のテイクアウトの値段表。もし1ユーロが100円だったら、まあ日本とそう変わらないくらいの値段だ。
帰路のドバイから関空までの飛行経路。
普通はトイレに行きやすいように通路側を希望するが、今回はあらかじめ指定ができず、復路のチェックイン時に席が自動的に決められ、窓側だった。幸い日中の飛行だったので、眼下の景色を楽しむことができた。写真はパキスタンあたりの山地。地層がはっきり見える。
引き続いてパキスタンあたりの山地。褶曲山脈の形状が美しい。
カラコルム山脈。パキスタン、インド、中国の国境に位置する。K2(8611m)という世界で2番目に高い山を擁する峻険な山脈で、エベレスト(8848m)を擁するヒマラヤ山脈に匹敵する山塊だ。
左側の白い帯は明らかに氷河だ。右側の帯は灰色であるが、調べてみたらカラコルム山脈の氷河の多くは瓦礫で覆われているとのことなので、これも氷河なのであろう。
左側の白い氷河の部分のアップ。氷河を見たのは初めてだったので、ちょっと嬉しかった。
エミレーツ航空の機内食。チキンカツとバターライス。映画のラインアップが充実していたので、帰路では「ナポレオン」「ダンケルク」「すずめの戸締り」など、結構沢山観れた。

2024年5月28日(火)

研究連携基盤会議懇親会
この日の夕刻、表記の会が時計台記念館に入っているフレンチレストラン、ラ・トゥールで開催された。京都大学には18の附置研究所・センターが有るが、研究連携基盤は、「京都大学附置研究所・センター長会議」をベースに、学部・研究科も参加して、2015年に設置された組織。この会は昨年もラ・トゥールで開催された(2023年6月29日の記事参照)。
読売新聞から4人が来られていた。
ちょっとピンボケ写真になったが、向かって左から副学長の時任宣博先生、医学研究科長の伊佐正先生。国際卓越研究大学の申請の中で構想される組織再編について、研究所と学部では立場が違うので懸念点も異なるようであった。
         

2024年5月26日(日)

ゴルフ練習場の鹿
宝ヶ池や深泥池を含む山塊にはシカがいて、高野川の河原にはよく出没しているし、深泥池の植生を荒らしているという話も何回か書いた(2024年4月13日の記事参照)。この日の午前中、久しぶりに宝ヶ池国際ゴルフ場に来たら、鹿がいた。ここではこれまでも何回か見かけており、特別な事ではない。
この日、シカは最初は200ヤードあたりにいた。「ここまではあまり飛んでこないだろう」と考えているように思えた。
しかし、その後グループで右へ左へとゆっくり動きながら、最終的にはすぐ近くに来た。わざわざシカを狙って打つような事はしないが、100ヤードくらいの距離にいた時に、トップした球が一頭の横腹に直撃した。シカは驚いて駆け出し、少し行ったところで体を倒して当たった部分を地面に擦り付けた。虫か何かが取りついたのと思ったのかもしれない。その後、仲間と共にすごすごと山に戻るとか思ったら、他の個体は知らん顔をしており、球が当たった個体も、しばらくすると何事も無かったかのように草を喰み出した。横着な奴らだ。

2024年5月25日(土)

コチョウラン
今年は教授室のコチョウランがよく咲いた。

2024年5月24日(金)

医生研の免疫関連ラボ合同歓迎会
コロナが5類になって一年経った。昨年度のうちに、医生研1号館1階ラウンジでの歓送迎会か親睦会を復活させたいと考えていたが、なんやかんやと忙しくて、実現できなかった。河本研では、コロナの前は、年に2、3回はあれこれと名目をつけて、時には他のラボとの合同の形で、開催してきた。このラウンジには、IHコンロが2つ付いたキッチンがある他、ホットプレートや鍋などを、3つくらいまで置ける(ブレーカーが飛ばないように配線には工夫する必要あり)。コストコで大きな肉の塊などの食材を買ってきて、キッチンで切り刻んでホットプレートで焼く、という感じで開催してきた。また、料理が得意な人がいる時は、ちゃんちゃん焼きとか、チーズダッカルビとか、タンドリーチキンとかを、リクエストに応える形で作ってもらったりした(2019年9月13日の記事参照)。また、イベントとして、ワインの原料として使われた葡萄の種類を区別できるかというゲームを催した事もあった(2015年6月2日の記事参照)。
 今回は、河本研、坂口研、伊藤能永研、廣田グループ、縣研(滋賀医大)、小西先生と河岡研の学生、澄田先生、リバーセルなど、合計約40人が参加。写真のように、ラウンジには収まりきらず、ロビーのスペースも少し使った。
 食べ物については、持続可能であることをテーマにして、「できるだけ手間をかけずに」を目指した。かといってケータリングにしたり、出来合いの食品を並べるだけでは面白くないので、ホットプレート2台は使うことにした。料理ができるまでに何か食べられるようにと唐揚げ、春巻き、エビフライなどが入ったパーティーセットの大皿を4セット(1800円x4)を購入。料理としてはまずソーセージを炒め、次に焼肉(牛肉、砂ずり、せせりなど)、野菜炒め、最後にお好み焼きと、インスタント焼きそば食べ比べ。デザートはカットフルーツ。食材はこの日の16時ごろから近くの「ライフ」で調達。炒め物用の野菜はカット野菜を購入。ソーセージは大小合わせて80本くらい、肉は合わせて3kg強、カット野菜は12袋。お好み焼きは通販で、6玉。ご飯ものとしてはネギトロ巻きを1人2個ずつ当たるくらい。これに加えて、坂口研から、おにぎり30個と甘物の差し入れがあった。
 こういう感じで自分達で購入すれば、割と安くできる。お酒に関しては河本からのビール/日本酒の寄付と、坂口先生からのワインの寄贈があったので、その分は経費から除外されれいるとはいえ、参加者から平均2000円徴収すれば、十分という感じだった。
ビールは、世界のビール飲み比べ(12種類、24本)、日本のビール飲み比べ(24種24本)。手前右側は世界のノンアルビール飲み比べ。
今回は、安く済む企画の一つとして、「インスタント焼きそば食べ比べ」というのも行った。
お酒コーナー。日本酒は、青木先生から頂いた舞美人の新酒1本、古酒1本、青井先生から頂いた神戸大学プロデュースの「神のまにまに」、本村さん差し入れの「七本槍」など。ワインは、坂口先生からの差し入れで、「Domaine Leroy Coteaux Bourguignons Blanc 2013」など。
テーブル1。炒め物マスターは板原君(向かって左端、河本研D4)。
テーブル2。炒め物マスターは西村君(中央、河本研研究員)
テーブル3。
テーブル4。
テーブル5。坂口志文先生と教子先生に参加いただけたのは、とてもありがたいことだ。
会は18時スタートで、焼肉と野菜炒めまでがひと通り終わった19時頃から、全員の紹介。全員がそれぞれ挨拶したら時間がかかりすぎるので、各ラボのリーダーが、名前を読み上げていく方式にした。ただし、歓迎会なので、新人には、一言挨拶をしてもらった。
全員の紹介が終わった後、引き続いて坂口先生の挨拶。「医生研の免疫学の歴史を、しっかりと継承して、発展させてほしい」というような内容の、いい話だった。
坂口先生の挨拶が終わった後、お好み焼きタイム。貝谷君(D2)が留学生の人達に焼き方のお手本を見せているところ。
その後、19時半ごろから、アトラクションタイム。まずは永野君が、ジャズピアノの演奏を披露。曲目は「枯葉」。彼は、普段のあの軽い雰囲気からは想像が困難であるが、一旦ピアノを前にすると、アドリブの早いフレーズを交えた、素晴らしいジャズを弾く。このギャップ感に、皆驚いたことであろう。なおエレピは永野君が持ってきたもの。
次に、縣先生が、「VDJ-recombined」の1番と2番を、河本のギターと、永野君が奏でるカホンをバックに、熱唱。歌詞を見ながらというのが少し残念。カホンは永野君が持ってきたもの。
最後に、無理やり皆にアンコールをしてもらって、私が保険で用意していた曲「パープルヘイズ」を、ギターを弾きながら歌った。
澄田先生と坂口先生ご夫妻。
片付けを終えてから、有志で教授室で二次会。残り物を消費した。

2024年5月22日(水)

日立製作所との共同研究のキックオフミーティング
一年半くらい前から、京大-日立-リバーセルの共同研究を進めてきている。多能性幹細胞からT細胞まで分化誘導する過程を、自動培養装置でできるようにするための共同研究。日立の自動培養装置iACE2を医生研1号館3階の共同研究スペースに設置していただいている(2023年3月14日の記事参照)。今年の再生医療学会では、2日目のランチョンセミナーで、この共同研究について紹介させていただいた(2024年3月21日の記事参照)。昨年度は打ち合わせを京大で行っていた(2023年8月28日の記事参照)が、今年度の第一回の打ち合わせは、日立のオフィスで行うことになった。現在は、iACE2は日立ハイテクという部門が扱っているということで、日立ハイテクが入っている虎ノ門ヒルズのビジネスタワー(写真)で開催された。
オフィスの入り口。許可を得て撮影。共同研究の打ち合わせの前に、質疑応答含め45分の枠で、講演をさせていただいた。

2024年5月21日(火)

拠点のキックオフミーティング
再生研とウイルス研は、2016年の統合までは、それぞれ再生医療とウイルス感染症の共同利用・共同研究拠点を運営してきており、統合後も、しばらくはこの2つの拠点機能を維持してきた。2022年4月に医生物学研究所に改称した際に両拠点を統合し、「ウイルス・幹細胞システム医生物学共同研究拠点」という新拠点を発足させた。研究所の方の名称にウイルスや再生という言葉が無くなったので、代わりに拠点の方には残しておこうという意図のために、長い名前になった。この拠点の中核となる事業として、共同研究課題をマックス100万円/年で30課題ほど単年度の支援を毎年行っている。経費としては、共同研究相手が医生研に来るときの旅費や、共同研究に関してホストラボで行われる活動に使うことができる。今年は36件が採択された。昨年度から、年度初めにclosedな会として、キックオフミーティングを開催することになった(2023年5月22日の記事参照)。ハイブリッド形式にしているが、多くの採択課題の研究者が現地参加してくれた。医生研のホストラボ以外の研究者も現地あるいはオンラインで参加し、合計すると70-80人くらいが参加した。いろいろな話が聴けてとても面白かった。

2024年度採択課題一覧:
17時ごろから、情報交換会。3-40人が集まり、賑やかだった。写真は向かって左から縣保年先生(滋賀医大)、伊藤能永先生、私。

2024年5月15日(水)

東大で免疫学の講義
毎年、この時期に東大医学部の3回生に、免疫学の講義をさせていただいてる(90分x2コマ)。写真は医学部一号館。京大医学部はこういう風格のある建物が無くなってしまって、寂しい。
講義の中で、ネガティブセレクションのセカンドアルバムの宣伝をさせていただいた。7曲中すでに5曲についてはミュージックビデオをYouTubeに載せている。そのうち4曲(「VDJ-recombined」、 「Transcytosis H.O.」、「或好中球の一生」、逆襲の助教)については、それぞれ1分くらいずつ、さわりだけ、視聴してもらった。
ラボと事務へのお土産に東京ばな奈の新作を買って帰った。

2024年5月14日(火)

吉田泉殿で昼食懇談会
連携基盤会議は京大の18箇所の附置研/センターで構成される組織で、京大の西部講堂の裏あたりにある吉田泉殿という建物を主な活動場所として使っている(2023年9月14日の記事参照)。連携基盤会議は月に2回、昼食懇談会と称する話し合いの場を昼食時に設けている。コロナ前は吉田泉殿で開催されていたが、部屋がやや狭いので、コロナ中は図書館の会議室を使うようになっていた。しかし、この4月から、吉田泉殿で再度開催することになった。国際卓越研究大学の申請に向けて、附置研/センターの連携はとても重要で、昼食懇は話し合いのための貴重な機会になっている。
吉田泉殿には、いい感じの庭がある。
紫色の花は、おそらくカキツバタであろうと思われる。
この日は、昼食懇の後、部局長会議が本部であった。その帰り、芝蘭会館の前の植え込みで、やや盛りをすぎているが、シラン(紫蘭)が咲いていた。少し前に書いた(2024年4月28日の記事参照)ように、シランは日本に在来する野生蘭であるが、大変強健で、こうやってよく庭園などに植えられている。向こう側に白花のシランも咲いている。

2024年5月13日(月)

長浜バイオ大学で講義
例年、長浜バイオ大学2回生の免疫学講義を、1コマだけ受け持っている。いつもは「総論」を担当し、第一回を務めているが、今年はスケジュールの関係で、第4回に総論の話をすることになった。講義の最後にNSのセカンドアルバムの紹介をして、何曲かは部分的に試聴してもらった。なお、昨年までは担当は伊藤洋志先生(准教授)だったが、伊藤先生はこの四月から神戸常盤大学教授に異動され、今年からは府立医大から異動してきた小川秀一郎先生(講師)が担当。
私は1994年に桂研に入る前には、輸血部の伊藤和彦研で大学院生をしていた。その頃に、検査部の方に勤務していた赤井洋子さんと、久しぶりに会った。赤井さんは、上記の小川先生に呼ばれて、非常勤で長浜バイオに勤めていて、採血の仕方などを指導しているとのことだった。
左はこの日赤井さんが持ってきてくれていた写真の中の一枚。1990年ごろの写真で、当時輸血部のスタッフだった則岡美保子先生(最前列)のお宅にて。中列向かって左から赤井さん、則岡先生の息子さん、野田倫代先生(当時研修医)。当時私は非常に不真面目な大学院生で、毎日さっさと帰る、土日はラボに行かない、夏休みは1ヶ月くらい取る、論文は輪読会の番が回ってきた時しか読まないなど、ひどいものだった。だから、赤井さんからは「先生が教授だとか、所長だとか、そう言われても、どうも信じられへんなあ」と言われた。
          

2024年5月11日(土)ー12日(日)

北陸へ旅行
ラボと関係のないことで恐縮であるが、この週末に母親の米寿のお祝いということで、兄弟姉妹皆と母親とで、北陸方面を一泊二日で、ドライブ旅行した。北陸自動車道の金沢の近にある徳光サービスエリアでは、海岸に出る事ができる。砂浜から突き出た防波堤(海上広場)から白山を望んだ写真。
黒部川の川沿いにある宇奈月温泉で、夕刻、宿の周辺を散策。トロッコ電車が走っていた。
遊歩道の脇にダイモンジソウ(白い花)とエンレイソウ(3弁のエンジ色の花)が咲いていた。ダイモンジソウは浅い山でもわりとよく見られるが、エンレイソウはある程度深山に行かないと見られない。地味な花ではあるが、見かけるとちょっと嬉しい。
道中、やたらとフジの花を見かけた。フジは京都の北山でも東山でもいくらでも見られるが、野生の植物の花の中では、かなり美しい方だと言えよう。ただ、ツル性の植物なので、絡まれて覆われてしまった木にとっては、迷惑千万であろう。

2024年5月10日(金)

梶川社長、北村先生と会食
この日の夕刻、臨床試験に向けた細胞製造の今後の進め方についての打ち合わせを関係者一同で行い、方針が概ね決まった。やれやれという事で、梶川社長、北村取締役と私で、久々に会食。

2024年5月8日(水)

オヤジの会
今年1月に4年ぶりのオヤジの会を開催した(2024年1月24日の記事参照)が、それほど日をあけず、この日に開催。前回は藤田恭之先生が参加したが、今回も参加いただき、今後常連化していただくことになりそうだ。元々国や大学などの運営方針に対する不平や不満を吐露する事が多い会であったが、今回は特にその傾向が強かった。

2024年5月8日(水)

セッコク
連休中にご実家に帰省されていた秘書の宮武さんに、ご実家でお父上が栽培されているセッコクの一部を、お土産としていただいた。セッコクは日本の野生蘭の一種で、大好きなのだがこれまで栽培したことがなかったので、とても嬉しい。少し前に洋蘭のデンドロビウムとセッコクとの交配種の記事を書いた(2024年4月28日の記事参照)。そのセッコクであるが、洋蘭のデンドロビウムに比べると地味ではあるが、それでも写真のようにとても可憐な花を咲かせる。木の幹や枝に生える着生蘭であり、京都界隈でも時に神社やお寺の大きな樹に着生しているのが見られるなどとされているが、私はこれまでに自生を見たことがない。一度自生も見てみたいものだ。
          

2024年5月7日(火)

免疫モニタリングセンター(KIC)研究棟のお披露目式
SCARDA(先進的研究開発戦略センター:Strategic Center of Biomedical Advanced Vaccine Research and Development for Preparedness and Response)は、新型コロナに対して日本がワクチン開発に出遅れたことの反省から、次のパンデミックが起こった時に速やかにワクチン開発ができるように、平時から体制を作っておこうという国家戦略事業。2022年3月に始まった。全体をリードするフラッグシップ拠点1箇所と、並行してワクチン開発を進める複数のシナジー拠点(4箇所)、ワクチン開発をサポートする複数のサポート機関(6箇所に)よって構成される大きな事業だ(2024年1月31日の記事参照)。サポート機関の中で、京大と理研IMSは「ヒト免疫についての解析」という項目で認定されている。京大では、上野英樹先生をリーダーとして、(Kyoto University Immunomonitoring Center: KIC)という組織が設立され、私も参加している。KICの拠点となる施設の整備がようやく整い、この日、お披露目となった。河本研からは私と永野君、小林さんが参加した。
場所は、旧精神科病棟の一画(左図中に赤枠で囲ったところ)。医生研から近い。
上野先生による挨拶と今後の進め方についての説明。
ひとしきり施設を見学してから、久保先生によるセミナー。B細胞の二次応答には胚中心は必要ないというような話だった。久保先生は本年3月に東京理科大学を退官されたが、その後KICのアドバイザーを務められることになった。久保先生は理研免疫センター時代の同僚。昨年KTCCの集会長をされたが、その時に抄録集の裏表紙のイラストを描いた(2023年6月16日の記事参照)。
記念の花輪スタンド。花に加えて、スタッフが独自に風船で飾り付けをしたとのこと。横におられるのは萩原正敏先生。
情報交換会。
情報交換会で少し余った料理を処理するために、河本研の大学院生が駆けつけてくれた。向かって左から板原君(D4)、周君(D3)、貝谷君(D2)、西岡君(D1)。

2024年5月4日(土)

京大美術部OB・OG展「四十年後の春」
これもラボとは関係ない話であるが、京大美術部のOB/OG展に参加した。1984年に卒業した京大美術部員の一人が「10年後皆はどうなっているんだろう」とつぶやいたことに始まり、1994年に「十年後の春」展が開催された。その後も「二十年後の春」展「三十年後の春」展(2014年5月3日の記事参照)が開催され、その流れで「四十年後の春」展が開催された。「十年後の春」展では私は中心的に幹事役をしたが、その後、6学年下の森一浩さん(税理士)が中心になってこのOB/OG会を継続してくれている。会期は5月3日-5日、会場は四条烏丸の近くの「幻想庵」という画廊。
後輩の小川秀治さんから献本いただいた。
小川秀治さんは1989年京大理学部卒、霊長類研究所出身者で、現在は中京大学教授。サルの生態の研究をしている。この本にはフィールドワークでの体験談が詳細に綴られており、臨場感があって、面白かった。

(アマゾン)乾燥疎開林に謎のチンパンジーを探して: タンザニアあちこち大作戦:
画廊には1階と2階があり、写真は1階。
2階。
向かって左から檀上英利さん(凸版印刷)、壇上君の奥様(元同志社女子大学美術部員)、瀬川哲(さとし)さん(元NEC、現在特許調査の会社に勤務)。
瀬川さんは2作出品していて、そのうちの1作。瀬川さんは同級生で、1980年工学部入学。昔から構図の取り方や色遣いが上手だったが、この絵も視点がユニークで、また彩色が素晴らしい。
1984年、美術部有志で北海道旅行に行った時の写真。向かって左から2番目が瀬川さん。
画廊の2階で、シニアメンバーでまったりとくつろいだ。向かって右から、長谷川敬一さん(弁護士)、小川聡さん(元精華大教授)、中西五輪男さん(横河電機)、川中さん(看護師)、小川秀司さん、瀬川さん、壇上さん。
今回、私はサイエンスイラスト4点と、ネガティブセレクションのアルバムのカバーアートとして描いた絵2点を出品した。私は美術部ではもっぱらペインティングナイフを使った風景画を描いていたので、何人かから、「作風が変わりましたね」と言われた。

以前に描いていた絵画:
また、画廊の隅方で、サイエンスイラストの絵葉書を「ご自由にお持ち帰り下さい」として出典したのと、セカンドアルバムを物販させていただいた。
近くのホテルの中華料理店で打ち上げ会。
記念写真。私の向かって左隣りが主催者の森さん。
最終日(5月5日)も画廊に顔を出した。廣川貴之さん、奥様の廣川麻友美さんと。お二人とも宇都宮市にある栃木県庁勤めとのことで、私はこのところ毎年獨協医大に講義に出向いているので、宇都宮の話を楽しめた。
小川聡さんと、今回の出品作。後年プロになる訳だから当然であるが、小川さんは美術部時代から、デッサンがしっかりしていて色遣いも上手く、とてもいい絵を描いていた。教育学部卒業後、漫画家になり、また精華大学のマンガ学部ストーリーマンガコースの教授をされていた。今は退官してフリーとのこと。
小川君の今回の作品。ロジャー・ディーンへのオマージュが少し入っているとのこと。上の方にいる帽子を被った女の子は、彼のオリジナル漫画「パピリオ」の主人公。「パピリオ」はkindle版で読むことができる。

(アマゾン)パピリオ:
この日は午後3時ごろから、合評会が行われた。かつて美術部では部展の最終日の夕方によくやっていた。作者が自分の作品について意図や画材などについて解説し、皆が感想をいったり批評したりする。部展では結構厳しい批判も飛び交っていたが、今回はOB/OG展なので、和気藹々とした合評会だった。
華園力(つとむ)さんは京大医学部の後輩で、心療内科を開業されている(はなぞのクリニック)。画材(岩絵具)にこだわった日本画を描いているとのこと。この絵は趣味で集めた貝殻を丹念に描いたとのことだったが、海の青や、個々の貝の色が、とてもきれいだった。
          

2024年5月2日(木)

渥美半島をドライブ
ラボとは関係ないが、この日、有給休暇を取って、久々に渥美半島をドライブ。写真は渥美半島の南岸。延々と続く海岸崖が、壮観だ。隆起した大地を、波が侵食してできたということらしい。
渥美半島西端の伊良湖岬の太平洋側の砂浜は「恋路ヶ浜」と呼ばれる。島崎藤村の詩「椰子の実」の舞台となったことで有名。
伊良湖岬の灯台。対岸に見ているのは三重県の鳥羽。左側に見えている島は三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台になったことで知られる「神島」。
伊良湖岬からフェリーで鳥羽に渡ってから伊勢に行き、地元の常連客で賑わう老舗で、伊勢うどんを食した。太く、コシがほぼ全くない、もちもちした食感の麺が特徴。タレは甘辛で、色は濃いがそれほど塩辛くはなく、出汁の味がきいている。

2024年5月1日(水)

「夜光雲」のミュージックビデオを公開
少し前にNegative Selectionのセカンドアルバム「辺境の街から」が完成したという記事を書き(2024年2月27日の記事参照)、その後「VDJ-recombined」(2024年3月11日の記事参照)、「Transcytosis H.O.」(2024年3月19日の記事参照)、「或好中球の一生」(2024年4月3日の記事参照)をYouTubeで公開した。本日は、赤枠で囲った「夜光雲」をYouTubeで公開。
左は、この曲のサムネイル。Negative Selectionの曲は、原則的に血液/免疫細胞を題材にしていたり、逆襲の助教のようにアカデミアを舞台にした曲であったりするが、時にそういう絡みの無い曲も作る。今回の新曲「夜光雲」は、愛する人を失った哀しみを切々と唄った曲。非常に高度の高いところ(高度80kmとか)に雲が現れることがあり、そのような雲は日が完全に沈んでからも残照を受けて白く夜空に輝くことから、「夜光雲」と呼ばれる。暗い街を彷徨よいながら、夜光雲の中に失った人の面影を追いかけるというような内容。作詞は北村俊雄先生で、作曲は私。ボーカルは青木智子先生(近畿大学医学部消化器内科医員)。青木先生は、2017年に東京で開催された肝臓癌研究会(集会長:國土典宏先生)の情報交換会でNegative Selectionが演奏した際に、学会側からのシンガーとして参加された。青木先生のやわらかではかなげな歌声がこの曲に合うと思い、この曲を歌ってもらうことにした。

【失った愛の彷徨】「夜光雲」のミュージックビデオ:
「夜光雲」の手書きバンドスコア:
録音は2019年5月に行ったので、もう5年前ということになる(2019年5月11日の記事参照)。左の写真はその時の録音スタジオの様子で、Enrico Sesselegoというエンジニアの人がセッテイングをしてくれている。Enricoは、Steve Vai、PaulGilbert、Frank Gambale、Steve Lukatherといった超一流のmusicianのアルバム制作に関わったりライブに同行したりしている人で、本来は私達のような素人のバンドの仕事を受けてくれるような人ではないが、2016年5月のファーストアルバムの録音の際、たまたま日本に来られていて、大久保さん関係の人のつながりで、レコーディング、ミキシング、マスタリングを、お友達価格で引き受けていただけた。その後も交流が続き(2017年11月8日の記事参照2018年11月23日の記事参照)、今回のセカンドアルバムの制作もEnricoが引き受けてくれた。とてもありがたいことだ。
左の写真は同じく2019年5月、コントロールルームで打ち合わせをしているところ。
夜光雲では、瀧内曜子さんというプロのバイオリニストに参加していただけた。瀧内曜子さんは、京大医学部卒の血液内科医でもあり、学位も持っておられる。今回は、北村先生のツテで参加していただけた。この曲の中では、イントロ、間奏、Cメロとの絡み、エンディングなど、かなり沢山のパートを弾いていただいた。この曲は、また、NSのキーボード奏者である大久保氏のピアノ演奏もフィーチャーしている。大久保氏は一時期プロのミュージシャンとして活躍してたくらいの人だ。そのような瀧内先生のバイオリンと大久保氏のピアノの演奏が前面に出ていることもあって、この曲は、演奏のレベルはかなり高い。是非一度聴いていただきたい。
瀧内先生と北村先生のツーショット。
今回のミュージックビデオも、これまでと同じく、ライブハウス「ラグ」で撮った当て振りライブ映像が基調となっている。それだけでも十分良かったのであるが、他のMVと同じように、何かの要素を足そうと、ディレクターの大久保氏と一緒にあれこれ考えた。青木先生に寂しげな街角を歩いてもらうような映像を考えて、京都の石塀小路や神戸の異人館界隈など、色々ロケハンなどしてみたが、日本の街角はどこでも電柱や蛍光灯の街灯があり、いい場所が見つからなかった。イマイチの場所で女性が歩いているシーンを撮ると、カラオケの背景動画みたいになってしまいそうという話にもなった。それで、私が歌詞に合わせたイラストを描くことにして、それをビデオの中で使うことにした。
 左のイラストは、Aメロの、「星も見えないこの夜に」「色をなくしたこの街で」「音のない世界巡っても」という歌詞に合わせて描いたイラスト。色鉛筆で線描し、スキャナーで画像として取り込んでから、フォトショップで淡い色を使って彩色し、その後階調を反転させ、色相を調整するという方法で描いた。
 なお、このイラストについては、澄田裕美先生(医生研特定助教、サイエンスコミュニケーター)が近景、中景、遠景などをバラして、ゆっくりと動かすような細工をしてくれて、ビデオの中では、イラストの街を歩いているような動画になっている。
左はBメロの「時間の向きを歪めたら違う世界へ行けるのか」「この色のない街に迷いどこであなたとすれ違ったか」という歌詞に合わせて描いたイラスト。縦長にしてあるのはカメラを色々な方向にパンしながら、全体としては下から上へカメラを振ってもらうため。なお、以下に北村先生による歌詞を貼り付けておく。とてもいい歌詞だと思う。変に救いが入ってなくて、最後を「光をなくした街が広がる」で終わるところなど、素晴らしい。

【歌詞】
星も見えないこの夜に
色をなくしたこの街で
失った過去のあなたとの
思い出をさがしてさまよう

音のない世界巡っても
いつも元の場所に戻る
もう一度あの日あの頃の
あなたの声に触れてみたい

時間の向きを歪めたら
違う世界へいけるのか
この色のない街に迷い
どこであなたとすれ違ったか

ふと見上げると
白く光る雲と
記憶がないほど暗い空に
あなたの影追い求め

寝静まる街の片隅に
忘却のかけらを集め
見覚えのあるカフェのドア
過去へつながる道をさがす

遠く空に漂う雲の
名残の光が消えいくなか
明けることない空の下には
光をなくした街が広がる
左はCメロの「ふと見上げると 白く光る雲と」という夜光雲を表す歌詞に合わせて描いたイラスト。
 下記は、北村先生がYouTubeの解説欄に書いた解説文。「30年前に河本が作ったメロディを聴きながら北村が作詞して蘇ったこの失恋歌は、セカンドアルバムの中で唯一科学をテーマにしない曲である。静謐なピアノの前奏で始まる曲は、美しいバイオリンのフレーズとピアノの絡みのあと、憂いを含む女性ボーカルに委ねられる。 バイオリンソロを挟んでギター、ベース、ドラムが加わって始まる2番はバイオリンとボーカルの絡みへと展開する。 最後はバイオリンとピアノの掛け合いがベーソロへと繋がり、曲はフェイドアウトしていく。 」。
雲の部分のアップ。この部分はまずアクリル絵具を水で薄めて白い紙に雲を描き、それをスキャナーで取り込んでから、フォトショップで階調を反転させ、色相を調整して作成した。
ちょっとベタであるが、「見覚えのあるカフェのドア」「過去へつながる道を探す」という歌詞に合わせて描いたイラスト。
最後のフレーズの「明けることない空の下には」「光をなくした街が広がる」という歌詞に合わせたイメージ。縦長にしてあるのはカメラを下から上へ動かしてもらうためであるが、このイラストには少し工夫を加えている。一番下の部分のパースは、街角に立っている高さからの情景になっているが、少し上の部分は、少し上から街を見たパース、真ん中あたりは、かなり高いところから見下ろしたパースになっている。こうすることによって、イラストの下から上に少しずつカメラを動かしていくと、ドローンで撮影した映像の雰囲気にならないかと考えた。「カメラがゆっくりと上昇し、やがて高いところから街を見下ろす、そして水平線の方に視線を上げると、暗い街が広がっている」というイメージになれば、という意図である。ビデオの中では、まずまず成功しているように思う。
 なお、この曲は、冒頭に書いたように血液/免疫に関係のない曲であったが、NSでは時々そういう曲を作ってきたし、今後も作ろうと思っている。ファーストアルバムでは、「Epilogue〜夏の終わりに〜」(作詞北村俊雄、作曲河本宏、歌大野博司)という曲がそうだった。

(参考)【Negative Selection】Epilogue〜夏の終わりに〜:

2024年4月28日(日)

庭のランの花
研究室には関係ないが、自宅の庭のランの話。少し前にも書いた(2022年5月4日の記事参照)が、今年は特によく咲いたので、再登場させる。
これはノビル系のデンドロビウムと、日本の在来種であるセッコクとの交配種と思われる。ノビル系は直立するが、この交配種はセッコクのように横向きに生えたり下垂したりする。着生ランなので、水苔などを塊にして貼り付けておくと、こんな感じで玉のように育つ。中学生の時に同級生の鴨脚(イチョウ)光茂君から頂いたもので、 最初は1-2本だったが、その後良く増えて、これくらいの大きさの株が実家や弟の家にあるものも合わせると10個くらいある。ノビル系は寒さに弱いが、この交配種は、セッコクの遺伝子を受け継いでいるからか、寒さには強く、こんな感じで屋外で育てることができる。なお、塀の上部を覆っているのは、ハゴロモジャスミン。まだ満開ではないが、すでに香りが強い。
ノビル系の特徴として唇弁の中に濃赤色の斑紋が見られる。
地植えで咲いているのはシラン。艶やかな花であるが、これは日本の在来種である野生ラン。野生ランと思えないくらいに強健なのと、多くの野生ランが半日陰を好むのに対して日当たりの良いところでも育つので、ラン科の植物としては珍しく、庭園などに植えられていたりする。京大では、芝蘭会館の玄関口に植えられていたと思う。それくらい強いのに、何故か自生の状態で見ることは難しく、関東以西に自生しているらしいが、私はこれまでに自生は見たことが無い。

2024年4月26日(金)

新所員講習会
毎年この時期に、その年度から医生研に来るようになった人達70-80人を対象に、3時間くらいの講習会が開催されている。内容は、研究費の適正な使用、研究不正の防止、安全、衛生、情報セキュリティー、動物実験などについての話。
講習会終了後、研究所のスタッフや学生らも参加して、歓迎会。軽食と飲み物が用意されている。今年は参加者が多く、盛会だった。
今年度から中台枝里子先生と野々村恵子先生が、それぞれ大阪公立大学と東京工業大学から、教授として来られた。この日は、中台先生は所用で欠席されたが、野々村先生は出席され、挨拶をされた(写真)。その他、昨年の新所員歓迎会以降に着任された先生方が挨拶をされた。
新宅博文先生と若者達。表記の会がこの日の午後、医生研1号館の会議室で開催された。
今吉格先生と若者達。今吉先生は、生命科学科と兼任という形で医生研でも教授を務められている。昨年度から所内のソフトボール大会を企画されていて、今年も近々御所の近くで、近々開催されるらしい。河本研からも若者3人が参加する予定。表記の会がこの日の午後、医生研1号館の会議室で開催された。
安達泰治先生と若者達。歓迎会は、1時間くらいだったが、賑やかでいい会だった。恒例にしていきたいと思う。

2024年4月20日(土)

医生物学研究所進学説明会
表記の会がこの日の午後、医生研1号館の会議室で開催された。
大学院の進学を考えている人に向けた説明会なのであるが、一昨年まで「研究所見学会」という名目で平日に開催されていた。昨年同じ名目で土曜日に開催したところ、高校生を含めて一般の見学者が多数こられた(2023年4月22日の記事参照)。一般向けの見学会は、それはそれで意義があるが、主旨をはっきりさせるために、今回は「進学説明会」と名打った。第1部で各ラボから5分ずつ説明があり、第2部で希望者は研究室を訪問する。研究室訪問は2回に分けて、まず第1希望の研究室、その後第2希望の研究室を訪問する。河本研にも数名の訪問があった。

2024年4月19日(金)

LiMeセミナーが始まる
この日から、所内の交流を目的として、毎週金曜日のお昼ご飯時に、若手中心のセミナーが開催されることになった。30分1枠と、15分2枠。スライドは英語、発表言語は日本語か英語。所内Zoom配信も行う。少々のお菓子と飲み物は提供されるが、昼食は持参。いい企画だ。
司会役は大串雅俊先生(写真向かって左、永楽研准教授)。最初の演者は30分枠でMyriam Hsu先生(写真右、伊藤貴浩研研究員)。今回の15分枠は神田雄大先生(朝長研助教)一人だった。

2024年4月19日(金)

黄砂飛来
今年も黄砂の季節がやってきた。この2、3日は、かなりひどい。
車のフロントガラスはこんな感じ。

2024年4月17日(水)

骨代謝学会の情報交換会での演奏に向けた練習
第24回日本骨代謝学会学術集会が2024年6月29日(土)~7月2日(火)に沖縄の那覇で開催される。その情報交換会のアトラクションとして、Negative Selectionが出演することになった。昨年の内視鏡外科学会での演奏会(2023年12月7日の記事参照)もそうであったが、Negative Selectionの持ち歌の演奏は1曲程度で、後はその学会のスタッフや招待演者などが歌う曲をバックバンドとして演奏する。この日、神戸で練習。今回のバンド演奏は、NSのベースの石戸聡先生(兵庫医科大学)が集会に参加できないので、清野研一郎先生(北大、写真向かって左)に参加していただくことになっており、この日は出張に合わせて練習に参加いただいた。清野先生とは何度かバンドでご一緒したことがある(2010年4月3日の記事参照)。写真右は北村俊雄先生(神戸先端医療研究センター長)。
第24回日本骨代謝学会学術集会HP:
練習が終わってから、全員で記念写真。向かって左から、塚崎雅之先生(東京大学高柳研特任准教授)、清野先生、田中栄先生(東京大学整形外科教授)、北村先生、木村朱里(あかり)さん(東大大学院M2生)、私。塚崎先生は、2022年に文部科学大臣表彰を受けるなどしており、研究者として優秀であるが、骨免疫学会のウインタースクールの常連でもあり、「骨免疫学」という本を書いたりもしていて(2021年8月23日の記事参照)、とてもactiveな人だ。元テコンドー高校王者という経歴も持っている。木村さんはミス東大コンテストに出場したことがあるとのこと。今回、学会にスタッフとして参加される関係で、シンガーとしても出演されることになった。バンドでボーカルをしたこともあるとのことで、とても上手だった。
木村朱里さんミス東大コンテスト2023エントリーHP:
練習後、会食。向かって左端はキーボードの大久保博志さん(progress)。楽しかった!
          

2024年4月13日(土)

深泥池のミツガシワ
深泥池のミツガシワが、この数年で激減している。2年前にも記事にしたが、今年はさらに減っている印象だ(2022年4月9日の記事参照)。ミツガシワは北方系の植物で、深泥池の群落は氷河期の生き残りとされていて、分布の南限に近い。急速な減少は、温暖化の影響も多少はあるかもしれないが、主には鹿による食害が原因と考えられている。鹿はこの辺りの山中で相当増えているようで、高野川の河原などでも時々見かける。
南岸のミツガシワはほぼ全滅していて、写真のように数株が生き残っているだけだった。
これは10年前の様子(2012年4月14日の記事参照)。何とかこの状態に戻ってほしいものだ。京都大学には「iGEM Kyoto」という合成生物学の研究に取り組む学部学生主体のグループがあって、最近は鹿の忌避剤を大腸菌に作らせる研究をしていると聞く(2023年9月24日の記事参照)。是非、深泥池で使ってほしい。

iGEM Kyoto HP:

2024年4月11日(木)

富小路通のシダレザクラ
この日、富小路通にある店で昼食。地方裁判所の東側のシダレザクラがきれいだった。
          

2024年4月11日(木)

ナガミノヒナゲシの花
ナガミノヒナゲシはケシの仲間で、帰化植物。オレンジ色のきれいな花を咲かせるが、繁殖力が強く、また他の植物を抑制する作用(アレロパシー活性)が強いので、あまり評判が良くない。写真は医生研1号館の玄関前で撮影。
 以前にも書いた(2021年5月10日の記事参照)が、この種は花の大きさが個体によって著しく異なるという珍しい特性を持っている。通常の花は、小さな個体は無理に花を咲かせないで、それなりの大きさになってから花を咲かせるので、花の大きさがおおむね揃っている。ところが、このナガミノヒナゲシは、小さい個体は小さいなりの小さな花を咲かせる。
上の写真のアップ。いろいろな大きさの花が見られる。開花ホルモンが発動する条件が、他の植物と大きく異なるのであろう。何かとても異様な感じだ。

2024年4月11日(木)

高野川の桜
高野川沿いの桜は、丸太町あたりの鴨川沿いの桜よりも、少し北に位置する分、満開は2-3日遅れる。写真は出町柳の橋から上流側を望んだ景色。

2024年4月10日(水)

藤田医科大学での講義
4年前から藤田医科大学で基礎免疫学(医学部2回生、4-5月の月曜日の午前中70分x2コマを5回、計10コマ)を担当している。4年前と3年前はコロナのせいでオンライン講義、2年前はオンライン講義と対面講義のハイブリッド形式、昨年からは対面講義のみとなった。今年は、第4回の講義の中で、免疫細胞の移住のメカニズムの解説をした後、Negative Selectionのセカンドアルバムを紹介し、「或好中球の一生」のミュージックビデオ(2024年4月3日の記事参照)をフルで観てもらった。

「或好中球の一生」ミュージックビデオ:

2024年4月10日(水)

分子棟の前のシダレザクラ
今年は分子棟の前のシダレザクラがとてもきれいに咲いた。
我々は分子棟と呼んだりしているが、正式には分子生物実験研究棟。かつては医生研の研究室もいくつか入っていたが、それらは少し前に医生研1号館または医生研3号館に引っ越したので、今は地下の実験施設の一部を除いて、医学部の管轄になっている。
          

2024年4月8日(月)

大阪府高齢者大学校の入学式で講演
大阪には大阪府高齢者大学校という認定NPO法人がある。以前にも書いた(2023年9月7日の記事参照)が、シニアの方々に生涯学習の場を提供する認定NPO法人で、通称は「コーダイ」。大学といっても単年度の入学を繰り返す仕組みで、一つのテーマについて週1回の講義が年に26回開催される。科目は60くらいあり、歴史、社会、生命科学、語学、美術、音楽、園芸など多岐にわたり、その中から自由に選べる。講義の会場は大阪中に7-8箇所あり、講師は全部で3-400人いるとのこと。受講料は6万円/年で、毎年2000人以上が入学、生徒さんの平均年齢は72歳であるらしい。
 入学式は大阪国際会議場の大ホールで開催された。これまでは式典だけだったらしいが、せっかく多くの人が集まるのだからと、今年から第2部として講演会が開催されるようになったとのこと。講師は私と、もう一人は声楽家の江本あきこさん。
大阪府高齢者大学校HP:
入学式は1400人以上が参加したとのことだった。
古矢弘道理事長による挨拶。
私は「VDJ-recombined」というNegative Selectionの新曲(2024年3月11日の記事参照)の冒頭部分を流しながら、バンド用装束の帽子とカツラをかぶって登場し、「つかみ」としてはかなりウケたと思う。帽子とカツラを脱いでから、「老化と免疫」というテーマで話をして、その中で「ガッテン!」に登場した時の動画も披露した。
【T細胞の懊悩】VDJ-recombinedミュージックビデオ:
コーダイHPから、入学式の報告記事。「テンガロンハットとかつらの奇抜な姿で登場」とあるが、この登場の仕方は私の発案ではなく、コーダイのスタッフの方からの提案だった。そんな案が出てきて採用されるくらいだから、とても自由な雰囲気の中で運営されていると言える。
入学式終了後、近くの大阪大学中之島センター9Fのサロン・アゴラで、スタッフ一同での懇親会が開催された。
会場から堂島川の下流の方を望んだ景色。画面左寄りに関西電力病院が見える。私は卒後2-3年目に、関西電力病院に研修医として勤めたが、その時はこの建物ではなく、すぐ西側に位置していた8階建ての建物だった。
コーダイの話と関係ないが、関電病院がらみの話を少し。10年くらい前に、旧病棟が取り壊されている時期にたまたま通りがかって、寂しく思ったことがあった(2013年11月30日の記事参照)。左は、その時の写真。
関電病院で研修医をしていた頃の写真。伊達メガネをかけている。背後に見えているのは当時の関電病院。
懇親会場から堂島川の上流側を望んだ景色。
コーダイのスタッフの方からいただいた写真。
テーブルごとに撮った集合写真。楽しそうな雰囲気が伝わる、いい写真だ。
          

2024年4月6日(土)

鴨川の桜
3月の中旬に寒い日が続いたせいか、今年の桜は昨年より10日くらい遅く、鴨川の桜は4月に入ってからようやく見頃を迎えた。コロナが5類に分類されたのが昨年の5月だから、本格的なコロナ明けの後の初めてのお花見の季節と言える。鴨川の堤(つつみ)は多くの人で賑わっていた。すっかりコロナ前に戻った感じだ。
この日の夕刻、いわゆる「チェアリング」という形で、コロナ明けを実感しつつ、鴨川堤で1時間ほど花見を楽しんだ。

2024年4月4日(木)

洋ランの花
紫小町(ジゴニシア)というランは、アガニシア属とジゴペタラム属の属間交配種であるらしいが、品種としてとても優秀で、買ってから6年くらいになる(2019年9月15日の記事参照)が、窓際に置いて水をやるだけで、毎年立派な花を咲かせてくれる。左側に咲いているのはリカステの一種。

2024年4月3日(水)

「或好中球の一生」をYouTubeで公開
少し前にNegative Selectionのセカンドアルバム「辺境の街から」が完成したという記事を書き(2024年2月27日の記事参照)、その後「VDJ-recombined」(2024年3月11日の記事参照)を、続いて「Transcytosis H.O.」(2024年3月19日の記事参照)をYouTubeで公開した。本日は、赤枠で囲った「或好中球の一生」をYouTubeで公開。
 この曲は、歌詞が日本語であるし、内容的にも「ぼんやりと過ごしてきた人がある日突然使命に目覚める」という、ある種の普遍性がある状況をテーマにしているので、一般に受け入れられやすいのではと思っている。
左は、この曲のサムネイル。ボーカルは大阪大学の石井優先生。石井先生は免疫細胞の生体内可視化観察技術を用いた研究におけるトップランナーだ
。 この曲は私(河本)が作詞/作曲。好中球の生涯はリンパ球と比べると、ストレートな生き様と言える。リンパ球と違って分化成熟課程の中に負の選択のような試練はなく、骨髄の中でさしたる苦労もなく育つ。成熟後は、血流に乗ってパトロールし、病原体の感染があると旺盛に貪食するが、そもそも寿命は数日しかない。そのはかない一生を歌にした。
「或好中球の一生」のミュージックビデオ
「或好中球の一生」の手書きバンドスコア
以下にこの曲の歌詞を載せる。

1. 澱んだ街で 人にまみれ 気ままに育ち
巣立った後は 世の流れに 体をあずけ
あてなくさすらう 旅の中
ある日 遠い声を聞いた
長い夢から 覚めるように
悟った ここがpoint of no return

2. Attaching Rolling 血管壁に へばりついて
偽足を伸ばし 基底膜を 貫いた
ケモカインに 導かれ
獲物の狩場へ やってきた
どこから来たのか 知らないが
奴らの匂いは そそるぜmy appetite

3. Capturing engulfing 腹の中で 溶かして殺す
地元の友は 少し食べて どこかへいった
あいつの仕事は 知らないが
俺はここで 食べるだけ
でも知っている いつの日か
腹が満ちると the end of my life

2番の歌詞の中に「偽足」とか「ケモカイン」という言葉が出てくる。左図は講義等でよく使っている図で、免疫細胞がケモカインの濃度勾配を感知して移動するという事と、移動の際には偽足を振興方向に伸ばすという事を説明している。
2番の歌詞にRollingという言葉が出てくるが、これは免疫細胞が血管に弱く付着し、血流に流されながら転がるように移動する現象。左図は、そのメカニズムを説明する図。以下は、CDの中の曲の解説や、YouTube動画の解説として載せている文章。

【解説】 血流中を漂流する好中球が、ある日覚醒して病原体の侵入部位に赴く。 貪食に興じ、やがてその短い生涯を終える。 儚い生を宿命として粛々と生き抜く好中球の喜びと哀しみを、 石井がシャッフルのリズムに乗せて朗々と歌い上げる。
 骨髄で成熟した好中球は血流に乗って身体中を漂流する。 血管内腔に出ている接着分子によってつなぎ止められ、 血管壁を転がるように移動する(ローリング)。 その時、炎症部位から届いたケモカインを感知すると、 好中球は活性化される。炎症部位へ移住し、病原体を食べまくる。 好中球の寿命はせいぜい数日。殆どの好中球は活躍する事なく死んでいくが、それは体にとっては平穏無事である事を意味している。 なお、作品中で使われている好中球の動態を映した動画は、石井の研究室で 撮影されたものである。
上記の解説文の最後に出てくるが、このミュージックビデオの中では、好中球が体内を動く様子の動画が沢山織り込まれていて、それらは全て石井先生から提供されたものだ。
 左はそれらの動画のキャプチャー画像。これらの動画のおかげで、ミュージックビデオ全体が、とても見応えのあるものになっている。
          

2024年3月30日(土)

今年のユキヤナギ
まだサクラはチラホラしか咲いてないが、ユキヤナギはいい感じになっている。今年の医生研1号館玄関前のユキヤナギは、とてもきれいだ。実は昨年までは、なぜか刈り込まれていて、こういう勢いがなかった。
これは2年前に収録した裏医生研チャンネルの中の一コマ。何で刈り込むのかなあ、と疑問を呈している。
第5回:【医生研の四季】鴨川&疏水でお花見!
これは昨年の収録。やはり刈り込まれているなあ、というコメントを言っているところ。まあこれらコメントが伝わったのではなく、今年はたまたま刈り込まなかったということだと思うが、何であれ今年のはとてもきれいで、嬉しい。
#39:【研究所の四季】 二年目のサクラ!新年度がやってきた!
          

2024年3月26日(火)ー27日(水)

中国医薬大学訪問
25日のあきるの市訪問から、26日朝には台湾に向かうというスケジュールなので、羽田空港第三ターミナルの近くのヴィラ・フォンテーヌ・グランドというホテルに宿泊。
大きなホテルだった。
部屋。
26日朝、JAL便で台北の松山空港に到着。王君が出迎えてくれた。タクシーで台北のメインステーション(写真)へ向かい、高速鉄道に乗車。
台中市までの車内では、王君が買っておいてくれた「台湾の駅弁といえばこれ」という定番の豚スペアリブ弁当を食した。台湾でも弁当[ベントウ]と呼ぶらしい。美味しかった。
中国医薬大学は台中市の市街地の中心に近い部分にあるが、数年前にやや離れたところに、新しいキャンパスを造ったとのこと(水湳キャンパス)。医学部を除く多くの学生がメインキャンパスからこちらに移動したらしい。
水湳キャンパスのマップ。
右下の3つの建物を西から見たところ。中央の建物は学生の寮とのことで、とてもユニークなデザインだ。
前の写真の向かって左の「卓越大楼」がこのキャンパスの本部の建物のようで、その9階の、学長がいるオフィスを訪問。Hung学長他、スタッフの方々が出迎えてくれた。私が持参した日本酒、NSのセカンドアルバム、絵葉書6点セットなどをみやげとして献上し、記念撮影。向かって左からShih-Ping Liu 先生(Professor in CMU)、Woei-Cheang Shyu 先生(Professor, Deputy general manager in Ever Supreme)、Long-Bin Jeng 先生(Professor CEO in CMU and CMU Hospital)、私、Mien-Chie Hung先生(中国医薬大学学長)、Liang-Yo Yang先生(Dean, Office of Global Affair)、王君。河本研は中国医薬大学とは2019年から交流がある(2019年10月18日の記事参照2020年1月9日の記事参照)。2022年9月には京都大学と中国医薬大学の相互協力協定(MOU)が締結され(2022年9月28日の記事参照)、昨年12月には中国医薬大学と京都大学の合同シンポジウムを開催した(2023年12月20日の記事参照)。
Hung学長からはきれいなカップを頂いた。
前記のマップでC1/C2ビルディングにあたる建物。この中に京都大学のサテライトラボを、という構想のようだ。西半分が研究棟、東半分が産学連携棟。
北側のエントランス。
入ってすぐの吹き抜け。でかい。
6階にはすでに動いているラボがあったので、見学。
5階に京大サテライトラボという構想で、写真はその一部。
会食のレストラン。
台湾料理を頂いた。
カラスミ。
アワビ、しいたけなど。
白身魚のフライ。
カラオケが始まった。Hung学長は、昨年12月の合同シンポの懇親会でもシメの挨拶の時に突然歌を歌ったのであるが、確かに歌はとても上手だ。日本では高級なレストランでカラオケというのはあまりないが、台湾ではよくあるらしい。
カラオケの機材が持ち込まれていてカラオケもできるのであるが、部屋にはいわゆる「流し」という人達が呼ばれていて、食事中のバックミュージックを奏でたり、リクエストに応じて演奏しつつ歌を歌ったりしてくれる。日本では「流し」は最近ほとんど見かけなくなったが、台湾では「流し」の文化がこうやって生き続けているということのようだ。
今回の食事会の皆はカラオケ慣れしているようで、全員が少なくとも1曲は歌っていた。王君も、Jeng先生とデュエットで歌った。私も、恥ずかしながら「ボヘミアン」を歌わせて頂いた。彼らのカラオケシステムの中にファイルがなかったので、YouTubeの中のボヘミアンのカラオケ動画を使ってもらった。
The Splendor Hotel Taichungに宿泊。
ホテルの窓からの景色。
27日はメインキャンパス方面を訪問。
私の干支である「牛」(水牛)の金属製彫像をお土産として頂いた。
午前中、あれこれと打ち合わせをした後、お弁当。
午後、CMUの車で桃園空港まで送っていただいた。今回は往路が羽田-松山空港、復路が桃園空港-関空という変則的な航路になってしまい、往路はJAL、復路はPEACHだった。PEACHはLCC(格安航空会社)なので食事は注文制。カップラーメンやカップライスしかなかったが、カップヌードルは十分美味しいと再認識した。値段は倍程度(カップヌードル400円、ビール500円)。
日本時間22時頃に関空に到着。正味のフライト時間は2時間強だった。先週から新潟、富山、あきるの市、台中市と、出張続きだった。疲れはしたが、いい旅だった。

2024年3月25日(月)

H.U.グループの中央研究所でのセミナー
H.U.グループは日本を代表する検査会社であるSRLを擁する大きな会社で、あきるの市に研究所を擁している。リバーセルと諸事を共同開発することになっており、その関係で今年度は今回を合わせて計4回足を運んだ(2023年12月22日2023年9月15日2023年6月26日の記事参照)。今回は「再生医療の現状と課題」という感じの話で、この前の週に開催された再生医療学会での見聞を語った。「放談」という形式で、かなり本音トークをした。
なお、今回もNSのセカンドアルバムの宣伝をして何枚か購入いただいたのであるが、その中に一人、根岸諒という人がいて、聞けばShiver of Frontierというメロディックスピードメタル系のバンドでギターを弾いているとのこと。イングウェイ・マルムスティーンが好きとの話だったが、確かに無茶苦茶上手だ。左の写真は以下の動画から。
Shiver of Frontier - Faint Hope in the Wind (OFFICIAL VIDEO)
根岸さんは他にも1st0 (ファーストゼロ)他のバンドもやってて、とてもいい味を出している。ギターソロの技術は、素晴らしい。
1st0 「Tragedy~終焉~」 Official Music Video
1st0 「Revolution」 Official Music Video

2024年3月24日(日)

森下先生、木村先生との会食
森下あおい先生(写真中央、滋賀県立大学人間文化学部教授)、木村照夫先生(工芸繊維大学教授、繊維リサイクル技術研究会委員長)と会食。昨年8月に開催されたイベントご一緒させて頂いた(2023年8月23日の記事参照)。今後も共同研究で繊維製品の再生にまつわる事業ができないかという話などを楽しんだ。

2024年3月23日(土)

高津聖志先生紫綬褒章受勲記念講演会と祝賀会
表記の会がこの日富山で開かれることになり、午前中、新潟から富山まで移動。新潟から富山までの日本海沿いの特急でもあればよかったのだが、どうやらそういう便はなさそうだったので、上越新幹線で一旦高崎まで戻って、長野新幹線-北陸新幹線で富山に向かった。左の写真は長野新幹線で軽井沢を過ぎたあたりで、冬景色だった。
講演会と祝賀会はANAクラウンプラザホテル富山で開催された。写真は講演会。
高津先生の講演は、クローニング競争時代の話が面白かった。後世に残すために、是非本にしてほしいと思った。
講演会に続いて、祝賀会。
お弟子さんを代表して、高木智先生(国立国際医療研究センター 部長)がお祝いの言葉を述べられた。
花束贈呈。
私が座ったテーブル。改正恒康先生(私の向かって右隣り)は理研チームリーダー時代の同僚で、久々に話をした。全体に和気あいあいとした、いい会だった。

2024年3月21日(水)ー23日(土)

第23回日本再生医療学会総会
表記の会が新潟で開催された。誰が作ったかの記載を見つけられなかったが、このカバーアートは「心」を表していると思われる。とても良い。
新潟には前日入り。3月の半ばも過ぎたというのに、寒波が来ていた。富士山がきれいに見えた。
東京で上越新幹線に乗り換え。越後湯沢から長岡あたりまでは、冬景色だった。写真は長岡近辺。
新潟駅。雪ではなかったが、冷たい雨と強い風の、荒天だった。この日のお昼頃に飛行機で大阪から新潟に向かった便は、新潟空港に着陸できず、大阪に戻ったらしい。
会場の朱鷺(とき)メッセ。2003年開業とのこと。
とても立派な建物だ。
新潟駅からタクシーで20分。信濃川の河口部に位置する。
北側の通路から少し外へ出て、写真撮影。海側。
信濃川の上流側。
初日の午前中に、「iPS細胞を用いた再生医療の最前線」というシンポジウムがあり、最先端の状況を知ることができた。午後には、再生医療実現化ネットワークの中核拠点の後継事業である「AMED再生・細胞医療・遺伝子治療研究中核拠点」によるシンポジウムがあった。CiRA, CiRA-F、国立成育医療研究センター、筑波大学という4拠点で構成されている。写真はシンポジウム後半の、それぞれ拠点の代表者によるパネルディスカッション。うまく噛み合ってシナジー効果が出ることが期待されところだ。
会場間を結ぶ回廊には新潟の地酒コーナーがあった。
展示&ポスター会場。
会場では各種地酒の利き酒コーナーが設置されていた。粋な計らいだ。
懇親会は大盛況だった。
懇親会ではアトラクションとして新潟のダンスチームによるパフォーマンスを観ることができた。写真は「チビユニティ」。素晴らしかった。世界的なダンスコンテストのジュニア部門で史上初の4連覇を達成との実績があるらしい。下記はそれとは別なオーディション番組に出演時の映像。
日本からの挑戦、新潟から来たチビユニティがゴールデンブザーを獲得!
集会長である寺井崇二先生(新潟大学消化器内科教授)による挨拶。「“真心”がこもった再生医療を」という今回の集会の主旨がよく伝わった。
鏡割り。
山口大学の山本美佐先生(向かって左端、山口大学保健学専攻病態検査学領域教授)と、再生医療・細胞療法コースの大学院生達と。再生医療・細胞療法コースでは何度か講義に行っている(2020年1月17日の記事参照)。
集会長の寺井先生と。
2日目の朝、7時前に激しい降雪があり、街が一時、雪に覆われた。
この日は午前中に免疫細胞を用いた細胞医療のシンポジウムで話をした。
シンポジウムの後、日立製作所が主催するランチョンセミナーで講演。メインホールで開催されたため、とても多くの聴衆に聴いていただけた。
セミナー終了後、座長の青井貴之先生(神戸大、向かって左端)と、セミナーの前半を担当された半澤宏子さん(日立製作所)と。
この日のセミナーでは、最後の方に左のスライドを出して、講演後の数分間に演者台の近くで、NSのセカンドアルバムを「本の表紙に使われたイラスト」の絵葉書6枚セットをおまけにして、小さなテーブルを置いて販売しようとしたのだが、学会本部から「物品の販売はNG」とされてしまった。まあ確かにもっともな対応だ。それで、ホール外の通路などで、声をかけて頂ければ販売します、という方式に変えた。
ホールを出た通路で、何枚か購入いただけた。向かって左端はColton Qiuさん(AGM international Group).

2024年3月19日(火)

河本研送別会
年度末が近づき、送別の時期がきた。
今回送別される、テクニカルスタッフの野口さん。6年間、河本研で、iPS細胞からT細胞を誘導するという難しい培養法を、ラボの中心になって、支えて頂いた。野口さんが去るのは、河本研にとってつらいところだ。新天地でのご活躍を祈ります。
長畑君は4月からスペインに留学。河本研在籍は2015年10月からなので、8年半になる。私が基礎研究でやりたかったことを、私の想像を超えるレベルまで深掘りしてくれた。2022年12月のBlood論文はその成果の一つであるが(2022年12月15日の記事参照)、その後さらに研究を発展させてくれている。次の論文がほぼできていて、近々、投稿予定だ。今後、長畑君が、細胞分化、進化、がん化などを結びつけたスケールの大きな研究をどこまで極められるか、楽しみだ。
この日、歓迎を受けたのは間宮(旧姓石橋)茉実さん。皮膚科の大学院生(D2)であるが、研究活動を主に河本研で進めることになった(2024年1月22日の記事参照)。
テーブル1。
テーブル2。
送別されるお二人への花束贈呈。お疲れ様でした!
参加者全員で記念写真。
その後、研究所に戻った人達で、教授室で二次会。明日が祝日ということもあって、えらく遅い時間まで話をした。

2024年3月19日(火)

「Transcytosis H.O.」をYouTubeで公開
少し前にNegative Selectionのセカンドアルバム「辺境の街から」が完成したという記事を書き、(2024年2月27日の記事参照)、先週は「VDJ-recombined」をYouTubeで公開した(2024年3月11日の記事参照)。本日は、赤枠で囲った「Transcytosis H.O.」をYouTubeで公開。セカンドアルバムは、すべての曲について、曲自体もミュージックビデオも、とてもいい出来だと制作サイドは自負しているが、この「Transcytosis H.O.」はその中でも代表作といえる出来栄えだと、少なくとも私(河本)は思っている。
本曲はM細胞の働きを主題にしている。M細胞はパイエル板に代表される腸管関連リンパ組織の表面に位置して腸管の内腔に面しており、捕捉した細菌を基底膜側で待ち構えている樹状細胞に渡している。この細胞内を通って物質が運ばれる仕組みをトランスサイトーシスという。樹状細胞がT細胞を活性化することにより、獲得免疫系の反応が始まる。左の図は私が講義でよく使っている説明図。
M細胞の発見自体は随分古いが、その機能の分子機構に関しては、大野先生が世界で初めて明らかにした(Hase et al., Nature, 462(7270):226-30, 2009)。左の図は、その発見についての、理研からのプレスリリース(2009年)(下記参照)から拝借した。

腸管免疫応答に重要な細菌認識受容体を世界に先駆けて発見(2009年):
左は、この曲のサムネイル。「VDJ-recombined」に続いて、作詞は高浜洋介先生(NIH)で、河本が作曲。ボーカルは、Negative Selectionのメインボーカリスト、大野博司先生(理研IMS)。大野先生には、ファーストアルバムでは4曲全てを歌っていただいたが、今回は諸事情により、7曲中2曲だけ、歌っていただいている。
 高浜先生はM細胞と樹状細胞の関係性を「愛」に喩えた。献身的な純愛の歌かと思いきや、そこはさすが高浜先生ならではの、多層にわたった深読みが可能な歌詞になっている。それに合わせて、私は楽曲としても複雑な構成にし、変拍子やポリリズムを入れるなど、プログレッシブロック的なアプローチを試みた。また、動画では後飯塚先生による前衛的な鬼気迫る舞踏が、曲の深層をえぐりだしている。この映像を撮影し、編集し切った大久保さんは、Directorとして新たな境地に達したと言えるだろう。なお、3番の映像は、「地獄の黙示録」のカーツ大佐登場シーンへのオマージュである。下記はセカンドアルバムの中に入っている冊子の中の解説文。
高浜による詩は、M細胞が樹状細胞(Dendritic Cell: DC)に向ける業の深い献身と情念を描き出す。複雑な変拍子のイントロに続き、大野の切々とした唄に後飯塚の渾身の舞踏が絡む。M細胞は腸管の内腔に面し、細菌を捕捉して反対側に待機している樹状細胞に受け渡す。その際、捕捉した細菌は細胞質の中を通して運ばれる。この経路で運ばれることを、トランスサイトーシス (Transcytosis)と呼ぶ。タイトルのH.O.はHiroshi Ohno。(河本)

「Transcytosis H.O.」のミュージックビデオ
「Transcytosis H.O.」の手書きバンドスコア

2024年3月17日(日)

高折先生病院長就任祝賀会
朝早く「やくも」で松江を出発。途中、伯耆大山駅を過ぎたあたりで、左手に大山を拝むことができた。
山間から垣間見えた大山。この辺りからみると、富士山にそっくりだ。
表記の会は、12時から、リーガロイヤルホテルで開催。コロナ前までは毎年一月に第一内科同窓会というのが開催されていた。今回はその同窓会を兼ねている。コロナのせいで、同窓会としては、実に4年ぶりの開催となった。久しぶりの同窓会ということと、病院長就任祝賀会を兼ねているので看護師さん達も参加したため、大人数の盛会となった。
高折先生による挨拶。冒頭で流された高折先生の経歴を紹介するスライドのBGMがやたら勇ましいものだったので、「いやいや、そういうものでもないですから、ちょっと気恥ずかしかった」というような事を言っておられた。そういう謙虚さと親しみやすさが、高折先生のいいところであろう。
吉田弥太郎先生(昭和35年卒、医仁会武田病院)による挨拶と乾杯の音頭。退官後すでに25年になるという。「高折先生の紹介スライドから、人というのは責任が大きくなるに従い、恰幅がよくなるということがわかった」などとの即興コメントをされたりして、まだまだ矍鑠(かくしゃく)とされている感じだった。
S61卒(の一部)で記念写真。向かって左から鍋島紀滋(もとしげ)先生(三菱京都病院消化器内科)、門脇則光先生(香川医大病院長)、高折先生、私。かつて第一内科は消化器グループを含んでいたので、この世代では同窓会に消化器内科の先生も参加されている。S61卒は、この他に、今田和典先生(大阪赤十字病院)、高橋淳(あつし)先生(吉備国際大学)、中防幸晴先生(医仁会武田病院)が参加。
門脇先生による祝辞。香川大学病院の病院長をこれまで2年半以上務めておられ、病院経営の難しさが滲み出るいい祝辞だった。
向かって左から、中防先生、川端浩先生(S63卒、京都医療センター)、幸谷愛先生(H8卒、大阪大学)。幸谷先生は最近東海大学から大阪大学(微研)に異動された。なお、幸谷先生は子供の頃にヤマハミュージックスクールでエレクトーン演奏の英才教育を受けた経歴の持ち主で、音楽的才能はとても高い。Negative Selectionのライブ活動では、これまで何度も共演いただいている(2022年12月2日の記事参照2020年1月31日の記事参照)。

2024年3月16日(土)

エステック株式会社を訪問
エステック株式会社はオーダーメイドによる切断機、分析器などの研究、開発、設計、製造、 販売、メンテナンスを行っている企業で、本社は島根県にある。リバーセルへの出資を検討いただいており、この日、私と梶川社長で会社を訪問。まず新幹線で岡山に行き、そこから特急「やくも」で島根に向かった。
エステック株式会社HP:
米子と松江の間にある揖屋(いや)駅で下車。
このあたりは東出雲エリアというらしい。阿太加夜(あだかや)神社や黄泉比良坂(よもつひらさか)といった神話にまつわるような名前の神社や史跡があり、歴史の深さが感じられる。
本社ビル。
この会社では切断機、分析器、プラズマ発生装置などを主に扱っておられるが、レーザーで細胞に個別に刺激を入れる装置なども開発されている。その仕組みについて講義を受けた後、試作機を見学。
開発部門のあるフロアからは中海が見渡せる。本社ビルの奥に工場があり、そこで作られた機器類が主な売り上げとなっていて、そこで得た利益を、新製品開発に使っているとのこと。これまでにタンパク3000プロジェクトの際に理研に大型装置を納品するなど、独創性が高い機器を数多く開発されてきている。「無ければ作ればいい」という社是であるらしい。素晴らしい。
受注に応じて製作され、納品を待つ装置。右側に写っているのは、永島正嗣社長。
会社の見学後、近くの足立美術館に連れて行っていただいた。世界中の庭園愛好家向けの雑誌で、人気ランキング第1位を21年間連続で獲得しているという。2月に放映されたばかりのNHKスペシャルで、この庭園を維持管理するスタッフの技術の高さと奮闘ぶりが紹介されていたのを観て、一度現地に観に行きたいと思っていたところ、すぐに叶うことになって、ありがたかった。
庭園を歩き回るのではなく、美術館側から庭園を眺めるという方式。写真は美術館に入ってまもなく目に入る風景。テレビ番組で紹介されていた通り、隅々までスキ無く手入れされている。
美術館の順路通りに進むと、ところどころに額縁のような窓があり、絵画のような感じで庭園を楽しむことができる。
この美術館を創立した足立全康氏の銅像。この地方の出身で、大阪での商売によって一代で財を成し、日本画を主軸とした美術品のコレクターでもあった。庭園も好きだったということで、故郷への恩返しということで、1970年に、この美術館を創設したとのこと。何と、永島社長の祖父が、この足立全康氏の従兄弟であったらしく、永島社長は子供の頃足立氏とはよく会って話を聞いていたそうだ。今もこの美術館は顔パスだそうだ。
前述のように、海外の雑誌の日本庭園ランキングで、足立美術館は桂離宮や二条城を抑えての一位。「日本の庭を規模や知名度によらず純粋にその美と質によって評価する」という事業らしい。確かに、上位に旅館の庭などがランクインしている。
日本庭園ランキング:
中程の建物から撮った枯山水の庭。借景を上手に活かしている。
違う窓から撮った「枯山水の庭」。
メインの庭園の反対側も、趣きが異なる庭園になっている。
奥の建物からみた「白砂青松の庭」。岩がいい味を出している。
「白砂青松の庭」の右側。白砂に生えている松の盆栽仕立ての刈り込みが素晴らしい。右手の奥の方を見ると、遠くに滝が見える。
これは自然の滝ではなく、水はポンプで汲み上げているらしい。この滝については、ちょっと仕込み過ぎ感があるかなと思った。
 なお写真撮影禁止だったので画像は出さないが、庭園を見終わった後、日本画が陳列されている部屋を観て回るという構造になっている。横山大観をはじめとして、橋本関雪、竹内栖鳳、菱田春草、上村松園などの大作が並び、見応えがあった。平櫛田中の彫刻もあり、また北王子魯山人の陶磁器や書、最近の作家の日本画(院展の入賞作品など)も沢山観ることができ、これらだけでも価値があると思った。
美術館から揖屋駅に向かう途中、黄泉比良坂(よもつひらさか)に立ち寄っていただいた。黄泉の国(天国)に近い場所ということで、「逢いたい人にもう一度逢える場所」という事らしい。
この岩と岩の間が、黄泉の国と現世の境界であるらしい。
天国への手紙を投函するポスト。
このような説明が書かれている。薄暮の時間帯であった事もあって、敬虔な気持ちになってしまった。
松江駅の近くで会食。料理はとても美味しく、特に焼き松葉蟹が絶品だった。今回は、ユニークな機器類、圧倒的な庭園美と美術作品群、美味しい料理とお酒を、堪能できた。永島社長、ありがとうございました。
松江駅の近くのドーミーインに宿泊。名物の夜鳴きそば(無料)が美味しかった。

2024年3月15日(金)

芦原先生来訪
私は大学院生時代に所属していた輸血部に所属していた。桂研に移ったあと、木村晋也先生(現佐賀大教授)や芦原英司先生(現京都薬科大学教授)が輸血部に来られ、その関係でずっと付き合いがある。ちょうど私が京大の教授に就任した頃に、芦原先生も京都薬科大学の教授になられ、一緒にお祝いの飲み会をしたこともあった(2012年3月17日の記事参照)。芦原先生らは輸血部時代からガンマデルタT細胞を用いたがん免疫療法の開発をされていて、今もまだ続けられている。この日はその件について話をした。

2024年3月14日(木)

新井麻由子さん再来訪
新井麻由子さんは、東海大学医学部の三年生。新井さんは昆虫を中心に生き物が好きで、小学生くらいの時に、お台場の科学未来観で開催されていた免疫ふしぎ未来展に来られた際、プラナリアを差し上げたことがあって、それから時々連絡をとっている。昨年河本研に来られた際には、裏医生研チャンネルの「生き物好きさんいらっしゃい」というシリーズに2回出演いただいた(下記)。今回も、「再生とは?幹細胞とは?」というシリーズで登場していただこうと考えている。写真は、その収録風景。

第32回:収斂進化とは??【生き物好きさんいらっしゃい!その1】
第33回:多細胞化って何だ?【生き物好きさんいらっしゃい!その2】
新井さんは、現在東海大学の分子生命科学講座に出入りしてミクログリアの研究をしているらしい。その研究に関連して、お世話になっているラボの渡邉孝明先生(講師)が、左のクラウドファンディングをしているとのことで、ここに載せておく。4月25日までに、100万円を集めるのが目標だそうだ。
渡邉孝明先生クラファンサイト:
新井さんからお土産としてホヤの干物をいただいた。特に変なクセがなく、カラスミにも似た、濃厚な磯の風味という感じ。この他にもfancyなお菓子を頂いたりした。
この後、関係者でくうかいで会食。岩手県のお酒「死後さばきにあう」(喜久盛酒造)を飲んでみた。インパクトのあるネーミングだが、味はスッキリしていて普通に美味しかった。後で調べて知ったのだが、この言葉はキリスト教で言う「最後の審判」のことらしく、東北地方では「キリスト看板」としてよく見られるとのことのようだ。

2024年3月14日(木)

プロジェクト「北極星」の取材
メディカルイノベーション大学院プログラムの活動の一つとして、「学生発キャリアパスプロジェクト―自分だけの『北極星(TrueNorth)』を見つける―」と言うプロジェクトがあるようだ。 この日、「博士号を有する研究者のキャリアパスについてのインタビュー」に応じた。博士課程を目指す修士および学部学生が、学生目線で話を聞いて、エッセーにまとめるという事らしい。好きな言葉、影響を受けた人、学生へのメッセージなどについて応えた。向かって右端は「医学領域」産学連携推進機構(KUMBL)の井貫恵利子(特定助教)で、他は学部学生の方達。

2024年3月12日(火)

研究連携基盤所長・センター長懇談会歓送迎会
表記の会がブライトンホテルで開催された。京大には18の附置研究所とセンターがあり、連携基盤はそれらで構成される。構成部局の所長とセンター長で構成される懇談会というのがあって、月2回のペースで「昼食懇談会」という自由な発言をする会が、図書館の4階の会議室で開催されている。代表世話部局にあたった部局の長は、その昼食懇談会の議長を務めるのであるが、2023年度は医生研が代表世話部局だったので、私が議長役を務めてきた。議長役は、事前に開催のアナウンスをするとともに話題を募り、当日は集まった話題を整理してアジェンダを作成し、議事を進行する。決議を行う会ではないが、開催頻度が多いのと、自由な発言が飛び交うので、一体感が醸される、とてもいい会だ。その延長線上のイベントとして、例年3月には歓送迎会が行われる。代表世話部局長として、会の司会進行役を務めた。なお、今年度から来年度にかけて7つの研究所/センターでトップが入れ替わる。せっかく顔馴染みになったのにと、さびしく思った。
時任理事/副学長による挨拶。時任理事は、来年度からは理事ではなくなるが、副学長職は続け、「研究所/センターの統括」という新しい職務を務めるとのこと。国際研究卓越大学(10兆円ファンド)の申請に向けて、附置研/センターがどう取り組んでいくか、連携基盤としての舵取りが重要になるが、時任先生は研究所/センターの代表として、大学本部との交渉におけるキーパーソンとして引き続きご活躍いただけそうだ。

2024年3月11日(日)ー12日(月)

ITMAT Kyoto University International Symposium
表記の会が京都で開催され、聴講した。ITMAT(Institute for Translational Medicine and Therapeutics)はペンシルバニア大学の研究所。中々豪華な演者陣だ。
会場は芝蘭会館稲森ホール。
CAR-T細胞療法の開発者の一人、Carl June。
初日のシンポジウムの後に開催された情報交換会。今回は成宮先生が主導で進めておられたらしい。
左から上野英樹先生、岩井一宏先生、萩原正敏先生、私。
2日目、シンポジウムの終了後、北村先生と「くうかい」で会食。VDJ-recombinedのYouTube公開を祝った。

2024年3月11日(月)

VDJ-recombinedのミュージックビデオを公開
少し前にNegative Selectionのセカンドアルバム「辺境の街から」が完成したという記事を書いた(2024年2月27日の記事参照)。オンラインでCDが購入可能になるのは4月10日の予定。今回のアルバムは7曲入っているが、ミュージックビデオ(MV)については、逆襲の助教のMVはすでに公開済みで、他の6曲のMVを、完成しているものから順次公開していこうと考えている。まずは本日、赤枠で囲った「VDJ-recombined」をYouTubeで公開。
左は、YouTubeのサムネイル。作詞は高浜洋介先生(NIH)で、河本が作曲。ボーカルは、縣保年先生(滋賀医大)。プログレ風味のハードロックという感じの曲になっている。MVは、京都の老舗ライブハウスRagで撮った映像と、琵琶湖畔で撮った映像(2023年2月5日の記事参照)を合わせて作られた。大久保博志君による力作。琵琶湖畔で撮った動画では、ドローンが使われている。撮影の日はすごくいい天気で、素晴らしい映像になった。下記はセカンドアルバムの中に入っている冊子の中の解説。

T細胞が胸腺で分化する途上で、T細胞レセプターの遺伝子は再構成される。数多くの断片状の遺伝子の中からランダムに選ばれて組み合わされ、それぞれの細胞で唯一無二のレセプターが作られる。多様な外敵と戦える一方、個々の細胞に於いては可能性を失う過程でもある。新しいレセプターを得た高揚は、数多の道が閉ざされた故の不安と相剋し、ついにおのれの危険性に恐怖する。雄大な情景を背に、重厚なギターに乗せて縣の魂の叫びが炸裂する。V、D、Jはレセプターの断片のグループで、VDJ-recombinedはそれらが組み合わさった状態を指す。

「VDJ-recombined」ミュージックビデオ:
「VDJ-recombined」手書きバンドスコア:

2024年3月9日(土)

2023年度 東京理科大学生命医科学研究所シンポジウム
表記の会が東京で開催された。左は抄録集の表紙で、3人の先生の退官記念講演会を兼ねていた。左から久保允人先生、岩倉洋一郎先生、小園晴生先生。
先週末も寒波が来ていたが、この週末も寒波が来て、真冬のような寒さだった。左の写真は伊吹山あたりの風景。
金町駅。
東京理科大学の葛飾キャンパス。
図書館。この建物の3階が大きなホールになっている。
伊川友活先生が総合司会をしていた。
後飯塚先生は、J鎖のレポーターマウスを使って、胎生期と成体とでB細胞の分化過程が異なる事を示すという、とてもユニークな話をされた。
大野先生がIgAの産生との関連について質問。
この二人はNegative Selectionのセカンドアルバムの中の曲「Transcytosis H.O.」のミュージックビデオで共演いただいている。左はその動画の一部。この動画は来週公開する予定。
情報交換会。免疫学会関係の色々な人に挨拶することができた。
久保先生と。まだ完全に引退される訳ではないと思うが、まずは、お疲れ様でした!

2024年3月8日()

Jagan Pongubala教授のセミナー
Jagan Pongubala教授はHarinder Singhラボの出身で、リンパ球の分化と転写因子の研究を今も続けているようだ。今回は宮崎正輝先生(河本研准教授)がホスト。
河本研がしてきた基礎研究の内容と近く、セミナーは面白かった。
この日の午後、1時間くらい、長畑君も交えて、discussion。長畑君のBlood論文(2022年)の話を中心に話をした。

2024年3月6日(水)

日立-京大-リバーセルの共同研究の報告会
現在河本研では最初の臨床試験に向けた細胞製造を手作業で行っているが、将来的には大量培養をしたいと考えており、そのために日立製作所の自動培養装置を使った培養法の開発を、日立-京大-リバーセルの共同研究の形で進めている(2023年3月14日の記事参照)。この日、報告会の後、情報交換会を開催。

2024年3月2日(土)

第19回京都大学附置研究所・センターシンポジウム
表記の会が、京都大学松本講演会として、松本で開催された。京都大学には20弱の附置研究所/附置研究センターがある。一つの大学としては日本で一番多いらしい。大学というのは学部で成り立っていると思われがちであるが、附置研究所/センターは学部とは独立した別組織。教育にも少しは関わるが、原則的に研究活動を本務としている。その附置研究所/センターが連携して研究力を強化しようという目的で京都大学附置研究所・センター会議が発足し、その成果を社会に発信するイベントとして2005年から「京都大学附置研究所・センターシンポジウム」が始められた。附置研究所・センター会議の機能をさらに強化しようという主旨で2015年に研究連携基盤という組織が作られた。以後、このシンポジウムは、連携基盤から社会への発信として、年に1回、いろいろな都市で開催されている。
今回の演者の紹介。今回は生存圏研究所が主催。
前日は夜も予定が入っていたので、松本に行くのは諦め、名古屋で前泊。当日朝早くから特急しなので松本に向かった。
この少し前から寒波が来ていて、塩尻あたりは雪景色だった。
松本駅の東口側。
会場はまつもと市民芸術館。
エントランスからメインホールに続く緩やかな階段。
メインホール。800人収容可という、とても立派なホールだ。
今回のシンポジウムのテーマは「京大からの研究のながれ そして未来へ」。
総長の湊長博先生による挨拶。
今回からの新しい試みとして、「京都大学の先生との交流コーナー」というイベントが設けられた。これは、昼食時に、研究所長/センター長と中高生で、昼食をとりながらあれこれと談話するというイベント。このシンポジウムには研究所長/センター長が毎年おおむね参加する。それで、今回の参加者の中で中高生に左のようなチラシが配布された。
このシンポジウムには研究所長/センター長が毎年おおむね参加する。それで、今回の参加者の中で中高生に左のようなチラシが配布された。
今回のシンポジウムに参加した中高生はほとんどがこのイベントに参加したようで、結構賑やかな会になった。
シンポジストによる講演が一通り終わった後、シンポジストに加えて時任宣博先生(京大理事)、辻井敬亘先生(連携基盤長)、山本衛先生(生存圏研究所所長)が参加して、パネルディスカッション。若い人達に向けて研究者になることを決めたきっかけの話から入り、研究のあり方などが語られた。
今回のシンポジウムは、医生研チャンネルで取材を行った。今回のオーガナイザー代表の山本先生にインタビュー。
シンポジウム終了後、近くのお店で、情報交換会。京大からの参加者と、松本周辺の京大OB/OGの人達が参加。
辻井先生による挨拶。
松本にはこれまで京大の同窓会が無かったらしく、今回のシンポジウムを機会に、同窓会が結成されたとのこと。初代会長の木内義勝先生(1967年卒、松本短期大学学長)による挨拶。この後、参加者ほぼ全員が自己紹介をした。和気あいあいとした、いい会だった。会の終了後、8時半頃発のしなのと新幹線で、この日のうちに帰京した。
          

2024年3月1日(金)

再生医療学会ランチョンセミナーの打ち合わせ
三週間後の再生医療学会の中日(3月22日金曜日)に、日立製作所後援のランチョンセミナーが開催されるが、そのセミナーで話をさせてもらえることになった。600人くらい入れる大きな会場だそうだ。座長は青井貴之先生(神戸大学)。セミナーのタイトルと要旨は、以下。


再生T細胞を用いたがんおよびウイルス感染症の治療法の開発
-自動培養装置による大量生産に向けて-

細胞を薬のように使う時代が到来しました。細胞医薬は、再生医療の序章ではなく、「創薬」の歴史の中で必然的に現れたモダリティだと言えます。現在は自家細胞を使うCAR-T細胞療法が細胞療法の軸になっていますが、近い将来汎用性かつ即納性の「他家」細胞療法が主流となり、TCR(T細胞レセプター)を用いる戦略が発展すると期待されます。その流れの中では、自動化された大量培養法の開発が必須であり、講演ではその現状と展望について話します。
          

2024年2月28日(水)

細胞デザイン医科学研究所 設立記念シンポジウム
表記の会に、演者の一人として参加した。
今回の演者のラインアップは、いろいろな分野の人がいて、面白かった。辻真博先生はJSTの中のシンクタンク的組織であるCRDSのフェローで、JSTやAMEDが進める事業の立案を行なっておられる。少し前に実験医学別冊「細胞医薬」を共同編集したことがある(2020年10月23日の記事参照)。

アマゾン「細胞医薬」のサイト:
新幹線で山口へ。東京〜新大阪間は2023年10月でワゴンサービスは廃止になったが、こちらの路線ではまだやっているようだった。まだ残っているのを見て、ちょっと嬉しく思った。しかし、ネット記事によると、この路線でも近い将来に廃止になるという。そんなに利用する訳ではないが、無くなると寂しいものだ。
シンポジウムの前に、関係者で昼食会があり、その際のグループフォト。
会場は宇部のANAクラウンプラザホテル。
宇部市長による挨拶。
初代研究所長の玉田耕治先生が研究所の概要を紹介。細胞医薬の開発に特化した、ユニークな研究所だ。獣医学関連の部局も参加していて、コンパニオンアニマルの病気の治療法の開発もカバーするようで、この点もとても特徴的と言える。
シンポジウム終了後の情報交換会。
宮田満先生(ヘルスケア・イノベーション社長、元日経バイオテク編集長)が来られていて、挨拶をされた。
向かって左から、谷澤幸生先生(山口大学学長)、私、玉田先生、朝霧先生(山口大学医学部薬理学教授)。
向かって右から、山本卓先生(広島大学ゲノム編集イノベーションセンターセンター長)、辻先生、私。
翌日、帰路、宇部新川駅にて。宇部は庵野秀明の出身地で、シン・エヴァンゲリオンでは新川駅が登場、シン・仮面ライダーでは宇部の工業地域が登場するなどで、エヴァファンや庵野ファンにとっての聖地になっている。私もファンなので、新川駅にいるというだけで、ちょっと嬉しい。

2024年2月27日(火)

Negative Selectionセカンドアルバム完成!
Negative Selectionのセカンドアルバム「辺境の街から」(From the Town of Entanglement)がようやく完成し、この日、送られてきた。録音は2019年に行った(2019年5月11日の記事参照2019年12月5日の記事参照2019年11月29日の記事参照)が、コロナのせいでミュージックビデオの制作が遅れ、アルバムの制作もそのために随分時間がかかってしまった。
アマゾンで販路に乗せるのは時間がかかるようだ。オンラインで購入が可能になるのは4月10日から、となっている。税込1000円。モノ自体はあるので、もし早めに欲しいという方がおられたら、私か、あるいはメンバーのうちの誰かに連絡を取っていただければと思う。また、曲だけであれば、以下のサイトから個別に購入(ダウンロード)が可能になっている(1曲150円)。アマゾンプライム会員であればストリーミングで無料で聴くことも可能。なお、近日中にミュージックビデオはYouTube上で順次公開する予定。ミュージックビデオは、自分で言うのも何だが、かなりよくできているので、是非ご覧になっていただきたい。

CD販売のサイト:
曲のダウンロードサイト:
CDの表紙。中には歌詞及び曲の解説が載ったフルカラーの小冊子(12ページ)が入っている。
CDのカバーアート。40cmx30cm、アクリル画。「細胞が内腔に移入しようとしている様子」と、「大きな洞窟の中にある街」というイメージを組み合わせた。
CDの裏表紙。
裏表紙のイラストは、北村俊雄先生作詞・河本作曲の「夜光雲」という曲のミュージックビデオ用に河本が描いたイラスト。この曲はアルバムの中で唯一、サイエンスを絡めてない曲で、愛する人を失った哀しみを表した曲。瀧内曜子先生(血液内科医/バイオリニスト)によるバイオリンソロが美しい。「光も音もない街を一人でさまよう」という歌詞の内容に合わせて描いた、夜の街のイラスト5作のうちの一つ。色鉛筆で描いた線描を取り込んでフォトショップで彩色してから、階調を反転させるなどして作成。
曲の解説。今回は、何人かのその道の第一人者の先生方に歌ってもらい、おかげで多様性に富んだ内容になった。このうち、右下の「逆襲の助教」は、2022年度の分子生物学会の公式テーマソングとして作った曲で、すでにYouTubeにあげている。
逆襲の助教:
第14回:【とびだせ医生研】分生テーマソングのメイキング!:
お店などに置いてもらう時に使おうと考えて、作成した販促用ポップ。
こういう感じで置いてもらおうと考えている。

2024年2月23日(金)

「葬送のフリーレン」を鑑賞
連休の初日、体調がすぐれなかったので、一日休養することにして、気になっていた「葬送のフリーレン」を、アマゾンプライムで24話あたりまで一気に観た。非常にいい作品だと思った。この手の勇者一行が魔王を倒すというような話は、通常はチームを組むところから始まりそうなものであるが、本作は魔王を倒して故郷に戻るところから始まるという構成。フリーレンはエルフの魔法使いなのであるが、エルフは寿命がとても長いという設定で、ヒトの寿命の長さとの差異にどう対峙するかという点が、うまく物語に仕立てられている。全体に静謐な空気感が出ていて味わい深いが、一方で戦闘シーンの迫力ある演出もとてもよくできている。左の絵は公式サイトより拝借。この4人は魔王を討伐した一行で、その旅の様子は回想シーンとして随所に現れる。この絵はその淡々とした雰囲気がよく表せている。

2024年2月20日(火)

霧の朝
この日の朝は、珍しく霧が発生した。京都近郊では亀岡や大山崎あたりは霧が出やすいことでよく知られているが、京都市内では、とても珍しい。写真は朝8時頃、丸太町通りを少し上がったあたりの鴨川東岸から、北を望んでいる。荒神橋がほとんど見えない。
同じ場所で、少し前に、雪が降った朝に撮った写真(2024年1月25日の記事参照)。
          

2024年2月17日(土)ー18日(日)

AbbVie Immunology Summit 2024で講演
表記の会がパシフィコ横浜ノースで開催された。ノースは、メインの展示ホールの北側の端にあり、写真で言えば奥の方に位置する。
ここを使った会に参加するのは初めてだ。2020年4月開業とのことだから、開業と同時にコロナによる緊急事態宣言をくらったことになる。
4つに仕切られたうちの一つで、この広さがある。AbbVie(アッヴィ)はヒュミラ、スキリージ、リンヴォックなどの免疫領域でよく使われている薬を持っている。この会では、関節リウマチ領域の先生方の他に、皮膚疾患領域と消化器領域の中で免疫が関与している疾患の診療にあたられている臨床医、計約500人が現地参加、1000人がオンライン参加とのことだった。初日は基礎会場と臨床会場に分かれて、私は基礎会場で質疑応答含めて60分の講義を行った。タイトルは「自己免疫疾患の発症機序〜基礎から最前線まで〜」。「最前線」の方は、skgマウスの話、クラスIIにミスフォールドタンパクが提示されるという荒瀬先生の研究の話、HLAの抵抗性アリルと感受性アリルが重なると抵抗性アリルが優勢になる話、多発性硬化症とEBウイルスの関連の話などをした。
情報交換会。全国から参加があったようで、テーブルは地域ごとに分けられていた。
森信暁雄先生(京大免疫・膠原病内科教授)と。
ロイヤルパークホテルの62階に宿泊。
2日目の皮膚科領域では、茂呂和世先生(大阪大学教授)が自然リンパ球について話をしていた。
2日目の昼食時の情報交換会で、徳島の先生方と、GVHDの話などをした。向かって右から二木真理子先生(徳島大学皮膚科)、飛田泰斗史先生(徳島赤十字病院皮膚科部長)、私、広瀬憲志先生(徳島県立中央病院皮膚科部長)。
          

2024年2月14日(木)

梶川社長、北村先生と会食
この日、リバーセルの梶川社長、北村取締役と打ち合わせをして、その後近くの居酒屋(くうかい)で夕食。いい話し合いができた。
          

2024年2月14日(木)

避難訓練
4年ぶりにちゃんとした避難訓練が実施された。14時に医生研1号館で火災が発生したという想定。1号館の人は全て外に出る。一方、私は所長なので、火災や震災などの有事の際には所長室に緊急で対策本部が設置され、まずはそこに行く必要がある。事務関係の人が避難誘導などの指示をシナリオ通りに出す間、私はただ部屋でうろうろするだけ。全員の退避が完了したという報告を受けてから、ようやく外に出られる。
消防署の人による講評。この後、私も挨拶をし、「皆が退避してくれるまで、私は退避できません。実際の災害の場合は、速やかな退避をお願いします。」と話した。
この日は、地震を体験できる装置がついた車が来ていた。震度は1から7まで再現できるが、まどろっこしいので、震度7だけの体験会になった。私もやってみたが、震度7は凄まじかった。揺れ始めたらテーブルの下に隠れる、という動きを勧められたが、テーブルが床に固定されていたので激しく揺れ、テーブルのヘリで頭を打ちそうになって、怖かった。

2024年2月13日(火)

芝蘭会館のウメ
本部で開かれた部局長会議から帰る途中、芝蘭会館の傍のウメ。

2024年2月10日(土)

第43回日本胸腺研究会
表記の会が京都で開催された。
この会は主に胸部外科の先生方が中心であるが、病理の先生や、胸腺上皮細胞を研究対象にした基礎の先生方も参加している。理事長は臨床系の人と木曽系の人の2人が務めることになっており、私は少し前から基礎系の理事長を務めている。前日には、京都タワーホテルの一室で、理事会が開催された。
その後、近くの割烹で懇親会。私はあまり普段は交流がない先生方が多いが、この会は皆とても仲が良く、とても居心地がいい。
会場は府立医科大学の図書館ホール。
立派なホールだ。
今回の集会長、井上匡美(まさよし)先生による挨拶。
会の終了後、情報交換会へ。
「ポレポレ」という名前の食堂で、河原町通りに面している。最近リニューアルしたとのことで、明るくてきれいだった。
今回の集会長の井上先生とは少し前から共同研究をしている。古谷竜男先生は大学院の2回生の時から河本研に来て胸腺腫の上皮細胞の性質や、重症筋無力症の発症機序などの解明に取り組んできた(2020年6月16日の記事参照)。古谷君は頑張ってくれて、いい感じのデータも得られつつあったが、時間切れになって、他の課題で学位を取られ、府立医大に戻られた。特に胸腺腫でなぜ重症筋無力症が発症するのかはとても大事な課題だと思うので、機会があれば共同研究を続けたく思っている。

2024年2月9日(金)

樹木の枝打ち
医生研一号館の南側の木々の枝打ちが行われた。
ちょっとかわいそうなくらい刈り込まれている。

2024年2月6日(火)

ヒトES細胞研究センターのミーティング
医生研にヒトES細胞研究センターは2020年4月に設立された。医生研では2018年から医療応用にも使える臨床用ヒトES細胞株を作製しているが、このセンターはその樹立体制および研究機能の強化を目的としている。
ヒトES細胞研究センターの組織図。川瀬先生と高田先生以外は兼任という形をとっている。川瀬先生と高田先生はES細胞の樹立と配布、中馬先生は品質管理、永楽先生はオルガノイド作製、河本は再生T細胞療法への利用、遊佐先生は自己複製あるいは分化誘導時の各種遺伝子の機能解析を担当している。
定期的にmeetingを開いて、進捗状況を報告。
この日は、meeting終了後、近くの居酒屋(くうかい)で懇親会が催された。この日は、OI機構の鈴木裕史先生(向かって右から3人目)、河本研の岸本加恵先生(同4人目)にも参加いただいた。こういう会は、一体感を熟成するのに良い。

2024年2月5日(月)

林璃菜子さんが免疫学会でポスター発表した話を裏医生研チャンネルで公開
少し前に書いたように、医学部3回生の林璃菜子さんが免疫学会に参加し、ポスターセッションで発表した(2024年1月17日の記事参照)。林さんはいわゆるラボローテーションの制度で1回生の春休みあたりから河本研に来るようになり、宮崎正輝准教授の指導で研究活動を行ってきた。今回免疫学会で発表したのは、マウスを用いた実験で、発生過程において胎仔胸腺の中でT細胞と共に自然リンパ球も作られるという現象が転写因子によってどう調節されるかという内容。免疫学会での発表の様子は居合わせた石戸聡先生(兵庫医大)が動画を撮ってくれたが、この日は林さんによる解説を収録した。
その回は2月8日木曜日に公開になった。左はそのサムネイル。この記事を書いている時点(2月12日夜)の時点で再生回数は2500回を超えている。さすがだ。

#82:学部生が学会発表⁉~京大医学部生の研究発表に密着!~
          

2024年2月2日(金)

免疫・細胞療法検討会2024で講演
高橋聡先生(東大医科研病院)からのお誘いで、表記の会で話をさせていただける事になった。骨免疫学会終了後、新幹線で東京へ。道中、雪を頂いた浅間山を見る事ができた。
浅間山のアップ。山容が美しい。かなり活動的な活火山で、江戸時代にも大噴火を起こしている。東京から西に伸びる新幹線は、片方は富士山、もう片方は浅間山のすぐ近くを走っている事になる。
会場は八芳園。今回のテーマは造血幹細胞移植後に起こるウイルス感染症で、私は現在藤田医大で開発中のサイトメガロウイルス感染症の治療用T細胞製剤の話を中心に講演した。ノバルティスが後援のハイブリッド形式での開催で、オンライン参加もかなりいた。
会の終了後、医科研のスタッフの方々と会食。色々な話ができて、楽しかった。

2024年2月1日(木)

骨免疫学会ウインタースクール
左のポスターにあるように、今年の骨免疫学会ウインタースクールは、精神神経系の研究者との合同開催となり、「Neuro-osteoimmunology summit」と名打たれ、 1月30日から2月2日まで、野沢で開催された。あいにくSCARDAの合同シンポジウムとほぼ日程が重なったため、私は2月1日と2日しか参加できなかった。
1日の早朝にサンダーバードと北陸新幹線を乗り継いでお昼前に野沢に到着、という手もあったが、今回はとても久しぶりに、夜行バスで行く事にした。23時30分ごろに京都駅八条口発で、野沢には朝7時30分ごろに到着。昔のスキーバスと違って、3列の独立シートで、椅子をかなり寝かせることもでき、結構快適だった。片道8500円。
会場がある朝日屋旅館。今回はウインタースクールで貸切りだった。写真は「じゃらんnet」より拝借。
会場。今回は精神神経系との合同開催ということもあって参加者が多く、のべ80人くらいだったらしい。
お昼休みの前後にゲレンデへ。天気はあまりよくなく、積雪もやや少なめだったが、山頂の毛無山ゲレンデは、雪質はとてもよかった。今回も荒瀬尚先生(写真、大阪大学)らとコブ滑りを楽しんだ。荒瀬先生はとても上手だ(2023年1月31日の記事参照)
和氣弘明先生(名古屋大学)も、コブ滑りがとても上手だった。
私も何とか滑れたが、今回は事前の体力作りを怠っていたため、足にきてしまい、グダグダだった。
情報交換会。
老舗の旅館らしい料理で、美味しかった。
今回のオーガナイザーによる挨拶。向かって左から、澤明先生(Johns Hopkins University)、高柳広先生(東大)、古屋敷智之先生(神戸大)、小林泰浩先生(松本歯科大)。
スタッフの人達と。向かって左から、北村俊雄先生(神戸先端医療研究センター)、岡崎さん(スタッフ)、中路裕子先生(松本歯科大)、私、山路さん(スタッフ)、末尾さん(スタッフ)、澤先生。
食事後、少し場所を移して、遅くまでdiscussion time。楽しそうだ。
翌朝、部屋の窓からの景色。
2月2日の午前中に最後のセッションがあり、その後、高柳先生による閉会の辞。来年も同じような感じで、この会場で開催するらしい。

2024年1月31日(水)

ワクチン開発拠点の合同シンポジウム
コロナ禍に際しては、日本はワクチン開発において、欧米に大きく遅れをとった。その反省に基づいて、AMEDは次のパンデミックに備えて日本がワクチン製造で世界をリードできるようにと、2022年から先進的研究開発戦略センター(Strategic Center of Biomedical Advanced Vaccine Research and Development for Preparedness and Response : SCARDA)という事業を始めた。全体をリードするフラッグシップ拠点と、並行してワクチン開発を進める複数のシナジー拠点、ワクチン開発をサポートする複数のサポート機関によって構成される大きな事業だ。京都大学はサポート機関として参画している。今回、全関係者が集まる合同シンポジウムが、京都の国際会館で開催された。
京大では、上野英樹先生をリーダーとして、(Kyoto University Immunomonitoring Center: KIC)という組織が設立され、私も参加している。その関係で、今回の合同シンポにも参加する事になったのであるが、残念なことに、骨免疫学会のウインタースクールとほぼ日程が重なってしまった。骨免疫学会のウインタースクールの方が先約で、講師として参加登録してある。それで、SCARDAの方は各機関のリーダーの話と情報交換会がある初日(1月31 日)に参加し、2月1日-2日はウインタースクールに参加する事にした。
シンポジウムは大ホールで開催された。発表言語は、何故か英語だった。
情報交換会にて、新蔵先生とKICのメンバー。向かって左から新蔵礼子先生(東大)、小口綾貴子先生(村川研)、上野英樹先生、私、村川泰裕先生。

2024年1月30日(水)

北実験棟の取り壊しが始まった
北実験棟(通称北棟)は、ウイルス研や再生研などの病院西構内の建物の耐震改修に際して、一時的に引越しするスペースとして2009年に設置された。あくまでの一時的な避難用の普請なので、何度か延長申請をして主に医生研のスペースとして使ってきたが、さすがに今年の4月30日で完全に期限切れとなり、今年度末までを目処に取り壊す事になった。右側に見えているのはハイメディック棟。
北実験棟は、左の地図では34番の建物。

2024年1月29日(月)

H.U.グループの研究者と打ち合わせ
H.U.グループの中央研究所とリバーセルは昨年4月に戦略的提携基本契約を締結し、その後共同開発研究を模索している。いくつかの計画を検討中で、これまで私があきるの市にある中央研究所を訪れたりしてきた(2023年12月22日の記事参照)が、この日は京大で打ち合わせを行なった。かなり計画が整ってきた。その後、近くの居酒屋で会食。

2024年1月26日(金)

神戸医薬研究所でセミナー
神戸医薬研究所はベーリンガーインゲルハイム社の研究開発機関。若手の研究者が中心になってサイエンス・カフェという活動を行なっていて、今回は外部講師として招いて頂いた。
サイエンス・カフェについて:
前庭に何故か二宮金次郎像が置いてあった。どこかの小学校から譲り受けたものらしい。勤勉さの象徴として小学校によく置かれていたが、昨今では「子供を働かせるは良くない」とか「歩きスマホを助長している」とかいう理由で撤去される傾向にあるとのこと。とはいえ、外資系の会社の庭にこういう石像が置いてあるのは、とても面白い。

2024年1月25日(木)

中辻憲夫先生を取材
医生研は現在臨床用ヒトES細胞株の樹立と配布を行なっている。医生研チャンネルではこの事業を紹介する動画を作成中で、この日は中辻先生の事務所を訪れ、取材させて頂いた。中辻先生は再生医科学研究所(現医生研)で日本初となるES細胞を樹立され、2002年から研究用に配布をされるなどして、まさに日本の再生医療を牽引されてきた。2007年には物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)の初代所長となられた。2003 年に創業されたリプロセルは2013年に上場を果たし、2015年に退官(2015年4月18日の記事参照)されてからはリプロセル上場によって得た資金で公益財団法人中辻創智社を設立して、若手の研究者の支援などをされている。今回は、表チャンネル用にES細胞についての話を伺い、また裏チャンネル用に事業家として活動についての話を伺った。面白い話が沢山聴けた。機会があればもっと裏話なども聴いてみたいと思った。ありがとうございました!

2024年1月25日(木)

京都で積雪
昨年はちょうど同じ頃に大寒波が襲来し、ちょうど同じ日付(1月25日)の朝に、この界隈もかなりの積雪があった(2023年1月24日の記事参照)。今回もこの冬一番の寒波が来て、北陸ではかなりの積雪があったようだが、京都はそう大したことはなかった。
          

2024年1月24日(水)

久しぶりのオヤジの会
コロナで途切れていたオヤジの会を、久しぶりに開催。オヤジの会は江藤浩之先生(CiRA、向かって右端)主宰で、私と小川誠司先生(京大医学部)が常連。2020年1月以来だから、4年ぶりということになる(2020年1月8日の記事参照)。今回は藤田恭之先生(右から2人目)に参加して頂いた。医学研究科のあり方などについて、かなり熱い議論が交わされた。
          

2024年1月24日(水)

次期所長に再選
この2日前の教授会で所長選があり、私(河本)が次期2年間、引き続き所長を務めることになった。京大がもしも来年度に国際卓越研究大学に認定されたりすると、いろいろなレベルでの組織再編などが行われる可能性があり、医生研としてもしっかりした舵取りが必要になると思われる。

2024年1月22日(月)

皮膚科の先生方とdiscussion
京大病院皮膚科の大学院生(D2)の石橋茉実先生(向かって左端)は、T細胞の恒常性増殖と皮膚炎の関連の研究をされている。とても面白そうな研究だ。この日、今後の研究の進め方や共同研究の可能性についてdiscussionをした。向かって右から江川形平先生(皮膚科講師)、鬼頭昭彦先生(同講師)、椛島健治先生(同教授)、西村有史君(河本研特定研究員)。
          

2024年1月18日(木)

林璃菜子さんが解説する「心電図の読み方(前編)」を裏医生研チャンネルで公開
裏医生研チャンネルではこれまで主に私が講義をしてきたが、今後はできるだけ色々な人に登場して頂こうという話になっている。再生医療業界ではiPS細胞から心筋を作製する研究が有名で、河本研でも一般向けのアウトリーチ活動での展示ではよくマウスのiPS細胞から分化誘導した心筋細胞を出している。個々の心筋細胞は独自の拍動リズムを持っているが、沢山で集まって一つの組織として同期して拍動する。そのような同期したリズムの伝わり方を、「心電図の読み方」という切り口で、林さんに解説して頂いた。林さんは最近心電図検定の3級に合格されたらしい。1級から4級まであり、3級は一般の臨床医レベルとのこと。この記事を書いているのは公開から10日目くらいであるが、すでに再生回数は2700回を超えている。
#79: よくわかる!心電図の読み方(前編):
#80: よくわかる!心電図の読み方(後編):

2024年1月17日(水)ー19(金)

第52回免疫学会総会・学術集会に参加
免疫学会は河本研にとってはメインの学会で、ラボの研究者はほぼ全員が参加する。通常は12月に開催されるが、今回は1ヶ月遅く、1月になってから、幕張メッセで開催された。写真は宿泊したホテル(アパホテル)の窓からの、東側を望んだ景色。
今回の学会のテーマ。
今回の学術集会は千葉大学の学長をされていた中山俊憲先生が集会長をされるはずだったが、昨年11月に逝去された(2023年11月23日の記事参照)。学会では、中山先生を偲ぶ展示が設営されていた。
中山先生には、2002年に理研免疫センターのチームリーダーへの応募を促していただいたり、2004年に免疫学会教育推進委員会へ声をかけていただいたりと、人生の節目で大変お世話になった。当時湊研の助教になったばかりの私が、理研のチームリーダーになれたことは、人生最大の転機であった。また、免疫学会の教育推進委員になるということは、サマースクールのオーガナイザーをするということであり、その後の免疫学会での活動の契機になった。きちんとした御礼を言ってなかった事が悔やまれる。
初日の午後、 トミーデジタルバイオロジー社の後援による若手女性研究者巣年事業授賞式があり、和田はるか先生(北大遺制研清野研准教授)による講演があった。和田先生は昨年の受賞者の一人(2022年12月7日の記事参照)。ずいぶん前に、河本研は胸腺の前駆細胞が樹状細胞への分化能を有することを報告したが(Shen et al, J. Immunol, 2003; Masuda et al, J. Immunol, 2007)、和田先生はかつて河本研の研究員であった時に、胸腺のT前駆細胞がミエロイド細胞(マクロファージ)への分化能を有することを明らかにした(Wada et al, Nature, 2008)。この日の発表は、これらの研究の延長線上にある研究とも言えるもので、T前駆細胞由来樹状細胞が負の選択に関与している、という話。こういう研究を続けてくれている事を、嬉しく思った。
今年度の免疫学会賞は岡崎拓先生。PD-1欠損マウスにおける自己免疫疾患の発症機序の解明の仕事が有名だが、最近では樹状細胞に出ているPD-1のリガンドPD-L1が同じ細胞に出ているCD80と結合する事で、活性化したT細胞にPD-1を介した抑制シグナルが入らないようにしている事を解明されたりしている(Science. 364(6440):558-566, 2019)。
免疫学会奨励賞の受賞者の表彰。
会長招宴の会では、中山先生が生前に残されたビデオメッセージが流された。いつ頃撮られたものだろうか、お顔はやややつれた感じであったが、言葉はとても力強かった。
新蔵礼子先生(写真中央、東大定量研教授)、大谷直子先生(向かって右、大阪公立大学教授)と。
二日目、ポスター発表と企業展示の会場。
一年前の集会でもポスターセッションは開催されて賑わっていたが、まだ皆マスクをしていた(2022年12月7日の記事参照)。今年もまだマスクをしている人はいるが、少数派だ。
2日目の夜は懇親会が催された。昨年の集会では懇親会は無かったので、4年ぶりということになる。中島裕史先生(千葉大学)が中山先生の代わりに挨拶をされた。
今回の懇親会は600人くらいが参加したとのこと。コロナ前は通常400人くらいだったので、やはり今回はコロナ明けを祝うムードがあったのであろう。
懇親会でも中山先生のビデオメッセージが流された。
免疫学会の理事長である黒崎先生による挨拶。
日本酒が沢山供されていた。
向かって左から清野宏先生(千葉大学教授)、茂呂和世先生(大阪大学教授)、橋本彩花さん(茂呂研M1)。
向かって右から椛島健治先生(京都大学皮膚科教授)、田中ゆり子先生(東邦大学医学部講師)。
向かって左から高柳広先生(東大医学部教授)、林璃菜子さん(京大医学部3回生)、馬場義裕先生(九大生医研教授)、高岡晃教先生(北大遺制研教授)。林さんは河本研にラボローテで1回生の時から出入りしていて、最近は医生研チャンネルの制作にも協力してくれている(2023年12月21日の記事参照)。懇親会では、林さんは並み居る教授達ともしっかり話をしていた。えらいもんだ。
懇親会で、河本研のメンバー+宇高研のお二人。
懇親会の後、海浜幕張駅の近くの居酒屋で二次会。河本研+伊川研(東京理科大)+京大坂口研+宇高研(高知大)+金子研(京大)+増田喬子先生(サノフィ)+糸井まなみ先生(明治国際医療大学)。テーブル1。
テーブル2。
テーブル3。
ホテルに帰る途中で高柳先生と塚崎先生と出会った。
三輪佳宏先生(写真向かって右)は現在理研バイオリソースセンターの遺伝子材料開発室の室長であるが、少し前まで筑波大学におられた。筑波大学におられた時には日本サイエンスビジュアリゼーション研究会の運営に関わっておられ、随分前に一度分子生物学会のフォーラムとして開催されたサインエンンイラストを題材にしたイベントに声をかけていただいた事がある(2011年12月15日の記事参照)。三輪先生の研究室はナショナルバイオリソースプロジェクト (NBRP) 「遺伝子材料」の中核機関であるとのことだ。NBRPには、長畑君が進めている研究に関連して、ホヤなどの研究材料の調達などで、お世話になっている(2023年2月21日の記事参照)。
三輪研究室HP:
来年度は大野博司先生が集会長で、長崎で開催される。
三日目のワークショップで、長畑君がT細胞の進化的起源についての研究成果を口頭発表した。
彼は1年くらい前にBlood誌に「血液細胞の進化的起源は単細胞生物」という内容の論文を発表した(2022年12月15日の記事参照)が、その後もその方向性の研究を力強く進めている。
セッション名は「Hematopoiesis and Immune Environment」で、座長は生田宏一先生(京大医生研)と幸谷愛先生(阪大微研)だった。
三日目のポスターセッションでは、林璃菜子さんが発表。宮崎正輝先生(河本研准教授)の指導下で、ノッチシグナルやEタンパクを軸にして、T細胞と自然リンパ球への運命決定の振り分けが個体発生過程でどう進むかをしっかりと解析していて、とてもいい研究だ。「学生でも研究室に来て研究成果をあげ、学会にも参加できる」という良い例として、近々、裏医生研チャンネルで取り上げようと計画している。そのために、ポスター会場で動画を撮ろうとしていたら、ちょうど石戸聡先生(兵庫医大教授、ネガティブセレクションのベース)が通りかかられたので、撮影をお願いした。動画撮影終了後、林さんのポスターの前で3人で記念写真。

2024年1月12日(金)

衣食住セミナーに参加
衣食住セミナーは、建築家の事務所の人達が共同で主宰しているセミナーで、広範な話題を扱っている(2023年7月7日の記事参照)。この日は名栗(なぐり)についての話で、講師は橘商店の橘明夫さん。この日に初めて知った事であるが、「名栗」というのは木の角材や板に一定のパターンで表面を削って施す装飾の事らしい。
橘さんが持参された名栗の例。「何と呼ぶか知らないけど、誰もが見たことがあるもの」と言っておられたが、まさにそんな感じだ。
二次会の店に行くまでの途中で、注意して民家の玄関先を見ていると、確かに結構な頻度で見つける事ができた。
こういうのも名栗と思われる。意外とよくあるものだ。
          

2024年1月1日(月)

三木先生が学生時代の写真を共有してくれた
三木幸雄先生(大阪公立大学放射線診断学講座教授)は昭和61(1986)年京大医学部卒の同級生で、学生の頃から写真をよく撮っておられた。左の写真は昨年9月3日にCiRAのセミナー室で開催された「未来医療を多角的に考える研究会」(2023年9月3日の記事参照)での一コマ。三木先生は最近、以前にフィルムで撮った写真をデジタル化しているとのことで、この日、卒業アルバム用に撮った写真を沢山共有フォルダに入れて、同級生の皆とシェアしてくれた。当時すでに白黒フィルムは廃れていたが、この一連の写真では、あえて白黒フィルムで撮ったとのこと。
卒業アルバムでは使われなかった写真も多くあり、とても懐かしかった。そのうち自分が写っている写真を何枚か載せる。私は学生時代にはスズキのジムニーに乗っていた。白黒なので色が分からないが、色はベージュ。ボンネットの黒の2本線は自分で入れたデザイン。
前列向かって左から私、北正人先生、山内(当時久下)順子先生、後列左から河本雅秀先生、北尾忠寛先生、工藤比等志先生、清谷哲也先生。乗っている人達は、アイウエオ順で組まれた班のメンバー。各種の実習を行ってきた仲間だ。場所は京大医学部構内。なお、このジムニーはまだ河本の実家に、動かせる状態で置いてある。
ジムニーの後ろ姿。
医学部軽音関係者。向かって左から私、北先生、川谷暁夫先生、北尾先生、古家敬三先生、吉岡美沙緒先生。私は北先生、吉岡先生らと「Brain Salad」というプログレバンドを組んでいた。