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京大の頃

略歴

<1958年 京大理学部入学

1963年 京大理学部物理学科卒業

1963年 京大医学部副手 放射能基礎医学教室

1964年 京大大学院理学研究科入学

1967年 京大大学院理学研究課中退

1967年 京大結核胸部疾患研究所助手

1977年 京大結核胸部疾患研究所細菌血清部教授

1997年 改組により京大再生医科学研究所再生免疫学分野教授

2002年 京都大学定年退官、日本大学医学部客員教授、東京医科歯科大学客員教授

 

物理学科の卒業でなぜ免疫学なのかとよく聞かれる。まともに説明したことがないのは、たいした理由もないからだが、いきさつなどを簡単に記す。
私はいわゆる天文少年で、京大へは天文学の研究をしたくて進学した。しかしこの夢は入学後すぐにやぶれてしまう。詳しくは言えないが、当時の宇宙物理学教室はあまり良くなかったのである。目標を失って留年したり、ぶらぶらしてしまった。物理学科へ行ったのは特定の研究分野を目指したというわけではなく、どこかへ所属する必要があったからに過ぎない。

 

免疫学に興味を持ったのは、村松繁先生(京都大学名誉教授、当時30歳くらいの若手研究者)に出会ったことによる。Burnetのクローン選択説(1959)が発表されて、欧米では免疫学が注目され始めた時期である。村松先生自身も免疫学へ転じようとされていた時であり、活気が感じられた。ここに参加すれば自分にも何かできるような気になった。(後で知ったことであるが、Burnetは1961年に京大に来て、講演もしている。)