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KTCCのいきさつ

KTCC(Kyoto T Cell Conference)の表向きというか学問上の目標は、「T細胞はどのようにして作られるのか」を解明することである。発足は1991年9月。実は、いろんな思いを込めて作ったのであって、その事は第1回および第2回抄録集(抄録集は合わせて1冊)の巻頭言や、JISニュースレター(NO.7-2、1999)にも書いている。これらと重複する点はあるが、発足のいきさつなど、常々話していることをここにまとめておく。

先ずは研究課題について。「T細胞が作られるメカニズム」という前に、T細胞のことである。「T細胞」などと呼んでいるが、これは細胞というよりは一つの複雑な機能を持つシステムであり、臓器に匹敵するともいえる。しかも、これをつくるためだけに一つの臓器(胸腺)が存在するのである。このことだけからも、T細胞というのは大変なシステムであり、更にこれを作ることがいかに大変な作業であるか想像できる。逆に考えれば、胸腺でのT細胞生成の過程には、細胞の分化メカニズムを解き明かす糸口がたくさん含まれているとも考えられた。この研究には多くの人の協力が不可欠であるし、また多くの人にとって有意義な仕事場を提供すると思えた。

2つ目は、親しく話し合うことの出来る研究仲間の会の必要性について。すでに述べたT細胞分化に関する2つの基本問題は全く解き明かされていなかったとはいえ、T細胞の研究はアメリカを中心に着々と進んでいた。TCR遺伝子のクローンニングやフローサイトメーター(FACS)を用いた胸腺、骨髄細胞の分画なども進んでおり、わが国の出番がなくなる恐れもあった。ヨーロッパのいくつかの小さな研究会に参加し、メンバー間の親密な付き合いぶりを見て、このような小さな研究会がわが国にも必要だと思った。100人程度の会であれば、全員が参加意識を持って集まることが出来る。そのような会では、ここで発言すれば、これは“この人の考えである”と認められる。そうであれば、安心して自分の考えを提示して議論を深めることが出来る。

実際に参考にしたミーティングは、1989年に発足したオランダRolducのThymus Workshopである。参加者は80人程度だったと思う。ヨーロッパが主で、アメリカとオーストラリアが少数。日本からは最初のうちは私一人であった。ミーティングは午前中と夜だけで、昼は毎日観光というのが良い。 一年以上かけて、胸腺やT細胞分化の研究を行っている主だった人たちに構想を持ちかけ、最も積極的だった広川先生、日合先生にご協力いただいて会を立ち上げることになった。1991年9月17日、大塚製薬のご好意で比叡山荘を無料で使用させてもらい、ともかくも全国の主だった研究者20数人が一同に会することができた。出席者は皆意欲的であった。持ち寄ったデータをもとに、細部まで議論し、出し惜しみすることなくアイディアも披露しあった。これこそが世界をリードする原動力になると思えた。

現在のKTCCの規模は100人を少し越える程度となっているが、この会がうまく機能していることは言うに及ばない。国際シンポジウムも何度もやって、諸外国の主だったT細胞研究者が日本に来るようになり、KTCCのメンバーとの交流を深めている。現在は高浜氏(徳島大教授)の尽力で、Rolduc Thymus Workshop、ThymoZ (オーストラリア)、TymUS (アメリカ)と4つの会で連合体を作り、国際シンポジウムをまわしている。これらのことは、日本からオリジナルなものを発表する場合に、それが受け入れられるベースとして重要なことであり、大きな力でもある。「がんばってもっと良いものにしてください」などという必要は全くないし、その気もない。一つだけ希望を言わせてもらえば、これ以上大きくしないほうが良いということだろうか。