研究のこと
1 1983年まで
2 1983年以降 (T細胞分化の研究)
3 MLPアッセイ
3.1 アイディア
3.2 実験結果
3.3 Irv. Weissmanとの関係
4 論文発表
5 MLPアッセイの今後
1. 1983年まで 1967年に結核胸部疾患研究所細菌血清学部門(教授は上坂一郎先生。故人)の助手になる。採用の条件はほとんどなく、「結核の免疫に関連する研究」をすればよいという程度。おおらかな時代であった。しばらくはトレランスの研究を行っていたが、結核関連ということで、遅延型過敏症(DTH)の研究へと進んだ。ヘルパーT細胞とDTHを媒介する主要なT細胞は、いずれも今で言うCD4T細胞である。(注。現在では多様なT細胞がDTHに関わっていることが知られている。)これらが同一の細胞なのか否かということを目標と定めて仕事を行った。DTHを誘導する条件とヘルパー活性を誘導する条件を決めるために、かなり膨大な実験を行った。その後T細胞のクローン化技術が作られて、クローンレベルでの研究へと進む。1983年には、ヘルパー活性を持つThクローンとDTH活性を持つTDTHクローンも出来て、これらの活性が別々の細胞によって担われることも明らかとなった。MossmanらによるTh1/Th2クローンの発表より2~3年前のことであった。
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2.1983年以降(T細胞分化の研究) T細胞は胸腺で作られる。1983年頃には、胸腺でのT細胞生成についてはある程度のことは分かっていた。主な知見は以下のごとくである。 |
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3.MLPアッセイ アイディア T細胞分化の研究を始めて以来ずっと、上記2つの基本問題のうちの第1問、すなわち「胸腺でT細胞を作るのは多能性幹細胞なのか、それともT細胞だけを作るように特化された細胞なのか」ということを考え続けていた。しかし研究を始めて10年以上経った1996年になっても、この問題は解けていなかった。やれる範囲のことはやってみたのに、解決する方法が見当たらなくて、10数年間にわたって途方にくれていたというのが実情である。 MLPアッセイ(Multilineage Progenitor Assay)の着想は、何の偶然なのか突然にやってきた。1996年2月10日のことである。この日、成内先生(当時東大医科研教授)と京都フジタホテルで朝食を共にした。私の仕事についてデータを見せながら説明をしていた最中に、話の内容とは直接関係なく、T前駆細胞を同定する方法を思いついた。そっとメモをとって、そのまま話し続けた。 思いついたことは次の2点である。 a) T、B、ミエロイド(M)系列すべての方向への分化を誘導できるenvironment(培養条件)を作る。 b) そのenvironmentで1個の前駆細胞を培養する。 この方法は必ずうまくいくと思った。environmentは、胎仔胸腺の培養系をミエロイド細胞とB細胞の分化をもサポートするようにmodifyすれば可能であろう。また、常々限界希釈法による実験をやっていたので、1個の前駆細胞が検出に十分な数の細胞を作るということを経験的に知っていた。すなわち、希釈の最先端では前駆細胞は1個になっているはずであるが、その場合でも非常に多数の細胞がつくられるのである。 成内先生と別れて1~2時間の間に、その後1~2年間にやるべき実験の骨格を考えてしまった。T細胞分化と系列コミットメントに関して画期的な成果が出ることに、ほとんど確信を持つことが出来た。 |
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実験結果 このテーマは河本君に担当してもらった。私がやった実験らしいことといえば、河本君と2人でV底96 well plateを金槌で叩き割って、その割れ目を顕微鏡でながめたことくらいである。V 底の先端は想像以上に尖っており、この形なら胎仔胸腺と1個の前駆細胞を共培養することが可能であると思った。3月に実験を始めて、1~2ヶ月目にはうまく行きそうになってた。3ヶ月目あたりには1個の細胞の分可能を見る方法、すなわちMLPアッセイがほぼ完成したと思う。 |
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MLPアッセイによって得られたデータは予想を超えたものであった。胎仔の造血器官である肝臓中に検出された前駆細胞は以下のごとくである。(系列名の前にp-をつけて表わす。) 検出されたもの:p-Multi (p-MTB) 、p-MT、p-MB、p-M、p-T、p-B (注。Multiは多能の意) 検出されなかったもの:p-TB 確実に検出されると予想されたのはp-Multiだけである。私としてはp-Multiは当然として、p-Tが検出されれば満足するつもりであった。すなわち、p-Tのデータ1つだけでも、私のグループで10年以上かけてやってきた全データよりもはるかに価値があるのである。あえて言えば、T前駆細胞の存在を決めようと試みた世界中のデータを集めても、このp-Tのデータ1つに及ばないと思った。 ここで検出された6種類の前駆細胞はそれぞれに重要な意味を担っているのであるが、特にp-MT、p-MBの存在は意外であった。同様にp-TBの不在(注)もやや意外であった。これらのデータは、造血のプロセス、さらには血液細胞の進化について新しい考えをもたらすこととなった。 |
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これらのデータを得てまもなく(この年の夏)知ることになるのであるが、WeissmanグループがT前駆細胞と判定した細胞すなわちcommon lymphoid progenitor(CLP)は、我々がただ一つ存在しないものと結論を下したp-TBだったのである(次項)。 (注)MLPアッセイは1個ずつの細胞を培養する方法である。我々のグループでアッセイした細胞の数は10,000個をはるかに超える。論文として発表した図表の中にもすでに数千個でのデータを示していると思う。そのうちp-TBに分類されたものは1個に過ぎない。そのデータはp-MTBを間違って検出したものだったと考えている。(Lu et al. J. I. 2005) |
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Irv. Weissmanとの関係 Weissman(スタンフォード大)グループの主張は、造血幹細胞からp-TB(CLP)が作られ、p-TBから(おそらくp-Tを経由して)T細胞が作られるということである。これは、従来から漠然と考えられていた造血プロセスモデルを追認したものある。私達の結果とは全く相容れない。ということで、Weissmanグループとは対立した形になっている。感情的な対立があると思っている人もいるようなので、いきさつを説明しておく。 |
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4 論文発表 MLPアッセイの最初の論文はNatureとJEMに拒否され、Int. Immunol.に掲載された。このときのcommunicatorは宮坂昌之氏(阪大教授)である。論文の意義をよく理解してもらったことに感謝している。一方Weissmanらの論文は、我々より1ヶ月遅れで、Cellに掲載された。CLP説はいわゆる常識なのだから、何も考えなければこれを信じることになるだろう。今でも無条件にCLPからT細胞ができると言う人はいる。しかし、かなり意外だったのは、日本免疫学会では私達の仕事がずいぶんすんなりと受け入れられたことである。我が国の状況も少しは変わってきたのかな。それとも、これがKTCCなどで協力体制を築いてきた効果だったのかもしれない。 |
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5 MLPアッセイの今後 MLPアッセイはFTOC(胸腺臓器培養)を基調としている。この事は、この培養における分化誘導能が生理的条件に近いという利点があるのだが、実験手技が少し煩雑で、また費用もかかるという欠点もある。現在ストローマ細胞株を用いてミエロイド(M)-BおよびM-Tの各2系列への分化誘導システムが作られており、これを用いたsingle cell assayが広く用いられている。しかしMLPアッセイのようにミエロイド-T-Bの3系列を同時に誘導できるストローマ培養法は未完成で、これが広く利用できるようになることを望んでいる。さらにヒト前駆細胞の分化を解析できるMLPアッセイ、またはそれに相当するストローマアッセイ法も作られると良いと思う。 |